第11話 食事への不満

1056年8月下旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


アデライデねえの髪をつやさらにした後、トリノの城館は昼過ぎまで大騒ぎであった。 髪がつややかになったアデライデ母娘が浮かれ気分のまま執務室でファッションショーを侍女を相手に繰り広げていたのだった。 


“女性はいつの時代もいくつになっても美を追い求めるものだよねー”


ここの所、母アデライデは大変忙しく執務に取り組んでいた。だから、少しくらい羽目を外してもストレス解消になってくれるのなら僕も嬉しい。


いい事をしたなーと思う半面、城館の1階で騒ぎが収まるのを待っている執事と文官達をみるとごめんなさいの気持ちが湧いてくる。 心の中で手を合わせて謝っておくことにする。



騒ぎが一段落した夕方、アデライデねえと僕は子供部屋から執務室へと一緒に歩いていた。 執務室で母や兄弟たちと一緒に夕食を食べるのだ。 僕の足取りはとっても軽く、にこにこ顔をやめることができないほど上機嫌。


“ だって、今日から家族と一緒にごはんが食べられるんだよ。 うれしいにきまってるでしょ? ”


アデライデねえが僕にマナーについて注意してくる。

「あのね、ジャン=ステラ。 きちんとマナーを守らないとだめなんだよ。  食べる前に手を洗って、お母さまがいいっていうまで食べちゃだめで、 途中で席を立ってはダメなの。」

「うん。大丈夫だよ。ちゃんと覚えてるから。 お姉ちゃん、ありがとう」

うんうん。そうだよね。当然だよね。といった感じでアデライデねえにうなずいておいた。


貴族の屋敷では、 しつけが終わるまで子供は大人と一緒に食事をする事はできない。 高価な食器を壊されるのも困るし、食材を無駄にするのも許されないという事かな。 お貴族様はこどもであっても上品でなければならないのだ。


ということで、僕は昨日まで子供部屋で一人食事を食べていたのだ。もちろん侍女のリータは側にいたけど、一緒に食べてくれるわけではない。 しかし昨日あった地図騒動の後、とっても嬉しい事に夕食を一緒に食べる許可がでたのだ。


転生してから家族と一緒に食べる初めての食事。 一人で食べる食事は寂しいじゃない。 だから心湧きたつのも仕方ないのだ。 もうスキップしちゃいそう。 


それに、幼児食とは違って貴族の大人が食べる食事は素晴らしいものに違いない。 豪華な食事を優雅にお上品に食べるのだ。 家族と一緒に食事を食べるその場面を切り取るとそのまま美しい西洋画になってしまう、そういった空想がさっきからとまらないのだ。


“そう思っていた過去の自分が恨めしい”


空想は無残にも打ち砕かれた。打ち砕かれてしまったのだ。



父オッドーネは領地巡回からもどってきていないので、夕食の席につくのは、母アデライデと3人の兄達、アデライデねえ、アイモーネお兄ちゃんと僕の7人。


大きな一つのテーブルに7人分の席が準備されている。 そのテーブルに大皿に盛られた料理が運ばれてきた。 盛り付けにも気が配られていてどれも美味しそう。 小鳥の形をした砂糖菓子まで添えられている。 料理人が腕を思う存分ふるってくれたんだろうな。 ありがたやありがたや。 そう喜んでいる間に、側仕えたちが料理を取り分けてくれた。


大皿から取り分けるなんてなんだか中華料理みたい。 フランス料理みたいなコースだったら嬉しいな、と思ってはいたけど、それは問題ない。 思い返してみると食事を写した西洋画でも大皿に料理が盛っていたような気がする。


取り分ける皿の上にパンが敷かれ、そのパンの上に料理が盛られるのはもう慣れている。これまで子供部屋で一人食べていた時も皿の上にパン、そして料理の3層構造だった。 だからこれも良い。ちなみにスープはコップに入っている。


「それでは、食べ始めましょう」

母アデライデの合図とともに食事の時間が始まった。


“あれ、神様への祈りの言葉はないの? “


いただきますの合図がないのは知っていたけど、神様への祈りの言葉はあるのだと思っていた。

そうそう、赤毛のアンとかでも食事の前に祈るシーンがあったよね。 と思い出している間に僕を除く全員が食べ始めた。


じゃあ、僕も食べようと机の上でカトラリーを探す。 でも机の上にスプーンもフォークもない。もちろん箸なんてあるはずはない。 それらしきものは肉を切り分けるのに使う大きなナイフが1本、母アデライデの近くに置いてあるだけ。 


“どうやって食べるの?”


と周りを見渡すと、驚きの光景が目に飛び込んできた。


みんな手づかみで食べている。 まだ子供である兄たちだけでなく、 上品そうな母アデライデも司祭のアイモーネお兄ちゃんもみーんな手づかみ。  「おまえは欠食児童か! 」というような勢いで、くっちゃくっちゃと口も閉じずに食べている。 あ、 さすがに母さんは口を閉じて食べてるみたい。


手づかみといっても、小学校の給食で学んだインドの食べ方とも違う、違いすぎる。 インドも手づかみで食べる文化だけど、動画で見たその食べ方は右手の親指人差し指中指だけをつかってとても綺麗だったし、洗練されてもいた。 目の前に広がる光景とは雲泥の差。


食べてる途中でもお構いなしに大きな声でしゃべるから、口から食べ物が飛び出てくる。 げっぷが出るのもお構いなし。 手づかみで食べて汚れた手は、テーブルクロスでがしがし拭いている。


唖然としている僕を見た母が声をかけてくれた。

「あら? ジャン=ステラ食べないの? もしかして緊張しているのかしら。 今日はあなたが家族と食べる初めての食事だから、 料理人に豪華にするよういっておいたのよ。 美味しそうな料理がならんでいるでしょう?」

「そうですね。 とても美味しそうな料理が並んでいます、お母さま」

たしかに、料理は美味しそうなんだよ、ほんとうに。


でもね、食事のマナーが違いすぎる。 マナーなんて気にする必要ないって藤堂あかりだった頃は思っていたよ。 「ナイフとフォークは外側から使いましょう」とか「スープは飲むものではなくて食べるものです」とか。 そんな知識を試すようなマナーは嫌いだったのだ。


「なんだか食欲が失せちゃったよ」


ナイフとフォークのセットか、せめてお箸を普及させる事を僕は心に誓った。

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