第219話 死兆星と望遠鏡

 1064年3月中旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


「イシドロスはあの星の別名を知っている?」

「はい、死兆星ですよね」


 今日はイシドロス達・新東方三賢者、そしてギリシアからの家庭教師たちと一緒に天体観測会を開いている。


 北の空を見ている僕の視線の先にあるのは、おおぐま座の尻尾に輝く星の一つ。おおぐま座よりも北斗七星の方が通りがいいかもしれないね。


 ぼんやり見ていると一つの星だけど、よくよく見ると二つの星に分かれて見える。二つの星のうち暗い方が死兆星である。


 死兆星というと物騒な感じがするけれど、中学の理科便覧には『視力検査に使われていました』と書かれていた。


 日本でも結構有名な星らしく、先生が語ってくれた昔話を今でも覚えている。


『死兆星が見えた人は一年以内に死んでしまうと言い伝えられているのですよ』

「えー!」「まさかぁ」「まじかよ」


 教室が驚きに包まれた後、『ぜひ今晩、夜空を見てくださいね』という言葉で先生は授業を締めくくっていた。


 幸いにして前世の僕には1つの星にしか見えなかったけど、今の僕には星が2つ、くっきりと見えている。


 え、まじ? もしかして僕の寿命はあと一年? なーんて。


 もちろん、迷信だってわかっているよ。いやだなぁ、もう。


 でもね、日本から遠く離れたギリシア出身のイシドロスも死兆星を知っているだなんて、なんか不吉な感じがしちゃうじゃない。迷信だとわかってはいても、いやな雰囲気が心にまとわりついてくる。


「イシドロスにも死兆星が見えているの?」

「はい、ハッキリと二つの星が見えています。幸いなことにまだまだ私は死なないようですね」


 あれ? 死兆星を見たら死ぬんじゃないの? 


 首を傾げていたら、イシドロスが死兆星を見ても死なない理由を教えてくれた。


「年をとり、視力が衰えると死兆星が見えなくなります」


 なるほど、老眼になると死兆星が見えなくなるんだね。


 そして、死兆星が見えなくなるほど視力がおとろえると、死期が近いのだとイシドロスが教えてくれた。


「なーんだ、心配して損しちゃった」


 ほっと胸を撫で下ろす僕に「単なる迷信ですからね」とイシドロスが笑顔で付け加えた。


 だよね、死兆星なんて科学的根拠なんてないものね。


 うんうんと頷き返していたら、マクシモスが無遠慮に割り込んできた。


「そう、その通りなのです、ジャン=ステラ様。迷信にすぎません。なにせ私は十年以上前から見えておりませんが、このとおりピンピンしております」


 そういってカラカラと笑い声をあげるマクシモスだったが、イシドロスに怒られちゃった。


「これっ、マクシモス。無礼が過ぎていますよ」


 この場で一番年長なのがマクシモス。しかし、商家出身の平民であり、聖職者としての叙階を受けてもいない。そのため、この場で一番立場が低いのもマクシモスになる。


 通常ならば僕の前に出てくる事も、ましてや僕に直接声をかけることも許されない立場なのだ。


 それなのに、この程度の叱責しっせきで許されているのは、ひとえにマクシモスの研究能力による。なにせ、今日の天体観測会は、マクシモスが望遠鏡の開発に成功したから開かれたんだもん。


 レンズを2枚使った望遠鏡は出来ていたけれど、それだと上下が反対になっていた。マクシモスはレンズを二枚追加する事によって、目で見る風景と同じ向きに見える望遠鏡を完成させた。


 さらには、望遠鏡の胴体を伸縮させることで、焦点を合わす仕組みも作り上げた。


 そう、マクシモスは凄いのだ。現代に生まれていたら立派な技術者になっていたんじゃないかな。


 そんな事もあり、イシドロスにはマクシモスをあまりしからないようお願いしておいた。


「マクシモスは7年間も頑張ってくれたんだもの。少しくらいの無礼は許してあげてね」


 ガラスが手に入ったのが7年前。

 レンズ豆の彫刻をつくったりしたのが2年前。

 風景が上下逆になる望遠鏡が1年前。


 マクシモスは本当によく頑張ってくれた。


 今日の昼間、アルベンガ離宮のバルコニーで望遠鏡を試してみたら、地中海に浮かぶ船が手に取るように大きく見えた。


「うん、望遠鏡だね」

 スマホのズームを覚えている僕にとっては、それほど驚くものではなかった。だって望遠鏡なら当然だもの。


 しかしマクシモス、そして事前に望遠鏡の性能を確認していたイシドロス以外の全員が、目を見開いて驚いていた。


「マクシモス、なぜ遠くのものが近くに見えるのです?」

 ギリシアからの家庭教師組がこぞってマクシモスに詰め寄っていた。


 そして、

「望遠鏡を逆からのぞくと、どうして風景が遠くに見えるのですか?」

 なんて聞いてもいた。


 ただ、質問されたマクシモスの答えは全て「分かりません」だったから、家庭教師組はガッカリしていた。


 ちなみに僕は、質問の火の粉が振ってこないよう、知らんぷりしてた。

 だって、僕にも良く分からないんだもん。


 でも、出来たんだからいいじゃん。結果オーライだよね。



 そして時間は過ぎて夜となり、望遠鏡のお試し会は夜の部へと突入して今に至る。


「さて、死兆星の話はそこまでにして、望遠鏡で星を見てみよう」


「ジャン=ステラ様、望遠鏡をどちらに向けましょう」


「マクシモス、まずは金星から見てみよう」


 太陽が沈んだ後、西の空に光り輝くよいの明星を、最初の目標に決めた。


「少々お待ちください」


 望遠鏡は重くて三脚が取り付けられている。その三脚をマクシモスが移動させ、望遠鏡を西の方角へと向ける。

 そして、望遠鏡をのぞき込み、金星が見えるよう調整してくれている。


 僕は従者が用意してくれた椅子に腰かけて、調整が終わるのをのんびりと待つ。


 望遠鏡を自分で触りたいけれど、僕の立場では許されないみたい。面倒だよねぇ。


「うひっ」

 僕のために頑張って調整してくれていたマクシモスが短い悲鳴をあげた。


「どうしたの?」と僕が聞くよりも早く、イシドロスが「何があった」とマクシモスを問い詰める。


 その声に、望遠鏡から目を離したマクシモスは、震える声で僕に報告した。


「イ、イシドロス様。金星が月になっています」


 金星が月?

 わけがわからないんだけど。それって、どういうこと?


 首をひねっている僕を見かねたのか、イシドロスがマクシモスに説明を求めた。


「これ、マクシモス。金星が月になったとはどういう意味だ。分かるように説明せよ」


「イシドロス様。金星が食べられているのです。食べられて三日月になってしまいました!」


 最後の言葉は絶叫のようになっていた。


「食べられたとはどういう意味だ。悪魔に食べられたとでもいうのか!」

「わ、わかりません。ですが、ですが……」

「ええい、マクシモス。そこをどけ。私が見る!」


 マクシモスの要領を得ない説明にいらだったイシドロスが、マクシモスと場所を交代し、望遠鏡をのぞき込む。


 のぞき込んだかと思うと、すぐ目を離して西の空の金星を凝視する。

 そして、また望遠鏡を覗き込む。


 そんな動作を何回か繰り返した後、イシドロスがつぶやいた。


「ほ、本当だ。金星が三日月になっている。ど、どういう事だ……」


 うーん、どういう事なんだろうね。


「ねえ、イシドロス、僕にも見せてよ」


 呆然としているイシドロスに場所を動いてもらい、望遠鏡をのぞき込む。


 果たして、そこには三日月みたいな形をした金星があった。


「うんうん、たしかに金星が欠けてるね。へー、こんな形になるんだぁ。初めて実物をみたよ~」


 知的好奇心が刺激され、ついつい嬉しそうな声がでちゃった。


 中学校の理科便覧に、金星の満ち欠け図が載っていた。しかし、望遠鏡で金星を見たことなんてなかった。本当に三日月みたいな形になるんだね。


 僕が動揺していない事を理解したイシドロスは、いくぶん落ち着いたみたいで、金星が欠けて見える理由についての考察を述べてくれた。


「ジャン=ステラ様、日食や月食のように、金星も欠けるのでしょうか」


「さすが、イシドロス。日食や月食を知っているんだね」


 マクシモスたちは日食・月食を知らないらしく疑問の表情を浮かべている中、イシドロスだけが自分の知識から似たような現象を導き出しきた。


 すごいなぁ、って感心しちゃう。

 けど、ちょっと考えすぎ。日食や月食よりも身近な現象と同じ。


「この金星の欠けは月と同じだよ。お日様の光が当たっている場所だけ光っているんだよ」


 地球と金星は太陽の周りを回り、金星の軌道は地球より内側、つまり太陽の近くを回っている。そのため金星の裏側の、太陽が当たらず影となっている部分が見えるのだ。これが、金星が満ち欠けする理由。


 地球よりも内側を回っていたら満ち欠けするから、水星も満ち欠けするはず。


 一方で、地球の外側を回っている火星、木星、金星は満ち欠けしない。


 そんな事をイシドロスたちに説明していたら、はっと気づいた。


(これって、地動説の説明になってるじゃん!)


 惑星が太陽を回る軌道が楕円だとか、お空での惑星の位置の観察とかなくても、地動説の説明ができちゃうとは思わなかった。


 それにしても、こんな簡単な方法で、地動説を説明できるだなんて、あんまりじゃない?


 一年前のウィーンにおいて、ミカエル・プセルロスをはじめとする東ローマ帝国の特使たち相手に、ケプラーの法則を解いていた苦労はなんだったんだろう。がっかりして、ため息がでてきちゃった。


 肩を落としていた僕に、イシドロスが申し訳なさそうに話しかけてきた。


「ジャン=ステラ様、誠に恐縮ではありますが、私の知識が足りないために、いまいち理解が及びませんでした。いくつか質問してもよろしいでしょうか」


 日食・月食を知っている博学なイシドロスでも理解できなかったかぁ。ちょっと理由の説明が荒っぽかったかな。反省はんせい。


「内惑星や外惑星とか、説明がちょっと難しかったね。いいよ、どこからでも質問してよ」


 質問、ウエルカム。カモーン、質問。


 こから天文学が発展してくるといいな。そして将来的に人工衛星ができて、GPSに繋がるんだろう。そんな壮大なイメージが僕の脳裏に広がっていく。


 だというのにイシドロスったら……


「どうして月は満ち欠けするのでしょうか?」


 そこからかーい。


 ーーーー

 あとがき

 ーーーー


 月食が地球の影によって生じることは、アリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)が論じていました。


 それから千年以上が経過した中世欧州においてどの程度、アリストテレスの知識が伝承していたかは不明です。ただ、月食はともかく、なぜか月の満ち欠けについての記述は見当たらない模様です。


「月の満ち欠けは、神の創造の奇跡である」

 自然現象は全て神のご意志の表れである、という宗教的な解釈が中世ヨーロッパでは一般的であり、そこで思考停止が発生していたのではないでしょうか。

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