第186話 祈願
1063年9月1日 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ
神聖ローマ帝国の摂政であり、ケルン大聖堂の大司教であるアンノ2世が、僕に無茶振りをしてきた。
「帝国の摂政を務める私からジャン=ステラ殿に要請いたします。神授の聖剣セイデンキを使い、この場で敵を打ち払ってください」
この場で? 敵ってハンガリーだよね。
もしもーし、アンノさん。オーストリアのウィーンからハンガリーまでどれだけ離れているか分かってますかー?
そんな事できるわけないでしょ! どうして聖剣の設定に遠隔攻撃能力まで付与されちゃったのよ。設定盛りすぎは、よくないっしょ。まるでギリシア神話のような大げさな事になっちゃってるじゃん。
そもそもセイデンキというのは、イシドロスの修道院で作成された単なる短剣なんだよ。
雷を呼ぶ聖剣とか、地震を招く聖剣とか呼ばれているけれど、それはただの偶然の産物にすぎない。
たまたま盗賊を裁く時に雷が盗賊を縛り付けていた大木に落ちただけ。
たまたまクリュニー修道院副院長のスタルタスを成敗しようとした時に地震が発生しただけ。
二度も奇跡みたいな事が起きたから、奇跡をおこす聖剣だと中世の人が勘違いするのは仕方ない事かもしれない。
だからといって、短剣で遠隔攻撃して敵を打ち払えって、ちょっとひどすぎない?
無茶振りにも限度ってものがあるでしょう?
その限度を知らないアンノ2世の話はまだ続いていた。
「ジャン=ステラ殿が預言者かは横に置いておきましょう。改めて言いますが、この場ではジャン=ステラ殿は皇帝陛下の陪臣にすぎないのです。
主君の主君であるハインリッヒ4世陛下のため、ハンガリーの戦勝を祈願することは当然のことでありましょう」
天国行きとちがって、
普通に戦勝祈願するだけなら僕だって二つ返事で了承する。しかし、聖剣セイデンキで敵を打ち払えって、それは戦勝祈願の範囲を超えている。
(ふざけたこと言わないでよっ!)
そう思いつつアンノ2世を睨みかえしていた僕だったけど、はっと気づいた。
ハンガリー戦役に参加する際、聖剣セイデンキを持参するようわざわざ指定してきたのは、このためだったのか!
アンノ2世の顔に冷笑が宿る。
しかし、なぜ? アンノ2世、あるいは神聖ローマ帝国にとって何の得があるんだろうか。
僕が戦勝祈願を行わなかったら、どうなる?
戦勝を祈願しないということは、すなわち負けて欲しいという意味になる。
ハインリッヒ4世に対する
だからさすがに僕が戦勝祈願しないとは、アンノ2世も思っていないだろう。
それに僕だって死にたくないもん。
なら、僕が戦勝を祈願した場合はどうなるのだろうか。
二つの場合に分けて考えてみよう。
戦勝祈願が成功する、すなわち敵を討ち滅ぼしちゃった場合と、失敗しちゃった場合。
まぁ、成功しない事は、僕が一番よく知っているんだけど、アンノ2世の思考をなぞるためには必要だろう。
まずは成功しちゃった場合。
もしこんな奇跡が成功しちゃったら、それって僕が預言者だってことになるよね。
アンノ2世の立場はなくなっちゃうし、神の意思に逆らったといわれて粛清されても仕方ない。
なぜアンノ2世はこんな賭けに出たのだろう。
もしかして、セイデンキが単なる聖剣ではなく、単なる短剣だってばれてる?
いや、絶対どこかに抜け道を作っているはず。
あっ。わざわざ「ジャン=ステラ殿が預言者かは横に置いておきましょう」って言ってたのはそのためなのかな。預言者扱いをしなかったら大丈夫、とでも言い訳するつもりかなぁ。
まぁ、成功するわけないから、別にいいか。
ということで、本命である失敗しちゃった場合について考えよう。
「敵を打ち滅ぼせなかったから、お前は預言者ではない!」とでも帝国が公式に宣言するというのはどうだろう。
アンノ2世はクリュニー修道会の関係者だってイルデブラントが言っていた。
ということは、やはりユーグを救うために画策しているのかな。
うーん。ユーグを救うだけというのは、陰謀としてはちょっと規模が小さすぎる気がする。
いっそ、単に預言者が気に入らないという方がしっくりくる。
にせの預言者が世を乱そうとしているから、成敗してやるぅ!とか考えているのかな。
キリスト教にとって、イスラムのムハンマドは
アイモーネ兄ちゃんだったか、イシドロス達だったか忘れたけれど、そんな話を聞かされた記憶がある。
北アフリカやスペインのイベリア半島はイスラム帝国の支配下にあるし、にせ預言者にアレルギーがあっても不思議ではない。それに、これなら国家規模の騒動だから、神聖ローマ帝国の摂政であるアンノ2世が出張ってきてもしっくりきそう。
僕は別に預言者になりたいわけじゃない。だけど、偽預言者として迫害されるのはごめん
それにしても、ろくな未来予想がないや。
戦勝祈願に失敗したら身の破滅が待っていそうで怖い。
なんとか敵を打ち滅ぼす以外の方法で、この場を乗り越えないといけない事だけはよーく理解できた。
長々と考えていた気もするけど、考えがまとまり行動方針が決まってよかったと思う。
あれ? 僕の知らないうちにイルデブラントとアンノ2世が大声で口論しているじゃん。
「アンノ殿は、神の権威を
世俗の君臣関係を使って、神の奇跡を預言者に請わせるとは何様のつもりだとイルデブラントが
教皇の権威の上に、皇帝の権威を持ってこようとしているのか、と演説をぶっている。
そういえば先ほどハインリッヒ4世は、教皇は皇帝の支配下に入れって言っていたっけ。
脳裏にその言葉が再生される。
「東ローマ帝国の皇帝は、東方教会の総主教を支配下においているではないか。西方教会も余の支配下に入ればよいだろう」
もしかして、僕を偽預言者と糾弾することを通じて、皇帝の立場をローマ教皇より上にしようと画策してる?
もしそうなら、戦勝祈願が成功しようが失敗しようが無関係になる。
僕が応じた時点で、帝国の権威が教皇の上になるのかな。
それが嫌なら、帝国の支配に甘んじた僕のことを偽預言者だと、教皇庁は宣言することになる。
そりゃ、イルデブラントが激昂しているはずだよ。
まぁ、僕の予想が合っていれば、だけどさ。
正直なところ、複雑すぎてもう訳がわからないよ~。
だって僕まだ9歳なんだもんっ。
って、現実逃避しても仕方ないか。はぁ~と深いため息がでた。
僕自身が騒動の中心にいるのか、それとも権力争いの道具とされているのか、それすら分からなくなってきた。
このまま嵐が過ぎ去るのを待っていても、事態は好転しそうにない。
それに、そもそもハンガリー戦役の戦勝祈願の宴会じゃなかったっけ。
余裕で勝利できる戦力を集めているのかもしれないけど、出陣前からこんなんで大丈夫なのか心配になってきた。
このままでは勝つにしても、戦争の犠牲者が多くなっちゃうんじゃない?
皇帝や王、上位貴族にとっては兵士が何人死んでも構わないのかもしれない。
そんなの僕は嫌。戦争は仕方ないとしても犠牲は少ない方がいい。
それに、ピエトロお兄ちゃんも僕もこの戦争に参加するんだよ。
イタリアからウィーンまでに仲良くなった人たちが、帰りには居なくなっているかもしれない。
それが戦争だとわかっているけれど、できることなら全員一緒にイタリアに帰りたい。
そう願った時、僕は言い争う二人に声をかけていた。
「イルデブラント、そしてアンノ様、よろしいでしょうか」
二人が口をつぐみ、僕の方を見た。
多分、宴会場の全員が僕の一挙手一投足に着目しているんだろうな。
でも、そんなことはどうでもいいや。
「ハインリッヒ4世陛下の陪臣としての私は、この戦役での勝利を心より望んでいます。しかしアンノ様は、預言者としての振る舞いをお求めです。
しかし、神にとって戦争とは、神の子である人間同士が戦うことに他なりません。
つまり神は、神の子である人間の犠牲者が少ないことを願っているに違いありません。
神の意思に沿う祈りならば、きっと願いは聞き届けられることでしょう」
本当に神の意思があるのか知らないけど、どうせなら戦勝よりも、犠牲が少ない事を祈りたい。
別室で待機している僕の護衛ロベルトに、聖剣セイデンキを持ってくるよう伝令をお願いする。
宴会場の列席者はだれも声を出さない。
セイデンキが運ばれてくるのを静かに待ってくれているようだ。
異論が出るかもしれないと思ったけど、このまま祈っちゃっていいのかな。
さてと。
今のうちに祈願文を考えなくっちゃ。
祈願文って何か形式ってあるのだろうか。
僕が知っているのは……
そうっ!
「せんせいっ、僕たち私たちはハンガリー戦役を正々堂々と戦い抜く事を誓いますっ!」
これだと運動会だよねぇ。内容も犠牲者を減らすことと関係ないし。
ま、適当でいいか。難しそうな言葉を適当に連ねておけばそれらしく聞こえる、といいなぁ。
ロベルトからセイデンキを受け取った僕は、犠牲者が減りますようにとの願いを込めて祈りを
ーーー
はーらいたーまえ、きーよめたーまえ
宇宙の創造主である我らの神よ
天地
幾千万の
神の子なりし我らの業はいと深く、いさかい・いくさ絶えざりし
平等たるべく神の子の、傷つく様を憐れみたまえ
我らが願いはただ一つ、傷つく者よ少なかれ
宇宙の神秘とその奇跡、平和の祈りを奉る
かくありたまへ アーメン
ーーー
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