第119話 邪魔するな!

 1063年1月中旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(9才)



 つめたくなった唐揚げ。さめてしまったトンカツ。


 スタルタスのせいで美味しくなくなっちゃった揚げ物料理。


 ネットやゲームどころかトランプすらない中世11世紀のイタリア。食べる事くらいしか楽しみがないような世界に転生しちゃった僕が、どれほど唐揚げとトンカツを楽しみにしていたと思う?


 何週間も前から準備し、ずっとずっとずうっーと楽しみにしていたんだよ。


 お母様やマティルデお姉ちゃんがいて、前世よりも濃厚な人間関係を築けているけど、ピザもないし、娯楽もない。香辛料が効いていない平坦な味の料理ばかり。だれが好き好んでこんな中世に転生するもんか。


 コンビニで気軽に買えた唐揚げを食べるため、どうしてここまで苦労をしないといけないの? 冷めても美味しいトンカツを挟んだサンドイッチだって、500円あれば買えた。それなのに、辺境伯家の財力と権力をもってしても、美味しいカツサンドすら食べることができないのだ。


 そんな現実を前にして、ドス黒い感情が僕の心の奥底から噴き出てきた。


 ひどい環境でも耐えに耐えてきたけど、もういやだ。我慢の限界。


 トリガーを引いたのはスタルタス。どうして僕のささやかな楽しみを邪魔するの?


 美味しいものを食べたい。ただそれだけなのに。


 いくら汲めども尽きぬようなこの怒りをどこにぶつければいいのだろう?


 ああ、そんなの決まってる。床に転がる醜い豚に叩きつけてやればいい。


 僕は豚の丸焼きを切り分けていた、刃渡15cmくらいのナイフを手に取り、スタルタスをギリッと睨みつける。


「おい、スタルタス。神の怒りの次は、僕の怒りをその身に受けてもらおうか!」


 そう僕が宣言した矢先、横槍の声がかかった。


「ジャン=ステラ様、お待ちください!」

 いくぶんか焦りを含んだ早口で、イルデブラントが僕の行動を静止する。


「イルブラント、なに? 僕、今忙しいんだけど。スタルタスの高いお鼻は豚にふさわしくないって思うんだよ。僕のナイフで、豚らしい鼻をプレゼントしてあげるんだから、邪魔しないでくれるかな」


 手に持っているナイフで鼻を削ぎ落としたら、すこしは気が晴れるかもしれない。ついでに耳も切っちゃって、頭の上に付け替えちゃおうか。豚の耳はやはり、頭の上に生えていないと変だよね。


 ふふふ、なんだか復讐って楽しいね。自然と口から笑みが溢れてきたよ。


「ジャン=ステラ様、その、なんです。お忙しい所申し訳ありませんが、ジャン=ステラ様は何にお怒りなのでしょうか。もしよろしければ、そのお怒りを解くため、私めにお手伝いをさせていただけませんか」


 イルデブラントがなんだか焦っているみたい。やたら下手に話しかけてくる。


 はっ、何に焦っているんだか。別に手伝いなんかいらないから、邪魔するなっつーの。


「何に怒ってるかって? そんなの食べ物のことに決まってるでしょ。テーブル上の料理を見てよ。冷めちゃったじゃない。で、冷めた原因は誰にある? 床に転がるスタルタスでしょ。どこに疑問があるっていうのさ」


「冷めた料理なら、温めなおせばよろしいのでは。あるいは作り直すこともできましょう」


「イルデブラントはしらないの? 温めなおしたって美味しさは元に戻らないんだよ。それに作り直すだって? 材料を集めるのだって、料理するのだって大変なのに、そんな事を軽々と言わないでくれるかな」


 電子レンジだって、冷めた食べ物を美味しく温めるのは難しかったのに、イルデブラントは何をいっているのだ。


 そして、作り直せ? 今、からあげを作り直すっていっても、いったいいつ出来上がるっていうのさ。24時間365日日開いているコンビニが懐かしい。真夜中でもお正月でも美味しいものが食べたくなったら、すぐ手に入った。


 どうして中世なんかに転生しちゃうのさ。もっと便利な時代に転生させてほしかった。イタリアならせめてジャガイモとトマトがあって欲しかった。


 それを唐揚げやトンカツで我慢しようとしていたんだよ。それなのに。それなのに、どうして邪魔するの!


 ああ、怒りが収まらない。頭が、脳が怒りでぐつぐつ煮えたぎってくる。勢いのまま、イルデブラントに怒鳴り返す。


「それもこれも、スタルタスがフォークの事でいいがかりをつけなければ済んだ話でしょ。スタルタスを成敗して何が悪いのさ」


「ジャン=ステラ様、確かに、スタルタスの行ったことが良かったとは思えません。しかしながら、スタルタスはフランスで平民からも支持されているクリュニー修道院の一員であります。クリュニーの修道士を傷つけるのは、けっしてジャン=ステラ様のためにも、トリノ辺境伯家のためにもなりません。なにとぞ、ご一考を!」


 イルデブラントが必死の形相になって、僕にお願いしてくる。なぜイルデブラントはそこまで僕を止めようとするの?


「さっきまで僕はセイデンキを使って、スタルタスを成敗しようとしていたけど、見守っているだけで止めようとしなかったじゃない、どうして今度は僕を止めるのさっ!」


「それは、セイデンキは神の御心を知るためだったからです。今、ジャン=ステラ様がなされようとしているのは、私情にかられての行いです。だからこそお止めしているのです。なにとぞお分かり頂けますよう」


「私情? 私情だったら何が悪っていうのさ。ここに並んでいる唐揚げだってトンカツだって、ここに産まれる前は、いつでも食べられる料理だったんだ。貴族じゃなくて、ふつうの人が手軽に食べていたんだよ。


 普通の食べ物を食べるのが私情っていうなら、イルデブラント、おまえは明日から泥水だけすすって生きなよ」


 ジュースもない、コーラもない。それどころか、冷たいお水すら安全に飲めないんだ。僕にとってこの世の飲み物は、イルデブラント達にとっては泥水みたいなものでしょう? 泥水のんでおなか壊しちゃえばいいんだ。



「さらにさらにだよ、イタリアなのにトマトがないじゃん。ドイツがあるのにジャガイモがないじゃん。ピザソースもなければフライドポテトもない。ないない尽くしで、どうやってこの後、生きていけっていうの! それにトマトもジャガイモも地球上にあるんだよ。空を飛べたら1日でトマトもジャガイモも手に入るはずなのに。飛べなくたって、船で1か月かければ新大陸にたどり着けるんだよ。それを今まで、僕が大人になるまでとおもってずっとずっと我慢してきたのに! それにそれに…… もう、いやだ!」


 最後の方は支離滅裂で、もう絶叫だった。自分自身でも驚くほど、この世に生きていることはストレスだったみたい。心の中にため込んでいた言葉が堰を切ったようにこぼれ出てきた。


「ぜえぜえ」という、僕の荒い息の音だけが、宴会場の全てだった。イルデブラントも僕に問いかけてくることはなかった。


 僕の息が落ち着いた頃、だれかがささやいた。


「空を飛ぶ?」


 その声を拾って我に返ったのか、イルデブラントが、オウム返しに質問してくる


「ジャン=ステラ様は、空を飛べたのですか?」


「そんなの当たり前でしょ?」


 僕は冷たく言い放つ。飛行機があったのだから、お金を払えば遠くまで飛んでいけるなんて当たり前。


「今も飛べるのですか?」

「は? 飛べるわけないじゃない」


 飛行機ないのに飛べるわけないじゃない。絶叫してすこし落ち着いた僕の心だったが、訳の分からない質問によって怒りのボルテージが再び上がってきた。


「つかぬ事をお聞きしますが、ジャン=ステラ様がこちらにお産まれになる前、周りに『エル』と名のつく方はおられましたか?」


「イルデブラント、今どうしてそんな質問をするのさ。僕怒ってるんだよ。空気読めよっ」


「ジャン=ステラ様、そこをなにとぞ。我々にとっては大変重要な質問なのです」

 イルデブラントがすがりつくような目つきで懇願してくる。


 さっぱり、わけわからん。


「前世の母の名は藤堂絵留える。姉は、のえる」

「おお、やはり。トドエル様、ノエル様とおっしゃるのですね」


 人の母親をつかまえて、トドってなによ、トドって。もうっ!


「ぜっ、ぜひ御尊父の名前もお聞かせ願います」

 イルデブラントが紅潮した顔になり、裏返った声で前のめりになって尋ねてくる。うざい。超絶うざったい。


 ふざけてんじゃないよ! スタルタスといい、イルデブラントといい、この世の聖職者ってみんな頭おかしいの?

 スタルタスに我慢して、今度はイルデブラント? もういい加減にして! 僕の堪忍袋にも限界ってものがある。


「うるさーーい! なんでお前の質問に答え続けなければならないんだよっ。僕はスタルタスに怒っているのに、どうしてイルデブラントがしゃしゃりでてくるの? いい加減にしろ、邪魔するなっ!」


 とうとうプッツン切れちゃった僕は、ナイフを逆手に持ち変え、歩き始めた。

 目標、床に抑え込まれているスタルタスの鼻。 削いでやる!


 一歩、また一歩。歩む僕の歩調に合わせて、テーブル上の食器が小さく音を立てはじめた。


(かちゃっ)


 テーブル下で護衛達が動き始めたのだろうか。音を出しているようじゃ護衛失格だよ? でも、今はそんな事どうだっていい。


(かちゃ、かちゃちゃ、カチャ)


 一歩、そして一歩とスタルタスに近づく。


(カチャカチャカチャ)


 ナイフを両手で逆手に持ち、強く握りしめる。うつ伏せになって床に押さえつけられているスタルタス。横顔になった鼻を目掛け、全体重を乗せたナイフを腰を落として振り下ろす。


 豚鼻確定!


 と思ったその刹那、ドンッという衝撃で足がふらつく。手先が狂った。


 ダンッと木板の床に突き刺さるナイフ。スタルタスの鼻先をかすめ通っただけ。


 足元が揺れている。あぁ、地震なのか。


 突き刺さったナイフを放置して、立ち上がった。


 バランスを取れば立っていられるくらいの揺れだから、震度4くらい。大したことはない。揺れも20秒ほどでおさまった。


「スタルタス、命拾いしたな。フンッ」


 イルデブラントだけじゃなく、地震にまで邪魔されるなんて。運がないにもほどがある。


 あるいは、神に見放されちゃったのかな。


 目からこぼれる悔し涙を隠すため、僕は捨て台詞を残し、一人宴会場を立ち去った。




ーーーー

あとがき


イタリアでは地震が発生します。アフリカプレートが、ユーラシアプレートに沈み込んでいるのです。地震の巣は中部イタリアで、トリノのある北部はあまり起きません。今回の地震はアルベンガに面した地中海、リグリア海の沖合を震源とする強めの地震でした。

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