第229話 イベリア十字軍

 1064年8月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 教皇勅書には、イベリア十字軍に参加せよ、と書かれてあった。


 海賊討伐の報酬は、僕がカナリア諸島王だと教皇が認めた公的な証拠。


 戴冠式を挙げていないカナリア諸島王の認知度はほとんどないに等しい。


 アデライデお母様が「僕の顔入りの金貨を製造する」と宣言した時はちょっと恥ずかしかった。しかし、金貨を使ってでも僕の王位を宣伝する必要があると、お母様は知っていたのかもしれない。


 そのことを、アニェーゼさんの席次問題で僕もようやく理解した。


 今回の場合、教皇とクリュニー修道院長のユーグが意図的に隠していたのかもしれない。


 そうとはいえ、マスコミもインターネットもないこの世界では、情報が伝わる速さはとっても遅い。そのことを実感する出来事だったと言えそうだ。


(じゃぁ、マスコミ、つくっちゃう?)

 インターネットは無理でも貴族専用のミニコミ紙ならできるかも。


 って、いかん、いかん。思考が横道に反れちゃった。


 いまは、そう。何をすればイベリア十字軍に参加したことになるのか。その点について、教皇が何を考えているのかを、確かめなくっちゃ。


「バレアス諸島のイスラム海賊を討伐してください。これが教皇猊下のお望みです」


 スペインの東側に浮かぶバレアス諸島は、西地中海貿易の要衝の位置にある。

 イタリアやフランス南部から大西洋に出ようとすると、バレアス諸島の近くを通ることになるのだ。


 そのため古代ローマ時代から、バレアス諸島は貿易で栄えてきた。


 ただし、その貿易に使う船は軍船でもある。だって非武装の船なんて、格好の獲物でしかないんだもの。


 戦闘力のない船が貿易品を満載していたら、すぐに襲われて一切いっさい合切がっさい奪われてしまう。


「話せばわかる」とか「酒を酌み交わせば攻められない」 そんな世迷いごとが通じない弱肉強食の世界なのだ。


 何が言いたいかと言うと、貿易船は海賊に早変わりするし、海賊といっても普段は貿易する商人でもある。そういった二面性を持っている。


 つまり、バレアス諸島のイスラム海賊というのは、バレアス諸島の貿易業者でもあるんだよね。


「ねえ、イルデブラント。イスラム海賊の討伐といわれても、どこまですればいいの?


 海で戦って、一度打ち破るというだけならともかく、海賊を根絶やしになんてできないよ。


 それはイルデブラントも理解しているよね」


「はい、おっしゃる通りかと。教皇猊下としては、ジャン=ステラ様が教皇の名のもとで、十字軍に参加したという体裁がとれればよいとお考えなのです」


 なるほど。教皇の命令に従った、という名を取れればよくて、海賊の撲滅という実については二の次というわけか。


「それくらいならオッケーしても良さそうだね」


 にこっとイルデブラントに微笑みを返した。


 とはいえ、権力闘争の駆け引きが裏で繰り広げられているような雰囲気がプンプンと匂ってくるんだよね。


 了承しても大丈夫なのか、ちょっと心配。


「なお、バレアス諸島を占領した場合、そのまま支配しても構わないと教皇猊下は仰せです」


 バレアス諸島には大きな島が4つある。そのうち3つにそれぞれ男爵位を、最大の島には伯爵位を設けてよいらしい。そして伯爵と3つの男爵は、カナリア諸島王に服属させるのだとか。


 爵位に関するイルデブラントの話に、僕の背後で護衛しているティーノとグイドが色めきたった。

「おぉ、新たな爵位が」と小さくつぶやく声が、僕の耳に届く。


 ティーノはガロラ男爵の三男で、グイドはメッツィ男爵家の五男。二人とも男爵家を継げる立場にはないから、新たな爵位に興味津々なのだろう。


 頭の中では、取らぬ狸の皮算用をしているに違いない。

「俺が男爵になったなら、あれしてこれして、結婚して☆彡」というような妄想でお花畑満開なのだろう。

 こころなしか二人の頬がにやけているもの。


 とはいえ二人には悪いけれど、僕は占領なんて面倒なことは望んでいない。

 まぁ、夢を壊したくないから、言葉にはしないけど。


 それでも、爵位に関する言質げんちはとっておこうかな。


「イルデブラント。爵位については教皇勅書に書かれていないよね。あとから書面で貰うことはできるの?


 僕、もう口約束だけでは動かないよ」


 最後は、口をとんがらせながらの言葉だった。


 カナリア諸島王については、口約束だったでしょ。そのせいで苦労しちゃったもん。


 同じ轍を踏む愚は犯さない。もうだまされないんだからねっ。


「はい、もちろんです。既に書状は準備されています」


 こちらの書状をどうぞ、とイルデブラントが丸められた羊皮紙を差し出してきた。


「用意周到だねぇ」

 ちょっと嫌味だったかな? ま、いいや。

 さすがの教皇も、僕やアデライデお母様との信頼関係が揺らいでいることを理解しているから、この書状を準備して、イルデブラントに持たせたのだろう。


 教皇の印で封蝋が施されている事を確認したあと、書状を開封した。


 中には領土の取り決めと爵位について書かれていて、それはイルデブラントの口頭説明と同じだった。


「伯爵位と男爵位3つ。これを教皇の名の下に認めると確かに書いてあるね」


 ふと視線を感じて後ろを振り向くと、書状をのぞきこもうと背を伸ばしているティーノとグイドがいた。


 二人は慌てて目線を逸らしたけれど、もう遅い。

「アイタッ」「イテッ」

 筆頭護衛のロベルトにゲンコツを「ゴンッゴンッ」って落とされていた。


 それでも、ティーノとグイドの視線は再び教皇の書状へと戻ってくる。


 爵位ってそれほどまでに魅力的なんだなぁ。


(今、ここで教皇の申し出を断ったら、二人はどんな顔をするのだろう)


 そんな意地悪な事を考えもしたけれど、ここは教皇の条件を呑んでおこうと思う。


 海賊討伐は、適当なところでお茶を濁せばいいよね。


「イルデブラント、わかったよ。教皇の提案を受諾するね」


◇◆◇◆◇


ジ:ジャン=ステラ

イ:イルデブラント


ジ:はい、これで封蝋も終えたよ

イ:教皇猊下への書面、確かに受け取りました

ジ:それにしても伯爵1つに男爵3つって結構な大盤振る舞いじゃない?

イ:ジャン=ステラ様は預言者ですからね

ジ:???

イ:バレアス諸島はイスラム圏ですから、

ジ:(うんうん)

イ:キリスト教への改宗を期待されているのです

ジ:僕、そんな面倒なことしないよ(宗教の自由万歳☆)

イ:イスラムの教えではジャン=ステラ様は否定されていますから

ジ:どういうこと?

イ:ムハンマドが最後の預言者で、それ以降の預言者は認められないのです

ジ:あうちっ

イ:あとですね……

ジ:まだあるの?

イ:バレアス諸島は、イベリア半島デニア王国の領土です

ジ:ということは……。

イ:はい、デニア王国との戦争になりましょう

ジ:うわ~ん、お母様に怒られるぅ

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