第122話 天から堕ちてきた?
1063年2月上旬 イタリア中部 ローマ教皇庁 イルデブラント助祭枢機卿(43才)
ラテラノ宮殿の奥深く、人払いされた部屋にクリュニー修道院長・ユーグ殿の怒鳴り声が響きます。
「それに仮にジャン=ステラが天使の子であったとして、それがなぜスタルタスを傷つけなかったことに繋がるというのだ!」
興奮で顔を真っ赤にしたユーグ殿に対し、私、イルデブラントは冷静な声で回答しました。
「神がジャン=ステラ様の心が傷つくのを畏れたのは、ジャン=ステラ様が堕天使になることを、つまり悪魔になることを防いだのですぞ」
かつて最高位の天使であったルシフェルが堕天し、悪魔サタンになった事を知らぬ聖職者はおりません。
そもそも神は天使を炎から創り、人間を
その天使は神の使者として天国と地上を往復します。しかし、なにかの拍子で地上に堕ちてしまい、人間になる事があります。これが第一の堕天。地上からさらに深く堕ちてしまうと悪魔になります。これが第二の堕天です。
ユーグ殿の顔に、冷静さが戻ってきました。事の深刻さの一端にようやく気づいたのでしょう。
「少し待ってくれ、イルデブラント殿。話を整理したい。ジャン=ステラは天使の子であって、天使ではないのであろう?」
「ジャン=ステラ様が天使の子であることは私が直接聞きましたので間違いありません。しかしジャン=ステラ様、ご本人が天使であるとは聞いていないのです。ただし……」
ここからが重要なのです。いったん話を区切ります。席から立ち上がり、周りを見渡します。確信を感じさせる重々しい口調に切り替え、演説しましょう。他人に口は挟ませません。ずっと私のターン、独壇場です。
「私は、ジャン=ステラ様が天使でないとは言っていません。むしろ、ジャン=ステラ様の前世は天使であったであろうと、ほぼ確信しています」
なぜ私がそう確信しているのか。アルベンガでの話を教皇猊下、枢機卿団、そしてユーグ殿に伝えましょう。
かつて空を飛んでいたことは既にお伝えしましたので。次は天国の食べ物です。
「アルベンガの大宴会において、私が一度も見たことも、食べたこともない料理が多数出されました」
唐揚げにトンカツ。マヨネーズ……は調味料でしたね。他にもドーナツも供されるはずだったと聞きました。
「それらの料理は、ジャン=ステラ様が前世で食べていた料理を再現したものでした。その料理はどれも素晴らしく美味しかったのです。さすが、辺境伯家が威信をかけて提供した宴会料理であると感嘆したものです。
しかし、しかしですぞ。ジャン=ステラ様はまだまだご不満のご様子。かつて食されていた料理の質にはまだまだ及ばないそうです。
王侯貴族の料理にすら不満を漏らすジャン=ステラ様は、かつてどこに住まわれていたと、皆さまは考えますか?」
ゆっくりと全員の顔を見渡します。
だれも声を上げません。
私は大きく頷いた後、結論を述べました。
「そう、天国以外にありえないでしょう。これがジャン=ステラ様はかつて天使であったと、私が考える理由です」
天国に住まうものは神と天使。ジャン=ステラ様は神ではありませんので、天使で間違いないのです。
枢機卿の何人かは、ものを言いたげにこちらを見ていますが、私は止まりません。
「他にも理由はあります」 さらに私は言い募ります。「皆様は7年前に突如、天使の輪が
枢機卿の何人が(ヨハンナ……)と異口同音につぶやきました。何やら思い出したのか、苦虫を
7年前の当時、「女性だけが神の祝福を受けたのは
どうして女性だけなのか。男性は神に見放されつつあるのではないか。伝説の女教皇ヨハンナのように、女性が教皇に
その結果、全会一致で秘密裏の調査が実施されたのです。
この調査は、天使の輪が顕現したのが高位貴族の女性ばかりだったこともあり、凄まじく難航しました。さらには、調査対象の女性が全員、「なぜ天使の輪が現れたのか」の質問に対し、なかなか口を開いてくれなかったのです。
その理由が「私たちだけで美しい髪を独占したいから」だったと知った我々の脱力感たるや…… いえいえ、その時の話は置いておきましょう。ただ、美に対する女性の執念はすさまじい、とだけ言っておきます。
当時の調査結果を枢機卿団に思い出してもらう必要があります。
「……後に、天使の輪は、秘薬『トリートメント』によって誰にでも現れることが判明したため、騒動は下火になりました」
天使の輪が男性でも顕現することが判明した時、教皇庁が歓喜の渦に包まれました。これで、女教皇の再度の出現を未然に阻止できた、と。
ただし、教皇猊下を含む一部の枢機卿を除きます。周りに合わせ笑顔を貼り付けていましたが、彼らの目は
残念ながら、彼らに天使の輪が顕現することはありませんでした。
彼らがどれほど努力していたことか。その努力を身近で見ていた私は、絶望の淵に立ち向かう彼らの勇気に何度もエールを送りました。しかしその努力は実りませんでした。
たとえ秘薬トリートメントをもってしても、ハゲに天使の輪が宿ることはなかったのです。
ああ、話が逸れてしまいましたね。元に戻しましょう。
「では、その秘薬トリートメントを誰が作ったのでしょう。以前の報告では、トリノ辺境伯家が出所とまで調べられていました。今回、私はさらなる報告を追加したいと思います。
頭の回転が早い皆さま方の事です。私が何を言いたいのか、もうお分かりでしょう。
お察しの通り、トリートメントを創られたのはジャン=ステラ様だったのです。
ジャン=ステラ様と天使の輪。我々は既に、ジャン=ステラ様が天使だと推測する材料を持っていたのです」
さて、ユーグ・ド・クリュニー殿からの反論やいかに。
「……」
ユーグ殿は、押し黙ってこちらを見ているだけです。
「ユーグ殿?」 すこし意地悪かもしれませんが、発言を促してみましょう。
「あ、ああ。」 ユーグ殿は生返事を返した後、自身の頬をパンッと叩き気合を入れました。
「イルデブラント殿、あなたがジャン=ステラを、いや、言い直そう。ジャン=ステラ殿を天使だと推測されるのは分かった。
仮に地上に堕ちた元天使だったとしたら、我々人類全員よりも、元天使であるジャン=ステラ殿の方が神に愛されているのは当然だな。これには私も同意する。 だが、」
ユーグ殿の目に再び力がこもります。
「だが、私はイルデブラント殿の推測に納得できない。そもそもジャン=ステラ殿は前世において、本当に空を飛んでいたのか?」
「私を信用できないなら、ご自身でジャン=ステラ様にお会いし、話をすればいいではありませんか。私は止めませんよ」
「いや、ジャン=ステラ殿が嘘をついている可能性が考えられる。嘘でなくても、子供というものはしばしば、想像と現実を混同しがちであろう。何をもってジャン=ステラ殿が空を飛んでいたと判断すればよいのか。イルデブラント殿の考えをお聞かせ願いたい」
確かに前世で飛んでいた証拠を出せといわれると、私も困ってしまいます。なにせ前世なのです。
「うーん。難しい質問ですなぁ。元天使かどうかを客観的に判断する方法なら1つあります。というか一つしかないのではないでしょうか。
ジャン=ステラ様に闇に沈んでいただき、第二の堕天、すなわち悪魔になっていただければ、元天使だったと証明できましょう」
「イルデブラント、口を慎みたまえ!」
私の軽口に対し、教皇猊下が
「これは失礼いたしました。枢機卿の皆さまにもお詫び申しあげます。しかし、他に方法がありますか?
悪魔が出現すればこの世は地獄となりましょう。だからこそ、ジャン=ステラ様から闇を遠ざけねばならないのです。神もそう思し召し、スタルタスを傷つけないよう、地震をおこしたのです」
「イルデブラント殿、ではどうすればいいのだ?」
「そうですなぁ。直接は無理でも間接的には証明できましょう。ジャン=ステラ様は預言者です。
神より預けられた言葉のうち、空を飛ぶ事に関する事柄が真実であると示すのはいかがでしょうか」
「具体的にはどのようなものであろうか」
教皇猊下の言葉によって、全員の視線が私に集まりました。
アルベンガにおいて、ジャン=ステラ様が絶叫していた言葉を思い出します。あまりにも突飛なその言葉を、私は何度も反芻し、脳裏に焼き付けています。
『さらにさらにだよ、イタリアなのにトマトがないじゃん。ドイツがあるのにジャガイモがないじゃん。ピザソースもなければフライドポテトもない。ないない尽くしで、どうやってこの後、生きていけっていうの! それにトマトもジャガイモも地球上にあるんだよ。空を飛べたら1日でトマトもジャガイモも手に入るはずなのに。飛べなくたって、船で1か月かければ新大陸にたどり着けるんだよ。それを今まで、僕が大人になるまでとおもってずっとずっと我慢してきたのに! それにそれに…… もう、いやだ!』
教皇猊下並びに、枢機卿団に対し、私は一つの提案を持ちかけました。
「アルベンガから空を飛んで1日の所に、我々の知らない新たなる大陸があります。船を使えば1か月でたどり着けるそうです。私の言葉に信が置けないというユーグ殿には、この新大陸を見つけてもらうのはいかがでしょう」
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あとがき
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次々話 「寂しい横顔」 マティルデお姉ちゃん、久しぶりの登場です!
※すみません、次話は、ユーグ・ド・クリュニーさん視点になってしまいました
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