第217話 滝と製鉄(前編):最も身近な狂信者

 1064年3月中旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


「滝つぼから風が吹いてくるでしょう? これで鉄を大量生産してみよう!」


 うん、我ながらいいアイデアを思いついたと思うのだ。


 ここは、アルベンガ離宮の近くにある製鉄所。先日の社会見学に引き続き、今日は鉄を作る現場を視察中なのです。


 視察とめいっているのは、受け身でよかった社会見学と違い、鉄の生産量を増やすために知恵を絞ろうと思っているから。


 だって、エイリークに鉄の船を作るよう頑張ると約束しちゃったからね。


 そのエイリークは二日前、新大陸へと旅立っていった。


 シチリア島から大量のレモンが届いたとたん「一日たりとも無駄にはしません」ってすぐに出発すると言い出したのだ。


 そして大西洋横断するだけでも大変だというのに、

「必ずやトマトを持ち帰ります!」

 って胸をドンッと一つ叩き、僕が一番欲しい成果を請け負ってもくれたのだ。


 そんなエイリークの言葉がとっても嬉しかったから、ついつい僕も

「鉄の船が作れるように僕も頑張るね」

 って言っちゃった。


 それが、今日の製鉄所視察へと繋がったというわけ。


 ただ、エイリークの言葉に水を差すわけではないけれど、一回目の航海でトマトは持ち帰ってこなくていいよ、と強く言ってある。


「エイリーク、その気持ちはとっても嬉しいよ。だけど、まずはカリブ諸島にたどり着いたらヨーロッパに戻ってくること。トマトは二回目以降でいいからね」


 なぜエイリークに念押しをしたかというと、大西洋横断して最初に到達するカリブ海諸島にトマトはないのだ。トマトを手に入れるためには、カリブ諸島を越え、メキシコのユカタン半島までいく必要がある。いきなり中米まで行くのは、さすがに無茶というもの。


 一回目の航海では、ヨーロッパのはるか西方に陸地があることを実証してくれればそれで十分だと僕は思っている。


 ということで、今日の視察にエイリークは参加していない。そして、さらに残念なことにアレクちゃんもアルベンガ離宮でお留守番。


「ジャンお兄ちゃん、僕も一緒に行きたいよー」

 僕が離宮を出発する時、玄関まで見送りに来てくれたアレクちゃんは泣きそうな顔をしていた。


 僕だってアレクちゃんと一緒に視察したかったよ。


 けれども、同じく泣きそうな顔をしたアレクちゃんの付き人たちが、「ジャン=ステラ様、お願いですから同行を許可しないでくださいませ」って目で訴えていたのだ。


 まぁ、アレクちゃんは造船現場の社会見学にエイリークの同行を簡単に許可だしちゃったり、僕におねだりしちゃったりと、いろいろとやらかしちゃったからね。付き人たちが不安になるのも分からなくもない。


「ごめんね、アレクちゃん。今日は社会見学じゃなくて視察なの。僕もお仕事がんばってくるから、アレクちゃんはしっかりお勉強していてね」


 ちなみに、アレクちゃんの同行を許可しない方がいいという点は、アデライデお母様も同意見だった。


「アレクシオス様がもう少し分別を持つ年齢になるまでは、あまり表に出さない方がいいわね」


 王族たるもの、自分の言葉一つ一つの影響力が大きい事を理解しないといけない。特に許可を与える時は、どこにどう関係してくるのかについて、考えなければいけないのだ。そう切々とお母様が語ってくれた。


「お母様、それではアレクちゃんはどうすれば、外に出られるのですか」


「アレクシオス様が謁見えっけん者に対して、直答したくなる気持ちを我慢できるようになることが条件、かしらね」


 なるほど、なるほど。アレクちゃんがうっかりと口を滑らさなくなるまでは無理、ということですね。


「王族って大変なんですねぇ」


 アレクちゃんの苦労を思うと、溜息がもれてしまいそうになる。


 アデライデお母様の口から説明されることにより、東ローマ帝国の王族であるというアレクちゃんの立場って重いものなんだと、僕は改めて実感した。


 しかし、そんな僕に対して、お母様が不満そうな顔を向けてきた。


「あら、辺境伯だって大変なのよ。特にあなたような息子をもった母ならね」


「えええっ!」


「だって、そうじゃない。次の瞬間に何を言い出すのか、私にはさっぱり分からないもの」


 それどころか、言い出した言葉の意味を理解できないことの方が多いらしい。


 ううぅ。僕に対するお母様の評価が低い。


「お母様のいけずぅ」


 そう口にした所で、ふと、ある事に気づいた。


「そういえば、お母様から言動についてあまり注意された記憶がないのですが、それはどうしてなのですか?」


 アレクちゃんに対して直答を禁じた方がいいとお母様は主張している。しかし、同じように危なかっしい言動を繰り返す僕だけど、口を閉じろとは言われたことはない。


「それは、当然でしょう。神の言葉を伝えるために貴方は生まれてきたのですから。預言をさえぎるような真似まねは怖れ多すぎて、私にはできません。


 私に出来る事といったら、そうですね……。


 ジャン=ステラの尻ぬぐいをすることくらいかしら」


 マティルデお姉ちゃんの事もそうだし、ユーグの事もそう。教皇と揉めたり、神聖ローマ皇帝とも揉めたでしょう、とお母様が指折り数えて僕のやらかしを列挙してくる。


 うぐぐぅ。そんな風に並べられると、僕って全方位に喧嘩けんかを売ってたんだなぁ、と今更ながら理解した。


「お母様に返す言葉もございません」


 僕としては恐縮しつつ頭を下げることしかできない。


「あら、ジャン=ステラ。そんなにかしこまらなくてもいいのよ。だって預言者なのですもの。私は全力で貴方あなたを支えます。だから、あなたは預言者の責務を全うしてくださいな」


 僕の手を優しく包み込みつつ、お母様がまるで聖女のような微笑ほほえみを浮かべていた。


「お母様、ありがとうございます」

 僕としては顔をちょっと引きつらせながら、感謝の言葉を返すことしかできなかった。


 お母様が考えている僕の「責務」って、例えば全キリスト教徒を対象とした救済とか、天国へのいざないいとかっていうご大層な宗教的使命感だよね。


 一方で実際の僕がやっている事といったら、トマトを手に入れるとか、マティルデお姉ちゃんを婚約者から奪い取る、とか個人的な欲望まっしぐら。もう恥ずかしすぎて穴を掘って入りたくなってきた。


 そして、世界人類のためだと思って僕の尻ぬぐいをしているのだとしたら、お母様に申し訳なさすぎる。


 そこで、恐る恐る、お母様に本当の僕の姿について話すことにした。お母様の好意を利用しすぎているみたいで、自責の念に耐えられなくなりそうだもの。


「あのね、お母様。僕の行動って、お母様が考えているような高尚なものではないんですよ。本当に僕って欲望まみれなんです」


「あら、それがどうしたというのです?」


「へっ?」


 お母様の思いがけない言葉に、間抜けな声が出てしまう。しかしお母様は真面目も真面目、大真面目なのだ。


「あなたがどのような行動をしようとも、全知全能である神は全てお見通しなのです。


 あなたが欲望にまみれていると言うなら、その欲望こそが預言者であるジャン=ステラをこの世につかわした神の望みであり、その行動は貴方の責務へと繋がる唯一の道なのですよ。


 ジャン=ステラ。貴方は貴方の思うままに生きなさい。私はあなたの母として、あなたを全力で支援します。これが、神から与えられた私の使命なのですよ」


 僕が思うままに行動する事が、お母様のためでもある。


 そういう事らしいけど、僕にとっては内容が重すぎる。


 僕の欲望こそが神の思し召しだとか、いくらなんでも度が過ぎるというもの。


 このままでは、ピザを食べる事と、マティルデお姉ちゃんと僕の結婚を支援することが、神から与えられたお母様の使命になっちゃうよ? 僕の私利私欲に振り回されることになるのだけど、お母様はそれでいいのだろうか。


 そんな僕の思考とは無関係に、お母様は話題を強引に元へと戻してきた。僕もこれ幸いにと思考を放棄して、お母様の話題転換に迎合しよう。


「でもね、当面の間、アレクシオス様と一緒の行動は避けた方がいいわね」


「どうしてですか?」


「ジャン=ステラは、アレクシオス様のお願いを聞き届けようとするわよね。それが良くないのよ」


 だって、可愛い子には逆らえないんですもの。


「でもね、アレクシオス様の願いは、あなたの願いではないのよ。あなたの心の底から湧き出る願いこそが神の思し召しなのです。つまり、ジャン=ステラ。あなたは自分の心にのみ忠実であるべきなの。私はそう信じているのです」


 思考放棄、しこうほうき。深く考えちゃだめ。もう神とか預言者とか今更のことでしょう?


 神は神で、僕は僕。気にしたら負けだもん。


 ピザを食べる事、そしてマティルデお姉ちゃんとの結婚をアデライデお母様が応援してくれている。

 今はそれだけでいい。


「お母様、わかりました!

 アレクちゃんに浮気せず、ピザとマティルデお姉ちゃんの事だけを考えることにしますね」


 まずはピザのため、鉄の大量生産にチャレンジしよう。


(続く)

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