第218話 滝と製鉄(後編)

 1064年3月中旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ



 今日は製鉄所の視察に来ている。


「ジャン=ステラ、ピザのためにどうして鉄が必要なのですか?」

「エイリークのやる気を維持するためなのです、お母様」


 どうして製鉄所に行くのかと、お母様は不思議がっていた。


 製鉄は、僕の願いであるピザと直接的には関係しない。ピザを焼くかまどだって石製で、鉄製じゃないものね。


 鉄と関係するのは、エイリークの願いである鉄製の船になる。


 エイリークは僕のため、ピザの材料として欠かせないトマトを手に入れるため、大西洋を横断してくれているのだ。


 一度目の航海でトマトがゲットできたら嬉しいけれど、きっと無理だろうと僕は思っている。だって、トマトはメキシコの植物だもの。


 最初の航海では、カリブ海からトウモロコシを持って帰ってこられたら上出来なのだ。


 それにトマトの後もエイリークにお願いしたい計画がひかえている。なにせ、ジャガイモがあるのは南米大陸の南端の方なんだもの。


 カリブ海でコーン。中米メキシコのユカタン半島でトマト。南米のアルゼンチンからジャガイモ。


 3つの野菜がそろえば、究極で至高のじゃがマヨコーンピザが食べられる。しかし、この3種の神器、じゃなくて神野菜を全部集めるまでに、エイリークは何回大西洋を横断することになるのだろう。


 その苦労を思えば製鉄に知恵をしぼるくらい、なんてことない。


「ふぅふぅ」と息を切らしつつ、川沿いの道を登っていく。


 製鉄所の場所はアルベンガ離宮からみて南東方向にある山の中腹に位置している。


「鉄作りを山の中で行うのには、いくつかの理由がございます」


 今日、鉄の作り方を僕に教えてくれるのは、新東方三賢者の一人であるニコラス副輔祭ほさいである。ハンガリー戦役が終わった後、東ローマ帝国で使われている最新式の製鉄所をアルベンガに作ってくれた。


「一つ、燃料のとなる木を得やすいこと」


 鉄鉱石から鉄を取り出すには、大量の木炭が必要だとニコラスは言う。出来上がる鉄の重さの10倍に相当する木炭を消費するのだとか。


 そういえば製鉄のせいで、19世紀ごろにヨーロッパ中から森林が消えたんだったっけ。


『ドイツのシュバルツバルト(黒い森)は鉄と引き換えに失われました。工業生産のため鉄が必要だったとはいえ、自然環境の保護が大切な理由の一端がここにあります』

 高校の歴史総合で習ったことを、うすぼんやりと思い出した。


「一つ、水量が多く、流れが急な川があること」


 その理由は、水車を動力源として使うため。


「イタリアと違い、ギリシアでは製鉄に水車を使うのです」

 ギリシア出身のニコラスがほこらしそうに説明してくれる。


 大きな水車を使うため、水が多くて流れが急な場所に製鉄所を作ったらしい。


「ねえ、ニコラス。水車は何に使うの?」


「こちらをご覧ください。鉄を作るための炉です。炉に強い風を送り込むのに水車を使います」


 ニコラスが指さす先には、高さ3メートルほどの筒形の構造物がある。


 この筒、すなわち製鉄炉の上部から鉄の原料となる鉄鉱石と木炭を次々と投入する。そして、その底部から空気を吹き込むのだ。


 キャンプで料理を作る時、かまどの火をウチワであおぐと、強く燃えあがる。これと同じで、製鉄炉に空気をたくさん送り込むことで炉内の温度を上げ、鉄鉱石を溶かすのだ。


 僕の前にある製鉄炉には、大きなフイゴが取り付けられていた。


 二枚の板の間に皮袋が取り付けられているフイゴは、板を外に引くと皮袋に空気が吸い込まれ、板を押し合わせると勢いよく空気が送り出される道具である。


「イタリアではこのフイゴを人が動かしていました。ギリシアでは水車を使ってフイゴを動かすのです」


 水車の動力を使うことにより、人力よりも強い風を製鉄炉に送り込める。


 ニコラスによると「強い風」という点が重要なのだとか。


「風が弱いと、炉の高さが低くなります」


 炉内には鉄鉱石と木炭がつまっているため、弱い風では炉の上部まで風が通らない。大きくて高い炉ほど強い風が必要になる。


「ご覧ください、この炉の大きさを。イタリアにあるどの炉よりも大きいと自負しております」


 むふぅ、ってニコラスが鼻息も荒く自慢してくる。


 まるで小さい子供が「みてみて、僕のおもちゃすごいでしょう!」って見せびらかしているような感じがして、ニコラスを眺めるぼくの頬もゆるんできた。


「うんうん、すごいおもちゃだね、いい子いい子」って褒めてあげたくなっちゃうぞ。まぁ、ニコラスは初老のおじいちゃんで、こどもとは程遠いんだけどね。


「ねえ、ニコラス。つまり強い風を作ることが鉄作りのキーポイントということであってる?」

「さすがジャン=ステラ様。要点をつかむのが早うございます」


 鉄をたくさん作るためには大きな炉が必要で、大きな炉には強い風が必要になる。


 ということは、鉄の大量生産には、強い風を作ればいいってことだよね。


「ねえ、ニコラス。もっと大きなフイゴを作ったら、もっとたくさんの鉄を作れる?」

「いいえ、残念ながらそれは難しゅうございます。これ以上フイゴを大きくしても、強い風にはならないのです」


 フイゴに取り付けられた板を上下動させる方法では、どうやら限界があるみたい。板の上にすごく重いものを載せても空気圧はあまり変わらず、さらには板が壊れたり皮袋が破れてしまうのだとか。


「そっかぁ、残念」


 そうそう上手く事は運ばないよね、って諦めかけた僕にニコラスが声をかけてくる。


「ジャン=ステラ様が神から授けられた知識に、強い風を送り出す方法はありませんか?」


 前世で風といったら扇風機? でも、フイゴの風の方が間違いなく強いよね。


 それ以外の方法かぁ。何か思い出せるだろうか。


 水道水やガスみたいに、蛇口を捻ったら圧縮空気が供給されたらいいのに。いっそガスボンベがあればいいのかな? 


 いやいやいや。ガスボンベを作れたとしても、空気を強く圧縮する方法がなかったら意味がない。


 空気を圧縮するためには動力源が必要で、使えるのは人力か水力。人力は非力で問題外だから、選択できるのは水力のみ。しかも水車とフイゴの組み合わせはダメ、と。


 うーん、水力、水力、と。水力発電は、落ちる水の力を使って発電している。だったら、落ちる水で空気を圧縮できないかな?


 イメージとしては、滝に打たれる修験僧みたいな感じ。つまり、落ちてくる水に圧縮され続ける修験僧、じゃなくて空気。


『滝の前に立つと気持ちいいじゃろ。マイナスイオンの空気が滝壺たきつぼから吹いてくるんじゃよ』

 ふいに、おじいちゃんの言葉を思い出した。


 祖父の家の近くに日本百名爆に選ばれている大きな滝があって、夏休みに帰省した時によく連れて行ってもらっていた。そういえば、滝壺たきつぼからはそよかぜが吹いてきて、心地よかったっけ。


「それだ!」

 滝壺たきつぼから10mは離れていて、しかも密封されていないオープンエアな場所でも風を感じたのだ。滝壺たきつぼは大量の空気を放出し続けていると思っていいだろう。


 では、密封された場所に滝水を落としたら、滝壺たきつぼから放出された空気が密封空間で圧縮されるんじゃないかな。


 突然大きな声を出した僕に、ニコラスが声をかけてくる。


「ジャン=ステラ様、いかがなされましたか?」


「ニコラス、いいアイデアが浮かんだよ!


 滝つぼから風が吹いてくるでしょう? これで鉄を大量生産してみよう!」


 ◇  ◆  ◇


 アルベンガ離宮に戻った僕は早速、滝壺たきつぼ空気圧縮法の設計に取り掛かった。


「まずは、建物の3階に水を貯めるタンクを作るよ」


 執務机に紙を広げる僕の横にはニコラスがいて、じーっと僕のペン先を見ている。


「……」


「次に、タンクの底に穴をあけ、パイプで1階の小さな部屋へと繋げるよ」


「一階の部屋には窓を作らないのですよね」


「もちろん。この小部屋がフイゴで空気を溜めていた皮袋の代わり。そして、壁に小さな穴を開けて圧縮空気を取り出すの」


「ジャン=ステラ様、このままでは一階の小部屋が水であふれてしまいませんか?」


 三階から落ちてきた水の出口がないから、このままでは小部屋が水でいっぱいになってしまう。


 さすが、ニコラスだね。長い間、修道院の建築を担当してきただけのことはある。僕が気づいていなかった欠点を教えてくれた。


「じゃあ、水であふれないように、排水の穴を作っておこう。ただし、滝壺たきつぼに水がなくならないように、と」


 新しいものを設計するのって楽しいね♪


 ■■■ 嫁盗り期限まであと1年5か月 ■■■


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 あとがき

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近況ノートに設計図をアップしています。よろしければご覧ください。



 圧縮空気で炉を熱すれば、鉄を溶かすことが可能だと思われます。すると、鍛鉄に加え鋳鉄が可能となります。11世紀の西欧としては、大きな技術革新となることでしょう。


追記:落下する水を使った圧縮空気生成装置の名は、トロンプといいます。最大のトロンプは水の落差が100mを超えていたそうです。

 そして、このトロンプをつかった製鉄炉をカタラン炉と言います。

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