第123話 恋のキューピッド(39才)
1063年2月中旬 イタリア中部 ローマ教皇庁 ユーグ・ド・クリュニー(39才)
ジャン=ステラ殿が預言者だという噂はクリュニー修道院のあるフランスでもあちこちで流れていた。1000年前ならいざしらず、11世紀において預言者を名乗るとはなんと大胆な、と笑いあっていたものだ。
だからこそ、ジャン=ステラ殿の異端審問が枢機卿会議の議題となった時点で、私は勝利を確信していたのだ。
それがよもや、「ジャン=ステラ殿は預言者の可能性あり」と教皇猊下や枢機卿達が考えていたとは思いもよらない事態であった。
それどころか、前世が天使だっただと? 私がそれを確かめる? 藪をつついて蛇を出すとは正にこの事であろう。バカバカしいにも程があるというもの。
それにしても、新大陸を発見しろとの勅令はいくらなんでも酷すぎるのではないだろうか。
だが、クリュニー修道院の権力と権威の源泉は、教皇猊下の直接保護によって与えられたもの。教皇猊下の命令にだけは逆らう事ができないのだ。まさに唯一の泣き所を突かれた形となってしまった。
しかたがない、と諦めた私は、その足でアルベンガを訪れた。もちろんジャン=ステラ殿に面会を求めるためである。これだけは聞いておかなければならない。
「そも、新大陸はどこにあるのか」、と。
よもや空の上ではあるまいと思うのだが、船は船でも空を飛ぶ船ではないと信じたい。一抹の不安は
それなのに、なんということだ。
ジャン=ステラ殿からは面会を拒絶されてしまった。彼は1月の大宴会以降、家族以外のだれとも会っていないらしい。
代わりといってはなんだが、アデライデ・ディ・トリノ様とはお話をすることはできた。
「おやおや、宣戦布告してきたクリュニー修道会の親玉が何の用ですか。降伏にでも来ましたか? 教皇猊下の使者でなければ、スタルタスと同じ牢屋にいれるものを。攻め滅ぼされないだけ感謝しなさい!」
一方的に
そんな私は、アルベンガから再びローマの教皇庁に戻ってきた。ジャン=ステラ殿に最も親しい聖職者であるイルデブラント殿に会うためである。
「イルデブラント殿、不甲斐ない話で申し訳ないのだが、ジャン=ステラ殿に面会するために知恵をおかりできないであろうか。このままでは教皇猊下の勅令を果たせないのだ。ぜひお力添えを願いたい」
ジャン=ステラ殿が家族以外、誰との面会も謝絶している事を、そして、アデライデ様が私とクリュニー修道会に対して嫌悪を抱いている事を素直に話した。
ジャン=ステラ殿と私との仲を取り持ってくれそうなのは、目の前のイルデブラント殿くらいだろう。
しかし、イルデブラント殿は首をゆっくりと横に振った。
「ユーグ殿。私でもジャン=ステラ様に面会することは難しいでしょう」
「そうですか……」
はぁ、と小さな溜息がこぼれ出た。イルデブラント殿でもだめなのか。
そうなると残るは教皇猊下御本人か、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世くらいだろうか。
頭を抱える私を見かねたのか、イルデブラント殿が意外な人物を私に推薦してくれた。
「トスカーナ女辺境伯のマティルデ・ディ・カノッサ様をご存じかな。その方の言葉ならあるいはジャン=ステラ様もお聞き入れ下さるかもしれません」
マティルデ様はジャン=ステラ殿に恋をされているのだとか。そしてジャン=ステラ殿もマティルデ様の事を憎からず思っているとの事。しかし、マティルデ様からの手紙は全て、義父であるゴットフリート3世の検閲が入っている、と。
イルデブラント殿の説明を聞いていましたが、
「いえ、その状況を今回は使わせていただきます」
「一体、どういうことでしょう」
イルデブラント殿が何を言い出すのか、内容をすぐには理解できず、私はおもわず眉をひそめてしまった。
「検閲を回避するという名目で、マティルデ様の手紙をジャン=ステラ様に手渡しするのです。そうすれば、ジャン=ステラ様に面会することもできましょう」
不貞の片棒を担げというのか、と憤慨しかけましたが、他に思いつく方法がないことも確か。
かくして私は、マティルデ様からジャン=ステラ殿へと、秘密の恋文を運ぶ役を演じる事となった。
私はユーグ・ド・クリュニー。20年もの長きにわたりクリュニー修道院長を勤めた誉れある聖職者。それが18歳の小娘と9歳のお子様の仲を取り持つキューピッドになろうとは。
ーーー
あとがき
ーーー
どうしてキューピッドって幼児の姿で描かれるのでしょうね?
39才のおじさまキューピッドがいてもいいのですw
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