第189話 おいてけぼり

 1063年9月上旬 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ


「ピエトロお兄ちゃん、どうかご無事で」

「ああ、ジャン=ステラも息災でな。万が一の場合はアデライデお母様とトリノ辺境伯家をよろしく頼む」


 戦勝祈願の宴会から二日後、ピエトロお兄ちゃんはウィーンを旅立ち、一路ハンガリーへと向かった。


 一方の僕はウィーンの大聖堂に置いてけぼり。枢機卿イルデブラントに庇護されつつ、ピエトロお兄ちゃんの無事を祈る日々を過ごすことになった。


 本当は僕も一緒にハンガリーに行きたかった。ピエトロお兄ちゃんと離れたくなかった。

 それなのに、お兄ちゃんに同行を拒否されちゃった。


 それは昨日の朝に決まったこと。


「僕も一緒にいく! お兄ちゃん一人に危ない橋は渡らせないもん」


 僕のせいでピエトロお兄ちゃんはハンガリー戦役の先陣を務めることになった。だから同行しようと申し出た。しかし、ピエトロお兄ちゃんに却下された。


「だめだよ、ジャン=ステラ。先陣を命じられたのは俺なんだ。それに、兄弟二人ともが危ない目に遭う必要はないからな」


 僕の頭をお兄ちゃんが優しくなでてくれる。


 それに、もし敗走した場合に僕は足でまとい。邪魔にしかならないのだと言われてしまった。


「俺一人なら生き延びられるかもしれないが、ジャン=ステラを守る余裕はなさそうなんだ。賢いジャン=ステラなら理解できるだろう?」


「うぐぅ」

 お兄ちゃんの正論に顔が下を向く。涙が頬を伝って落ちていく。


 戦場では僕が足でまといなのは知っている。ピエトロお兄ちゃんの言うことは間違っていない。


 それでも、心情的に納得できないのだ。

 僕のせいでお兄ちゃんが危険にさらされるのに、僕が安全なウィーンでお留守番だなんて。


 でもね、分かってる。

 トリノ辺境伯家としては、ここで男二人が犠牲になるわけにはいかないもの。


「ピエトロお兄ちゃん、僕の身代わりに聖剣セイデンキを持っていって」

「ああ、お前の分身だと思って大切にしよう」


 僕はブンブンと首を振る事で、お兄ちゃんの考え違いを訂正する。

「大切にしなくていいから。何かの交渉の足しでも使って欲しいの」


(この悔しさは誰にぶつければいいのかな)


 僕はやるせなさを、お兄ちゃんの無事を神に祈ることに費やした。


「神様、仏様。どうかお兄ちゃんが無事に戻ってきますように」


 幸いここはウィーンの大聖堂。祈る場所には事欠かない。


 お兄ちゃんが出陣した当日。真摯に祈った。


 出陣の二日目。お腹が減った。


 三日目。腹が立ってきた。


 四日。人事を尽くして天命を待つ。

 そんな言葉を思い出した。神に祈って天命を待つだけじゃだめ。僕のやるべき事をしよう。


 だけど、僕のやるべきことってなんだろう。

 そもそも僕はなぜ11世紀に転生したの?


 この疑問に対しては、今まで何度となく考え、答えをだしてきた。

 それはピザを食べるため。


 しかし、そんなの間違っていた。

 ピザの魅力はピエトロお兄ちゃんの命の前では、とっても小さな事だった。


 ああ、僕はバカだった。大馬鹿だったよ。

 ピザにかまけて新大陸を目指すなんて考えず、富国強兵を目指すべきだった。

 商売で儲けたお金で軍隊を養い、ハインリッヒ4世を潰すべきだった。


 思わず奥歯をギリギリと噛み締めた。


 だけど、ハインリッヒ4世を亡き者にしちゃったら、婚約者であるベルタお姉ちゃんの人生は何だったんだろうって考えてしまう。


 ベルタお姉ちゃんが5歳だったクリスマスの日、オッドーネお父様とアデライデお母様から引き離され、ドイツへと嫁いでいった。そのお姉ちゃんはまだ12歳と幼く、まだ結婚式は挙げていない。しかし、一生の半分以上を皇后となるための教育に費やしてきた。

 そのお姉ちゃんの努力を僕のせいで無駄にしていいものだろうか。


 それに主君に嫁がせるチャンスを台無しにしたと、アデライデお母様も悲しむかもしれない。


(僕が我慢すべきなのかな?)


 僕は一体、どうすればよかったのだろう。


 過去の行いを悔やむ後ろ向きの思考が、頭の中をぐるぐる回る。


 だがしかし、まだピエトロお兄ちゃんが遥か高みへと旅立ったわけではない。


 お兄ちゃんに万が一のことがあったら、その時は……。


 僕はこぶしを力いっぱい握りしめる。


 ベルタお姉ちゃんには涙を飲んでもらうしかないよね。ごめんね、お姉ちゃん。


 うん。やるべき事が決まった。

 自分の好きな人たちを守れるくらいに強くなろう。


 そのためには精強な軍隊が必要。


 軍隊を養うためには、お金と食料が必要で。

 軍隊を強くするには、技術が必要。


 お金を稼ぐにも、食料を増産するにも、そして技術開発にも人が必要になる。


 まずは、僕の手足となってくれる優秀な人を集めよう。

 ハインリッヒ4世の支配下にあるドイツ全土から人材を奪っちゃえ。


 思い立ったら吉日。さっそく行動に移そう。

 僕はイルデブラントに面会を申し出て、人集めの協力をお願いする。ご褒美は僕の知識。


「ねえ、イルデブラント。天地開闢かいびゃくについて知りたくない?」


 先日の宴会で僕が披露した祈願文。そのラテン語訳を記した羊皮紙をイルデブラントに手渡す。


 ビッグバンで素粒子が生まれ、原子・分子が出来た。宇宙、太陽、地球の誕生について教えよう。


 それだけじゃない。この際、僕の持っている知識を全て解放しよう。

 やらないで後悔するよりも、やって後悔した方がまだましだ。


 あ、全知識って言ったけど、やっぱり進化論はなしで。

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