第185話 無茶な要請

  1063年9月1日 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ


 戦勝祈願の宴会もようやく終わりが近づいてきた。


 まわりの人がお肉を手づかみで、くちゃくちゃ音を立てて食べるのに我慢した。

 ひとりぼっちで話す相手もいなかったけど、何事もなく宴会を終われるかもしれない。


 そんな期待は、連絡係の一言によって打ち砕かれてしまった。


「アオスタ伯ジャン=ステラ様、陛下の御前へお越しください」


(うげっ)


 あの嫌な感じの男、ハインリッヒ4世と同じ空気を吸っていたくないんだよ、僕は。

 それほどにまで近くにいて欲しくない奴が僕を呼んでいる。


 悪い予感しかしない。この場から逃げたいけど、そういうわけにはいかないのがつらい。


 もちろん逃げたところで、捕まってしまうに決まってるのは理解している。がっくりだ。


 僕は案内係に先導されるがまま、王族席に座るハインリッヒ4世の元へと足取り重く歩を進めた。


 近づいていく間に、せめて作り笑いを顔に貼り付けよう。

 どれだけ笑顔になっているのか判らないけど、せめて口角は上げるよう努力しなきゃ。


 一応、トリノ辺境伯家の主君だもんね。がまんがまん。


「アオスタ伯ジャン=ステラ・ディ・サヴォイア、お呼びに従い御前に参りました」


 ハインリッヒ4世の前に進み出ておじぎをする。


 顔なんて見たくもない相手だから、本当は顔を下げる日本式のお辞儀をしたい。しかし、こちらのお辞儀は頭を下げても目線は相手に固定したまま。顔を下げてはダメなのだ。


 にちゃっと顔を歪めて笑うハインリッヒ4世の顔がキモい。


 獲物を見つけた蛇みたいな目付きで僕を見ている。きっと僕をいたぶる気だろう。


(誰か助けてー)

 聖職者側の序列一位のイルデブラントに目で合図しようとしたら、イルデブラントはハインリッヒ4世を睨んでいた。

 いつも温和で笑みを絶やすことのなかったイルデブラントの顔が、怒ってる。

 普段おだやかな人ほど、怒ったら恐いっていうけど、今のイルデブラントはそんな感じ。


 ぎょっとして、おもわず目を逸らしちゃったよ。


 それにしても、そのイルデブラントの目線を意にも介さないハインリッヒ4世は、肝が据わっているのか、それとも感性が鈍いのか。


 そのハインリッヒ4世は、僕に要望があるらしい。


「アオスタ伯ジャン=ステラよ。余がハインリッヒだ」


 うん、知ってる。だからなに?

「はい。存じております」


「そなたに関する噂をいろいろ聞いている。で、だ。そなたは預言者なのか?」


 うひぃ。いくらなんでも直球すぎない? 左右に居並ぶ列席者の目線が痛いなんてもんじゃない。まるで宴会場から音が消え去ってしまったように感じる。


「まだ教皇庁の判断は下っていませんので、お答えしかねます」

 そんな質問に僕が答えられるわけないでしょ?


 はい、私は預言者です、とでも言うと思ったのだろうか。


「ふむ。そうなのか。ならば、お前の家臣たちが死んだ後、天国にいざなう事を約束したと聞いたが、あれは嘘か」


 ハインリッヒ4世が粘着質な目つきで僕を見定めるように、じぃーっと見てくる。


 なんか雲行きが怪しい気がする。噂を集めに集めて、その上で質問を組み立ててきたのかもしれない。


「嘘ではありませんが、正しくもありません。聖ペテロと会えたらお願いするというだけです」


 あれは、戦争で亡くなった人たちを最後まで弔うという意味で言っただけ。天国行きを確約したわけではない。まぁ、誤解されるままに噂を放置している僕も悪いといえば、悪いんだけど。


「ふむ、そうか。ならばよし」

 なにか合点がいったらしく、最上位席でハインリッヒ4世が大きく頷く。


 そして、僕の目を見つつハインリッヒ4世がのたまった。


「ジャン=ステラ。余の天国行きを約束せよ。ならば余がお前を預言者と認定してやろう」


 おお、そうかそうか。では、今この場でお前の息の根を止めて、天国行きを確定させてやろうじゃない。まぁ、この場合の天国は、キリスト教の天国ではなく、現代日本の天国=死の世界だけどさ。別に問題ないよね。


「それは良いお心がけ」 せめてもの情けで、苦しまない方法で永遠の眠りへといざなってあげちゃおう。


 そう言いかけたところで、横やりが入った。

 ミサで鍛えたよく透る大声でイルデブラントが怒鳴っている。


「陛下、それはなりません! 宗教の領分を定めるのは聖ペテロの後継者たる教皇です。いくら皇帝であろうとも、いえ、何人たりとも、それを侵すことは許されません」


 一方のハインリッヒ4世は、イルデブラントに気圧されることもなく、余裕がある。


「ほう、そうなのか。東ローマ帝国の皇帝は、東方教会の総主教を支配下においているではないか。西方教会も余の支配下に入ればよいだろう」


 同じ事をギリシアから来たイシドロスから聞いた記憶がある。東ローマ帝国では皇帝がキリストの代理者として国を統治しているのだとか。だから、東方教会の総主教は、皇帝の支配下にある、と。


「東方教会の総主教はその程度の存在に過ぎないだけです。教皇はキリスト教における信仰の最高の判定者です」


 教皇こそが最上位の存在であり、何人たりとも教皇を支配する事はできない、とイルデブラントは列席者全員に聞こえるように演説する。


「教皇を支配可能なのは神のみ。ハインリッヒ4世陛下は神に挑戦するおつもりか?」


 イルデブラントに詰め寄られたハインリッヒ4世は、むっとしてイルデブラントを睨み返している。


 一触即発な空気が立ち込めているんだけど。うーん、僕はどうすればいいのだろう。


 皇帝と教皇の権力争いに僕を巻き込まないでよぉ。


 ハインリッヒ4世とイルデブラントがお互いに睨み合っていて、僕は蚊帳の外って感じだし、とても居心地がわるい。


(でも、どうするの、これ?)



 そんな空気を破ったのは、聖職者側の序列第二位のケルン大司教アンノ2世だった。


 穏やかな声で二人に落ち着くよう話しかける。


「陛下、そしてイルデブラント様。お二人ともその辺りで矛をお納めください」


 アンノ2世が陛下の代わりに、イルデブラントに弁明めいた事を口にする。


「イルデブラント様、皇帝陛下とて神に代わろうなどと、そのような大それたことはお考えではありません」

 アンノ2世が確認するようにハインリッヒ4世を一度見て、また視線をイルデブラントに戻す。


「ただ、預言者と噂されるジャン=ステラ殿が皇帝陛下の配下なのです。未成年である陛下はただ、預言者に、そして天国に興味があっただけなのです。その点をご理解いただきたいと思います」


 ハインリッヒ4世はキリスト教に対する信仰心が深いからこそ、預言者や天国に興味があったのだ、と。つまり、「天国に行きたい」という未成年の他愛ない言葉に目くじらを立てる必要はない。


 アンノ2世は、そのような言葉でハインリッヒ4世を擁護した。


 イルデブラントの方も落としどころを探っていたのか、あっさりと追求の手を収めることになった。


 場が落ち着いたのはよかったけれど、まだ僕はその場に残されたままなんだよねぇ。


「さて、ジャン=ステラ殿」 とアンノ2世が僕に語りかけてくる。ほらきたっ!


「はい、なんでしょう」


「あなたが預言者か否かは、教皇猊下の判断にお任せするとして……」

 ここまで温かさを感じられる口調だったアンノ2世の語気が急変し、顔は笑顔のままなのに言葉が冷気の塊となって僕に襲い掛かってきた。


「貴殿は陪臣ばいしんにもかかわらず、陛下が主催された必勝祈願の宴会に参加する栄誉に授かれているのです。その事は理解していますか」


「はい、もちろんです」

 アンノ2世の質問に、僕は努めてにこやかに答える。


 もちろん内心は文句であふれ返っている。

(こんな宴会に参加したくなんかあるか~。この場に呼ばれる事そのものが迷惑としか思っていないんだよぉっ)


 そんな僕の心のうちを知ってか知らずか、アンノ2世が上から目線で話しを続ける。


「よろしい。この場はハンガリー戦役の必勝を誓い、士気を高める場なのです」


 うん、そんな事は改めて言われなくても分かっている。

 だから、僕は一つうなずいた。


 僕の動作を目に収めつつ、アンノ2世が畳み掛けてきた。


「帝国の摂政を務める私からジャン=ステラ殿に要請いたします。神授の聖剣セイデンキを使い、この場で敵を打ち払ってください」

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