第231話 エイリークの航海(明)

 1064年4月下旬 カリブ海 イスパニョーラ島 エイリーク


「陸だ、陸が見えたぞー」


 船首の見張りの叫び声に、船員達は喜びに満ちた雄叫びをあげた。


 おれも空に向かって、声も枯れよとばかりに腹の底から声を絞り出した。


 船から見える景色は海、海、海。

 アフリカ西岸のカナリアを出発して二週間もの間、海の青と空の青に囲まれてきた。


 こうも青一色では、海の男といえども陸の緑が恋しくなる。


 一昨日おとといは流木を発見した。昨日は遠くに鳥の影を確認した。


 近くに陸があることを確信するにたる証拠の発見は、早く陸地をみたいという心をはやらせたものだ。


 そうか、ようやく。ようやく新大陸に着いたのか。


「進路変更! 上陸するぞ!」

「「オー」」


 喫水の浅いロングシップは、上陸地点を選ばない。それでも波の穏やかな湾を見つけて周りの様子をうかがう。

 次いで満潮時を見計らい、船尾を砂浜に乗り上げ固定した。


 固定に失敗し、海に船が流されでもしたら大事おおごとだ。船底を傷つけるのもよろしくない。慎重に、さらに慎重に作業を進めるよう指示を出す。


 それは船員たちも理解している。二週間ぶりの陸地に浮かれていようが、ベテランぞろいの船員たちがテキパキと作業を進めていく。


「暑いなぁ」

 浜辺には日差しを防いでくれる木陰がない。


 汗を拭きつつ空を見上げる。昼を過ぎ、太陽がだいぶん傾きつつある。いまは午後四時ごろだろう。満潮を待つのに、だいぶん時間を要してしまったな。


「各船、第一部隊は船の守備、第二部隊は水と食料の探索、第三部隊はまき集めと設営。作業はじめっ!」


 船員への指示を終えたら、こんどは技術者達に指示を飛ばす。


「緯度の測定準備! 結果は夜に知らせよ」


 昼には太陽の南中高度、そして夜には北極星の高度から現在地の緯度が求められる。

 あとは、ジャン=ステラ様に頂いた地図を使えば、おおよその場所がわかるのだ。


「エイリーク様、現在地は北緯二十度です」

 就寝前に届いた報告によると、我々はカナリア諸島の北緯二十七度よりも少し南にいるらしい。


 さっそく地図を確認した。


 どうやら我々がいるのは、カリブ海で2番目に大きい島、エスパニョーラ島みたいだな。


 このことは、航海日誌に上陸の喜びと共に書き記した。



 翌朝、現地の住民と遭遇した。


 浅黒の肌をした、上半身が裸の男たち。手には槍を持っている。背は……、俺たちよりも低いな。顔のしわと額の広さから大人なのは間違い無いだろう。


「シアカパム?」 何を言っているのかわからないが、我々を警戒していることはわかる。武器は構えていないものの、顔が険しい。


 俺は武器を置き、両手を広げて男たちへと近づいていった。

「ようっ! 初めてだな。俺たちに害意はない」


 相手の身分がわからないため、どう声をかければよいかわからないが、まぁ、こんなところだろう。どうせ言葉は通じないのだ。ボディランゲージの添え物だと思えば、どうでもよかろう。


「エイリーク様、危険です。ここは私が交渉役となります」

「ええい、うるさい。ジャン=ステラ様から任されているのは俺なんだ。お前たちはここで待て」


 護衛がごちゃごちゃ言っているが無視だ、無視無視。俺だって危険なのはわかっている。


 それに出発にあたりジャン=ステラ様からは、現地民を刺激するな。友好的な関係を築くことが大切だと何度も念を押されている。


 実際、カナリア諸島で原住民と揉めたバイキング仲間に対して、ジャン=ステラ様は「このお馬鹿者め~!」と呪詛じゅその言葉をもらしていたほどだ。


 であるならば、だ。ジャン=ステラ様の意向を一番知っている俺がいかねばなるまい。


「アパヤンカム!」


 なにを言っているか分からん。分からんが、気にせず近づく。笑顔を絶やさねば、言葉が通じずとも交渉の第一歩は成功するものだと、俺は経験から知っている。


 ニコっと笑いかけ、中心人物と思われる男に右手を差し出す。


「おうおう、よろしくなっ」

「アパダッスムグ?」


 相手は俺の右手を不審げに眺めるだけで、手を差し出してこない。

 ああ、そうか。握手あくしゅの習慣がないんだな。


「おう、これは握手だ。武器を持っていないことを示す友好の証だぞ」


 相手の右手を握りしめ、強引に握手をかわす。

 最初は驚いていた男も、俺の手を強く握りしめてくる。


「そうそう、それでいい。って力比べじゃねえっ!」


 いくらなんでも強く握りすぎだろうっ!っておもわず叫んだら、上半身裸の男たちが全員、声を出して笑っていた。


 なにがツボに入ったのかわからんが、これでいい。

 ファーストコンタクトは成功裡せいこうりに終わったと思う。


 おれの感覚は正しく、その後はトントン拍子にことは運んでいった。


「第一部隊は俺と共に来い。あとは副長、お前に任せた」

「はっ!」


 彼らに導かれ、俺たちは丘の上にある集落へと到着した。


 いや、集落というには大きいか。木の柵と堀をめぐらした村落は、アルベンガ離宮の村よりも明らかに人が多い。まず1000名は下るまい。もしかすると2000人が住んでいるかもしれない。


 人口の多さにも驚いたが、それよりも女性の服装に驚いた!


 どうやら船員たちも気づいたようだ。

「なぁ、あれ。女を見てみろよ」

「は? 村なんだから女がいるのは当然だろう。それともベッピンさんでもいたのか?」

「いや、服だ、服。女も上半身裸なんだよ」

「な、なんだってー!」


 年若い船員なぞ、驚きで目を見開いている。いや、ギラついているといった方がよかろうか。


「おい、口からよだれが出ているぞ」

「エイリーク様、申し訳ございません。ですが、あれを見て興奮しない奴は男じゃありませんぜ」


 村落へと案内してくれた男たちは上半身に服をまとっていなかった。だが、それは女どもも同じだったのだ。


 胸元をぺろーんと隠しもせず、こちらを見てなにやら声を上げ、きゃっきゃと嬉しそうに笑っている。

 その光景のなんと魅力的なことか。


「おれもそう思うが、大切な交渉前なんだぞ。前屈みになるなっ! 気合いで押さえろ!」

「そんな、無茶な……」

「無茶じゃない! よく見てみろ。ほとんどが垂乳根たらちねの母だろうがっ。お前のかあちゃんとおなじだぞ」


 まったく、若い者はなっとらん。女の胸に釘付けになっていて周りを観察できておらんではないか。俺を見習え、とはいわんが、ちょっとは頭を働かせろよ。ここでトラブルはごめんだぞ。


「いいか、皆のもの。ヘッドバンドをつけているのは未婚だ。スカートを履いているのは既婚だ。決してスカート女性に手を出すな。わかったな!」


 そんな俺の観察眼に対して、疑いの目がかかる。


「エイリーク様、どうしてそのようなことが分かるのですか?」

「そんなの簡単だろう。タラチネは全員スカートを履いている!」


 ドヤ顔で決め言葉を吐いたというのに、笑いの渦が立ち上がった。


「なーんだ、エイリーク様も胸ばっかり見ているじゃありませんか!」

「そりゃそうさ、おれだって男だからな」


 ニヒルに笑う俺に、再度の笑い声がふりそそぐ。


 よしっ、これでいい。想定よりも大きな村落で気を呑まれかけていたが、これで五分ごぶの交渉に持ち込める。


 身振り手振りでの交渉は面倒ではあったが、お互い満足のいく物々交換ができたと思う。


 特に人気が高かったのが鉄の剣と、鉄の槍先。


「たしか新大陸には鉄がなかったはず。鉄製の武器は大人気商品になると思うよ」


 ジャン=ステラ様がおっしゃったことは真実であった。


 鉄は錆びやすいから、航海中の手入れがとても大変なんだよなぁ、と内心ボヤいものだったが、苦労して刀身に油を塗り続けた甲斐があったというものだ。


 そして、きんはさほど人気がなかった。正確に言おう。インゴットに高値はつかなかった一方、ソリドゥス金貨は驚異的な高値となった。


 皇帝の横顔が彫られたコインが物珍しかったのだろう。村長がいくどもコインの表面を指でなぞっていた。


 そして、我々が手に入れたのは食料。

 我々が食べる分と、そしてジャン=ステラ様が所望されたコーンとさつまいも。


 残念ながら手に入ったのはコーンのみ。さつまいもと思われる植物はなかった。そして常日頃、我々が食べている食料もなかった。


「ありえない...…」

「なんてことだ、小麦がないとは」

「おお、神よ。あなたが糧として与えたもうたパンがこの地にはございません」


 小麦がない。大麦、ライ麦もない。えん麦すらないのだ。

 その事実を知った船員たちが嘆きの言葉を空へと解き放つ。


 それは私も同じだった。

 この地には神の恩寵が届いていない。だから、麦がないのだ。


 いや、まてよ。


「そうか! ジャン=ステラ様は神に見放されていた大陸に、恩寵を届けようとなされているのだ。


 おお、神よ! イエス=キリストよ、預言者ジャン=ステラ様よ!」


 私は思わず祈りの言葉を口にしていた。

 そうだな、このことは航海日誌にも書いておくとしよう。



 その後、村での物々交換は大盛況だった。いや、大盛況すぎるほどだった。


 三日三晩の宴会が続いたのち、四日目からは近隣の村落からも我々の品を求める者たちが続々と押し寄せるようになった。


 村民たちは鉄の武器を欲しがり、偉そうな者は金貨を求めてくる。

 しかしながら、我々はもう欲しい物がないのだ。


 既に今後の航海に必要な食料は手に入れた。見知らぬ植物もそれなりに購入した。そして彼らが持ってくる品々にはヨーロッパで高値になるようなもの、たとえば宝石は含まれていないのだ。


「木彫りの像はもういらない。貝の首飾りは不要だ」

「ケナパカム ティダク メンガンティダヤ!」


 何を言っているのかわからぬが不満を示しているのは理解できる。


「ダメなものはダメなのだ!」

 大声での威嚇いかくを必要とするような商談は、商談とはいえない。


 そろそろ、この地を去るべきであろう。

 そう判断した俺は、村長に明日去ることを告げた。


「俺たちは明日、出港する」

「マリキタ メガダケン ペスタ テラックイル」


 意味が伝わったのか不明だが、最後に宴会を開いてくれることとなった。


「副長、お前には悪いが明朝、出航できるよう手筈を整えておいてくれ」

「承知いたしました。エイリーク様、夜はあまりお励みになりませんように。明日に差し支えても私は知りませんからね」

「その言葉は若い者に言ってやれ。おれは禁欲を貫いている」


 俺は性病の恐ろしさをジャン=ステラ様直々じきじきに教えられたのだ。ヨーロッパに戻るまで我慢、さらに我慢なのだ。


「新大陸には梅毒っていうこわーい性病があるんだよ。バラみたいな発疹ほっしんが全身にでて、最後は死んじゃう。エイリークだけでも気をつけてね。いい、赤いバラの模様が体に浮き出ていたら逃げなきゃだめなんだからね」


 幸いなことに村落の男女共に、すくなくとも上半身にバラ模様のある者はいなかった。

 そのことに俺は心から安堵する。


 出会った現地民が上半身を裸で過ごす民族で、ほんとうに助かった。全員の服をひん剥くような荒業をせずとも確認ができた。


 これで梅毒をヨーロッパに持ち帰らずに済む。ジャン=ステラ様のお叱りを被らずにすむことだろう。


「エイリーク様は、身体中を撫で回すような視線で女性の上半身をくまなくみていたぞ」

「それどころか、男の上半身も舐め回すようにみていたぞ。もしかして男性もいける口なのでは?」


 不名誉な噂が船員の間で流れてしまったようだが、ジャン=ステラ様の御不興をこうむる事に比べたら微々たる問題だからな。


 村落の広場から、太鼓と歌声が聞こえてきた。

 そろそろ宴会が始まるのだろう。


 さてと、俺も広場へ向かうとしようか。


 ーーーー

 あとがき

 ーーーー

 北緯二十度。ドミニカ共和国のあるイスパニョーラ島に到着しました。

 イスパニョーラはスペインという意味のため、「スペインの島」という意味になりますが、そのままイスパニョーラ島にしています。


 理由? ジャン=ステラちゃんがイスパニョーラ島って地図に書いちゃったから。

「新しい島の名を考えるの面倒だったんだもん」


 しかし「アメリカ」大陸という名前は出していないのです。

「さすがに大陸名はねぇ……」 という事らしいのです。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 新大陸から旧大陸へともたらされた病気の一つに梅毒があります(諸説あり)。この梅毒にかかると、バラのような赤い発疹ほっしんが全身に現れます。


 これを隠すため、胸元や肩、背中を露出させた艶やかなドレスが流行したとも言われています(大阪府医師会web)。「私は発疹のない、健康的な体の持ち主ですよ~」とアピールするための露出系ドレスだったのかもしれませんね。


 この小説を書きすすめるにあたり、旧大陸から新大陸へもたらされた疾病(天然痘、インフルエンザ等)について言及するコメントはいくつも頂きました。しかし逆のパターン、すなわち新大陸から旧大陸へもたらされた疾病についてのコメントはついぞ頂いた記憶がございません。


「じゃあ、書かないとね☆彡」と、梅毒の懸念をちょっとだけですが、挿入してみました。


 今後もジャン=ステラちゃんのお話をお楽しみいただけましたら幸いです(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾

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