第216話 社会見学の顛末

 

 1064年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 アルベンガ離宮前に広がる地中海の浜辺で、今日は楽しく造船現場の社会見学、だったはずなんだけどなぁ。


 見学者に鋭い質問が飛んでくる社会見学なんて存在しない。今日までそう思ってました。


 地中海で広く使われているガレー船は風を使って風上に進めない。一方でノルマン人のロングシップは風上に進める。これはなぜか?


 こんな難しい質問で僕を追い詰めてくるのは、邪気のない笑顔のアレクちゃん。


「ねえ、ジャンお兄ちゃん。どうして風上に進めるの? エイリークが知らなくても、お兄ちゃんなら知っているでしょう?」


 僕なら知っていると信じている、アレクちゃんの期待のこもった視線が痛い。突き刺さるように痛いのだ。だってわからないんだもん。


 ちなみに、視線の主はアレクちゃんだけじゃないんだよね。エイリークも、そしてギリシアの船大工たちも僕の解答を待ち望んでいる。


 注目を浴びるのにはだいぶん慣れてきたけれど、この状態はつらい。いくら僕が前世の知識を持っているといっても、習ったことない内容までは答えられないんだもん。


 でもさ、アレクちゃんは僕が答えられると信じてくれている。だったら、お兄ちゃんとしてこの期待に応えたいっ!


 なんとか知っている知識から答をひねり出せないか、頑張ろう。だって「お兄ちゃんすごいっ」ってアレクちゃんに褒められたいんだもの。


「えっとね、ロングシップの方がまっすぐに進もうとする力が強いと思うんだ」

「まっすぐ?」


 アレクちゃんが「よくわかんなぁい」と首をひねり、上目遣いで僕を見てくる。その無邪気な仕草に、思わず心がどきっとねちゃった。将来は女の子をたらしこむ悪い美男子にならないか、今から心配になっちゃうじゃない。


 そんな可愛いアレクちゃんはさておき、実のところ僕自身「まっすぐに進もうとする力」が何なのか、理解しないまま話していたりするんだよね。


 ロングシップは風上に向かって進める。エイリークが言うとおりなら、その理由は船底の形にある。だとしたら、船底で前後方向に伸びる木材である竜骨キールが水の抵抗を受けて、左右方向に進みづらくしているんじゃないかな。


 例え話にするなら竜骨キールが自動車のタイヤの役割みたいになっていて、船が前後方向に進みやすいんだと思うのだ。斜めから風吹いても、竜骨キールの向きにしか進めない。これが理由の一つなのかな、と。


 僕の頭で思いつけるのはその位で限界。理論を思いついたのなら、あとは試してみればいい。


「そうだねぇ、ちょっと実験してみようか」


 今日は社会見学なんだもの。ついでに実験してみるのもいいんじゃないかな。そう思いついた僕は、「たらいを持ってきて」と従者のファビオに指示を出した。


 早速たらいに水を張ってもらい、そこに葉っぱを1枚浮かべる。


「水の上に葉っぱを浮かべるでしょう」

「うん、浮かんでるね」

「その葉っぱに息を吹きかけたら、口と反対側に動くよね」

「動く動く~」


 葉っぱが動くのを見たアレクちゃんの声が弾んでいる。


「この葉っぱが、船底が平たいガレー船なの。次に葉っぱを二つ折りにするよ」


 葉っぱを2つに折ることで、ロングシップの断面である下向き三角形▼を模倣する。つまり、葉っぱの折り目がロングシップの前後方向となるわけだ。


「折った葉っぱを浮かべて、さっきと同じように息を吹きかけるよ。そーれっ」


 さきほどと同じように、ふぅーっと、葉っぱに息を吹きかける。ただし葉っぱの折り目に対して45度の角度をつけて吹き付ける。


 あとは風向きと違う方向、つまり折り目方向に葉っぱが動いてくれたら、実験成功。


「こんども動いた~」


 息に吹かれて動いた葉っぱをみたアレクちゃんが、先ほどと同じように嬉しそうな声をあげる。


 そして葉っぱも先ほどと同じように、折り目を無視して、口と反対側の風下方向へと一直線に動いていた。


 あちゃぁ、実験大失敗。折り目なんて全く関係ないじゃない! 


 じゃあ、どうしてロングシップは風上に向かって進めるの? 「なんで?」「どうして?」との疑問が頭をぐるぐる駆け回っている僕の袖を、アレクちゃんが引っ張ってきた。


「ジャンお兄ちゃん、楽しいね、もっと遊ぼ~」


 ええー、アレクちゃん、ちょっとまってよ。ロングシップの事はどうするの?


 どうして風上に動けるのかを知りたかったんじゃなかったの?


 でも、実験に失敗しちゃったしね、誤魔化すにはちょうどいいのかもしれない。


 だけど、周りの視線がちょっと怖い。エイリークとかギリシアの船大工さん達は誤魔化されてくれないよね。僕は意図的にエイリーク達を見ないようにしつつ、アレクちゃんと遊ぶことにした。


「そうだね、今度は葉っぱをひっくり返したり、いろんな形に切って遊ぼうか?」

「わーい」


 とアレクちゃんは元気いっぱい。


「葉っぱを2つ重ねたらどうなるかな?」「いくつ石を乗せたら葉っぱは沈むかな?」

 アレクちゃんは、自分で考え出したいろいろな遊び方を披露しては、一人で楽しんでくれていて、僕はそれをほぼ見守るだけ。


 それでもアレクちゃんはとっても楽しそうで、実験失敗で動揺した僕の心をいやし続けてくれる。


 そんな時間が少し経ったあと、アレクちゃんは葉っぱに飽きてきたみたいで、「木を浮かべたらどうなるかな?」って言い出した。


「そうだねー。船大工さん達にガレー船とロングシップの小さい模型を作ってもらおうか」


 ちっちゃい男の子ってミニカーや飛行機など、乗り物の模型って大好きだよね。船大工さん達の仕事を増やすことは申し訳ないけど、アレクちゃんのために頑張ってほしい。


「あ、そうだ。アレクちゃん。葉っぱや木は水に浮かぶよね」

「うんっ」

「じゃあ、鉄は浮かぶ?」

「えー、浮かばないよ。だって鉄の剣は重いもん」


 ふっふっふ。フィーッシュ! アレクちゃんが釣り針にかかってくれたよ。


「そうだね、鉄の剣は沈むの。でもね、船の形にした鉄は浮かぶんだよ」


「「「えええーーー」」」


 おいこら、アレクちゃんだけじゃなくて、エイリークや船大工達まで驚愕きょうがくの声を出すのはだめでしょう。


 古代ギリシアのアレキメデスがそんな実験してたよね。それから1000年以上も時間が経っているというのに、なぜエイリーク達が知らないのかな。僕の方がびっくりだよ。


 でも、これはいいチャンス。さきほど失敗した実験の汚名返上のいい機会がさっそく訪れた。


「お椀型にした鉄は浮かぶんだよ。こんど鍛冶屋さんに作ってもらって一緒に実験しようよ」

「わーい、またジャンお兄ちゃんと遊べるんだね。僕、とっても嬉しいな」


 これで、アレクちゃんとの社会見学も終わり、と従者達に帰り支度を指示したところで、エイリークからお願いが飛んできた。どうやら、僕とアレクちゃんが話終わるのを待ち構えてみたい。


「ジャン=ステラ様、鉄の船を作っていただけませんか?」

「模型じゃなくて?」

「はいっ! 鉄製のロングシップをあやつってみたいのです」


 うーん、作れるかなぁ。鉄の船。


 ちょっと考えてみるけど、無理だよね。だって鉄ってすぐにびちゃうもん。さび防止の塗料とか、ステンレスとか、いろいろと考えるべき事が多すぎる。


 それに、鉄で船を作るなら、一体何トンの鉄が必要になるのやら。


 10トンとか100トンの単位で必要になるだろう。しかし、それだけの鉄を作る能力があるとは思えない。だって、僕の周りでさえ鉄製品ってほとんどないもん。


「エイリーク、残念だけど、今は無理だよ」


 鉄の船は、鉄の大量生産ができるようになるまでお預けにせざるを得ない。


 だというのに、エイリークは全然諦めてくれない。


「ジャン=ステラ様、『今は』ということは、将来ならば望みがあるのですよね!」


「う、うん。望みはあるけど……」


 鉄の大量生産ってどうやるんだろう。タタラ製鉄なら映画で見たことはあるけど、あれって間違っても大量生産じゃないよね。


 そんな僕の逡巡なんてエイリークはまったく頓着とんちゃくしていない。


「できますれば、私が生きている間に作成いただけましたら幸いにございます」

「まぁ、それなら、なんとか?」


 あと10年後か20年後か。それだけの時間があれば、なんとかなる、のかなぁ。


 エイリークは新大陸まで命を懸けて航海してくれるのだ。僕だって、なんとかなるなら、報いてあげたいとは思っている。だから鉄の量産について検討くらいはしてあげたい。


 それに、鉄は国家なりって昔の人は言っていた。鉄がたくさんあれば、みんなが元気で幸せな国になれるかもしれないよね。うん、ちょっと頑張ってみようと思えてきた。


 そんな事を考えていたらエイリークに続き、ギリシアの船大工達も嘆願たんがんの声をあげていた。


「アレクシオス様、ジャン=ステラ様。ぜひ私どもにもお慈悲じひを分け与え下さいませ」


 エイリークに鉄の船を作ってあげるのって「お慈悲」なのかな?

 まぁ、今は深く考えるのはやめておこう。


 最初に名前を呼ばれたアレクちゃんが、具体的に何が欲しいのかを聞いていた。


「みんなは、どんなお慈悲が欲しいの?」


「ノルマン人の船よりも速い船をお願いします」


 首をすこし傾けて考えていたアレクちゃんだったが、すぐに諦めちゃった。そして、僕に話をふってきた。


「うーん、僕わかんない。でも、ジャンお兄ちゃんならきっと知っているよね。大工さんたちに教えてあげて☆」


 アレクちゃんが、疑うことを知らないキラキラした目で僕の顔を覗き込んでくる。


「えっ、僕?」

「うん、だってお兄ちゃんは預言者なんだもの」


 えー。まじかぁ。またかぁ。先ほどはノルマン人の船の秘密を暴けなかったから、今度はアレクちゃんの期待に応えたい。そう思ってはいるんだよ。だけど船の知識なんて持ち合わせてない。さきほどと同じく失敗する姿が容易に想像できてしまう。


「速い船かぁ」


 ぼそっとつぶやいた僕の独り言に、アレクちゃんが反応した。


「ジャンお兄ちゃんなら、もっと速く走る船を知っているでしょう。僕もそんな船に乗りたいなぁ」


 わくわく。そんな言葉を体現してくるアレクちゃん。一方の僕は歯切れが悪くならざるを得ない。


「うーん、知ってはいるんだけどね……」


 前世の船ならノルマン人のロングシップよりも速いだろう。水中翼船やホバークラフトならもっと速いはず。

 しかしながら、どちらの船も人力じゃない。エンジンの力を使って進んでいる。


「知っているのなら教えてほしいなぁ、ね、ジャンお兄ちゃん」


「教えることはできるけど、作れるかはわからないよ。それでもいい?」


(エンジンって、11世紀の技術で作れるものなのかな)


 そんな疑問が浮かぶ中、渋々というていつむぎ出した僕の言葉に、船大工達が喜びを露わにしてくる。


「もちろんでございます、ジャン=ステラ様。我々に作れないのなら、それは我々の技量の問題でございます。ぜひとも、我々にお慈悲をくださいませ」


「みんながそこまで言うのなら、教えるけどね」

「「うぉーー!」」


 アレクちゃんやエイリークも含め、その場にいたみんながドッと歓声の声をあげたけど、僕の心は不安の塊。本当にできるのかなぁ。


 ピストンを動かすエンジンの原理はよくわからないけれど、蒸気機関のエンジンなら知っている。


 たくさんの水を沸騰させ、気圧を上げた水蒸気で風車ふうしゃを勢いよく回せばいい。あとは、風車が回転する力をつかって、船尾のスクリューを回せば船は前に進むだろう。


 スクリューが無理なら外輪船でもいい。大きな水車を船側の両側にとりつけて回せば、前へと進むだろう。琵琶湖の観光船がそんな船だったとの記憶もある。


「今ここで教えるのは難しいから、あとで図面を羊皮紙に書いて渡すことにするね」


 蒸気機関の原理くらいなら、なんとかなるかもしれない。でも、これでロングシップよりも早い船ができるのかなぁ。


 鉄の船を作るために鉄の増産も考えないといけないのに、さらに蒸気機関まで作るのかぁ。


 とんでもない社会見学になっちゃったね。


 でも、ま、いいや。


 離宮に戻る道すがら、僕の手を握りつつ「ふんふんふーん」って鼻唄はなうたを歌っているアレクちゃんを見ていたら、頑張ろうって気が湧いてきた。



 ■■■ 嫁盗り期限まであと1年5か月 ■■■


 マ:マティルデ・ディ・カノッサ

 ジ:ジャン=ステラ


 マ:ジャン=ステラ、浮気はだめなんだからねっ!

 ジ:??? アレクちゃんは男の子だよ?

 マ:だったらなおさらダメよ、だめっ!

 ジ:BL?

 マ:禁断の園になんかに走らせるものですか!

 ジ:大丈夫、僕が好きなのはマティルデお姉ちゃんだけだもん☆

 マ:ととと、当然よね


 ーーーー

 あとがき

 ーーーー


 ヨットが風上に向かって行くためには、キールと呼ばれる船底の板も重要ですが、まずは動力源となる帆の形状が重要です。風をはらんだ帆が膨らむことにより、飛行機の翼のような形状になります。すると飛行機を空に浮かべる力である揚力が、ヨットの帆にも発生します。これが風上へとヨットを走らせる動力になるのです。


 その上で、船底に取り付けられたキールによって発生する揚力が効力を発揮します。帆の動力だけではどうしても風下側へと強く流されてしまうのですが、水面下のキールによって風上側へと向かう力を生み出せます。


  しかし、そんな難しいことを専門家でもないジャン=ステラちゃんが知る由もないですし、ロングシップにヨットのキールとなる長い板も取り付けらえていないのです。


※本日で初投稿から2年が経ちました。長い間、皆様が読み続けていたおかげで連載を続けられました。ここに厚く御礼申し上げます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾

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