第230話 成功と失敗

 1064年8月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


「じゃあ、ベルナールとの交渉をよろしくね」


 教皇が出してきた条件を呑んだことにより、僕が王だと示す書類が手に入った。


 席次にこだわっていたアニェーゼさんの側近ベルナールもこれで納得してくれるだろう。


 執務室の窓から外をみる。夏だからまだ日は高い。まだ4時くらいかな。


 今からなら、初顔合わせ、そして歓迎の宴も今日中に開催できるそうだ。


 お母様の副執事にアニェーゼさん側との交渉を急ぐように、ぺんぺんっとお尻をたたきつつ執務室を送りだした。


「ジャンお兄ちゃん、唐揚げ、食べられる?」


 アレクちゃんが上目遣いで僕に聞いてくる。七歳のアレクちゃんにとっては、教皇勅書の中身なんかよりも、夕ご飯の唐揚げの方が重要だよね。


 その顔には期待が満ち満ちていて、とっても可愛い。もう、唐揚げよりもアレクちゃんのぷにぷにほっぺを食べちゃいたい。


「うん、もちろん。アニェーゼさんとも一緒に食べられるよ」


 美味しいものをみんなと一緒に食べると、もっと美味しくなるよね。


 さてと、席次と教皇勅書が片付いた。これでようやくエイリークと話をできる。


「もっと近くにきてよ、ね、エイリーク」


 イルデブラントの交渉中も、大きい体を小さく縮こまらせて、青い顔をしていたエイリークを執務机近くに呼び寄せる。


 まずは、エイリークの話を聞かないと、ことが始まらない。


 少しだけ近づいてくれたエイリークは、両膝をつき、さらに両手も床についた。そこから顔だけを僕の方に向け、今回の航海について語り始めた。


「申し訳ございません、ジャン=ステラ様。この度の航海は失敗に終わりました」


 唇を強く噛み締めつつエイリークの肩が、こころなしか震えている。まるで神の前で懺悔ざんげをしているような、そんな雰囲気を感じてしまう。


 イタリアのアルベンガを3月に出発したエイリーク船団は、大西洋のカナリア諸島から西進を開始した。


「ジャン=ステラ様のご威光により、新大陸への海路は大変順調でした。


 風と海流に恵まれ、予定より二週間も早い4月28日には新大陸の島を発見したのです」


 発見? 島を発見って、エイリークは言ったよね!

 着いたんだよね、ひゃっほー! 


 ガタッと勢いよく椅子から立ち上がった僕は、両手の拳を力強く握りしめて、「うおっしゃあ~!」と雄叫びをあげた。


「エイリークすごいよ、すごい! 新大陸に到達したんだよ。世界初大西洋横断の快挙だよ! 歴史にエイリークの名が刻まれたんだ」


 僕の転生したこの世界では、コロンブスではなくエイリークが新大陸への到達を成し遂げた。そういうことになる。


 もしかすると、エイリークの曽祖父である赤毛のエイリークがカナダの島に到達していたかもしれないけれど、定着できなかったからノーカウントで問題ない。こんなの考古学者に任せればいい。


 そう、つまりは。エイリークはすごい!


 僕の大興奮が伝わったのか、周りのみんなもお祝いの言葉を口にしている。

「ジャン=ステラ様、おめでとうございます!」

「エイリーク、よくやった!」

「ジャンお兄ちゃん、これで美味しい料理が増えるね」


 一人食いしん坊さんが混ざっている。でも、ちょっと気が早すぎだよ、アレクちゃん。


 美味しい料理、つまりピザに必要なトマトがあるのはメキシコだもん。エイリークの今回の航海でトマトが手に入ることはありえない。


 それでも、これでピザに大きく近づいた。チェックメイトまであと一歩のところまできたんだもん。これで興奮するなという方が無理というもの。


 あぁ、イタリアに生まれて10年間。長かったなぁ。


 そんな興奮のるつぼのような執務室でただ一人、エイリークだけが顔を苦しそうに歪めていた。


 気づいた僕は、はっとした。


 そういえばそうだった、エイリークの態度は執務室に入ってきた最初っから変だった。青い顔をしていたっけ。


「ねえ、エイリーク。どうしたってのさ? 新大陸の島に到達したんでしょう? 誇っていんだよ。それなのにどうして青い顔をしているの?」


 僕の問いかけは、執務室の熱を覚ますのに十分だった。周りのみんなもエイリークの異常に気づいたのだ。


「それが……。証拠がないのです。何一つ、ヨーロッパに持ち帰れませんでした」


 エイリークの言葉に、執務室は静まり返った。


 どういう意味なのかを頭が理解できなくて、同じ言葉を繰り返してしまった。

「持ち帰れなかった?」 


「ジャン=ステラ様、申し訳ございません! どのような罰でもお受けいたします」


 急に大きな声で謝ったエイリークは泣いていた。大粒の涙が顔を伝っていた。


 そんなエイリークに、僕は困惑の色を隠せない。


「ねえ、エイリーク。でも、島に着いたんだよね」

 もう一度、同じことを確認した。そして答えも同じだった。


「はい、私は到達いたしました。しかし、証拠がないのです」


「証拠? そういえば、さっき新大陸から持ち帰ったものがないっていっていたね」


「はい、新大陸の民に襲われ、船に積んでいた物以外、すべて奪われました」


 奪われたことがよほど悔しかったのか、エイリークは床をどんどんと右拳で叩いている。


「その話、僕に教えてくれるかな」

「はい、ジャン=ステラ様。仰せのままに」


 これから話す事柄は神に誓って真実にございます、とエイリークは断りを入れた後、顛末てんまつを語ってくれた。

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