第47話 世界地図をお土産に

 1057年5月中旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ 執務室


「ここの所、暖かい日が続くわね、ジャン=ステラ」

「小麦、たくさん採れるといいですねー、お母さま」

「本当に。これで東方から来た修道士達を飢えさせずにすみそうです」


 朝方は肌寒かったけど、お日様が空高く昇るにつれて、気温もぐんぐん上がってきたみたい。来月には冬小麦の収穫が始まる。この調子でいい天気が続けば、きっと小麦が豊作になるだろう。


 母アデライデと2人で執務室の窓から外を眺めながら、他愛のない会話をしつつ、面会相手の到着を待つ。


 面会相手は、僕の家臣ラウルと、東方から招へいした3人の修道士の合わせて4人。磁鉄鉱から針をつくるように指示をしたマクシモス爺は、面会リストに含まれていません。


 せっかくギリシアからトリノまで長い旅をしてきたのだから、一人ひとりと話をしてもいいとは思う。でもね、3人の修道士と一緒に東方から来訪したのは、100人を超えるんだよ。


 多すぎって思わない? 僕は10人位って思ってた。その事をアデライデに告げると、驚きの表情が返ってきた。


「彼らはトリノ郊外に新しい修道院を作るつもりで来ているのよ。開拓から始めるのですから100人でも少ないくらいね」

「修道院を新しく作るのですか?」

「ええ、そうよ」


 僕はてっきり、トリノ市内の建物に住み着くのかと思ってた。


 この時代の修道院は人里離れた山奥、というか山のてっぺん付近に作られる事が多い。そして、自給自足の生活を送るのだ。小麦畑や野菜畑も必要だし、聖書を書くための羊皮紙も作らないといけない。建物を作る材木や日常品も自給自足のため、大工や鍛冶屋も必要になる。


 つまり、新たな修道院を作るという事は、村を一つ新しく作るという事と同じこと。たしかに、100人でも少ないとアデライデが言うわけである。


 それにしても、なぜこんな大層な出来事になっているのか、僕には理解できない。


「どうしてそんな大事になっているのですか、お母さま?」

「それは決まっているじゃない。あなたが預言者だからよ。彼らは新しい東方三賢者としてあなたを支え、そして後世に名を残そうとしているの」


 東方の三賢者とは、クリスマスの星からイエス・キリスト誕生の知らせを受けた3人の博士である。彼ら3人は、預言者である僕の誕生を星と聖霊から授かったと主張している。過去の事例になぞらえ、新東方三賢者と呼称されているわけだ。


「たしかに、後世に名が残る事になりそうですね」

「ただし、あなたが預言者に相応しい業績を残せれば、ね」

「業績、ですか?」

「ええ、そうよ。業績がなければ、あなたを預言者であると教会は認めないでしょうから」


 たしかに教会としては、自称他称を問わず預言者と名乗ったものを全て認定するわけにはいかないだろう。そんな事をしたら、世の中が偽の預言者で溢れかえってしまう。


「なるほど。僕が預言者であるような実績を残せるよう、手助けするためにトリノに来たのですね」

「ええ、あなたの手足としてこき使えるわよ。むしろ馬車馬のように使われる事に喜びを見出みいだすと思うわ」


 ちょっと悪そうな顔になったアデライデがサドッ気たっぷりに、彼らを僕の手駒として酷使すればよいと教えてくれる。


 神の言葉を預かっている僕に従う事は、すなわち神の御心にかなう行いになるらしい。どれだけ僕に苦役を課されても、それは神の試練なのだとか。


(試練の先に栄光があればよかったんだけどねぇ……)


 その先にあるのが、じゃがマヨコーンピザである事は言えないよね。


 ◆  ◇  ◆


「アデライデ様、ジャン=ステラ様。ご歓談中失礼いたします。 ラウル殿がお目通りを願っております」

「ありがとう、通してくださいな」


 面接の時間になったことを、執事が伝えてきた。執事が開けた扉から、正装のラウルと修道服を来た修道士3名が入ってきた。


「アデライデ様、ジャン=ステラ様。ラウル以下、3名。お召しに従いまかり越しました」


 執務室付きの机の窓側に座っているアデライデと僕の前に、4人は整列し挨拶を口にする。ラウルはいいとして、残り3名の修道士の名前と顔がまだ一致していない。ちょっと困ったなぁ、と思っていたら、幸いな事にラウルが再度紹介してくれる事になった。


「先日の謁見では彼らの名前と職位のみを紹介いたしました。この場では、どのような方々なのかを紹介したいと存じます」


 一番豪華な服を着ているのがイシドロス・ハルキディキ司祭。お兄さんと呼ぶ事を躊躇われるくらいには歳がいっている。


(トリノの宮廷司祭を務めるアイモーネ兄ちゃんよりも少し年上かな)


 物腰がすこしいかつく、人を使う事に慣れているといった感じ。ハルキディキという地名が名前につく事からうかがえるよう、貴族家出身である。コンスタンティノープル総主教からローマ教皇への親書を携えてきた事からも、東方教会で重要な役割を担う立場にあった事がうかがえる。


 ラウルの紹介によると、アトス山の修道院というのは、東方教会で特別な意味を持つらしい。その中でもイシドロスは、メギスティ・ラヴラ修道院という聖地アトス山随一の格を誇る修道院を主宰していた。そのため司祭という名目上の地位以上の権威を持っていると、ラウルが力説していた。


 イシドロスを褒める言葉をラウルが吐く度に、イシドロスの鼻の穴が満足げにぴくぴく動いているのを僕の目は見逃さなかった。


(自負心が高いのかな。褒めて煽てたら献身的に働いてくれるかもしれないね)


 二人目は、頭に修道女のベールをかぶったユートキア・アデンドロ輔祭ほさい輔祭ほさいというのは、司教を補佐する役職名であり、西方教会での助祭に相当する。穏やかな微笑みを湛えるその姿は、神の敬虔なしもべである事を誰もが疑わないだろう。ただ、その肌は日に焼けていて、室内に籠って祈りをささげるタイプではない事が見て取れる。


(たしか、畑仕事を含む農作業全般を得意とするってお母さまは言っていたっけ)


 農学部で教育を受けた前世の知識を一番役立ててくれるのが、このシスターになりそう。


 最後の一人は、恰幅の良い体に好々爺こうこうや然とした雰囲気をまとったニコラス副輔祭。3人の中で彼が一番年上にもかかわらず、地位は一番低く、西方教会での副助祭に該当する副輔祭なのは、彼が平民階級の出身である事が影響しているのだろうか。それとも、大工や家事といった修道院で必要となるモノづくり全般を担当していたからだろうか。


(きっと、宗教組織の中では、神への祈りと関係ないモノづくりは、見下されちゃうんだろうな)


 それでもモノづくりに関する確かな人脈は持っているのだと思う。磁鉄鉱を研究していたマクシモス爺を連れてきたのはこのニコラスなのだ。


 マクシモス爺自体は変人、というか興味のある事以外周りが見えなくなる性格だ。前世でも大学にはそういう偏狂的な教授たちがたくさん生息していたからよく知っている。彼らの目を引くような目標を設定しておけば、昼夜を問わず働いてくれることだろう。


 神に祈るだけでは新大陸に到達することはできないのだから、ニコラスには頑張ってもらわなければ。


「新東方の三賢者の皆様、トリノ辺境伯領までお越しいただきありがとうございます。

 滞在を心より歓迎いたしますわ」


 ラウルによる紹介が終わると早速、アデライデが歓迎の意を表明し、そのあとに面会の議題へと話は移っていく。新しく修道院を立てるための立地の話、修道院の経営が軌道に乗るまで行う経済援助の話。そして、彼らが僕に面会する場合の連絡手続きの話。


 安全面の懸念から、まだ幼い僕をトリノ城館外に出すことは禁止されている。そのため、僕に会おうとおもったら彼らがトリノ城館まで来るしかない。


 僕の家臣であるラウル以外を連絡役に使うことはないので、他の家臣たちに干渉を試みないようアデライデは釘をさす。


(これって僕の安全面も考慮しているけど、防諜がメインじゃないのかな)

 後でお母さまに聞いてみよっと。


「次に、イシドロス司教。あなたはこの後、ローマ教皇ウィクトル2世猊下の親書をコンスタンティノープル総主教ミハイル1世猊下にもっていく役割を任じられていますね。間違いありませんか?」


 イシドロス司教は、畏まった口調でアデライデに答える。


「はい、アデライデ様。総主教猊下への親書をフィレンツェまで取りに来るよう仰せつかっています」


 何を言われるのかといぶかしみ、警戒しているのだろう。暗に、今ここに親書がないことを伝えてきた。


 アデライデはその様子にくすくすと笑いながら、イシドロスの懸念が見当違いだと伝えた。


「親書に興味がないわけではありませんよ。もちろんジャン=ステラの事が書かれてるのかについては気になります。ですが、あなたがジャン=ステラの不利になるような仕事をするとは思っていませんから」


 すこしばかり頬が引き攣っているイシドロスに対し、アデライデはにっこりと笑って「その点、私はあなた方を信頼していますのよ」と付け足した。


「恐縮にございます。それにしても我々3名の立場をよくご存じのようで」

 イシドロスはどう返答していいのか戸惑ったあと、何とか言葉を絞り出した。


(うん、お母さまの方が一枚上手だね)

 親書の中身を盗み見してでも、ジャン=ステラの不利にならないようにせよと、アデライデは命じているわけだ。


 この面会の前にアデライデと話していたように、僕と東方3人組は一蓮托生の身なのだ。ローマ教皇や大主教よりもジャン=ステラを優先する事を、行動で示せと言うことになる。


 それでも、こんな強気に出てもいいのだろうか。


「お母さま、イシドロス殿が困っていますよ」

「まぁ、ジャン=ステラは優しいのですね。ですが大丈夫ですよ。大主教猊下へのお土産を準備していますから」


 ちょっとやりすぎじゃありませんかとたしなめた僕の言葉を、問題ないとアデライデは返してくる。


「お土産、ですか?」

「この羊皮紙を大主教猊下に進呈しようと思っているのですのよ」


 そういってアデライデが僕に渡してきた羊皮紙に書かれているのは世界地図。ただし、ヨーロッパ、アジア、アフリカ大陸だけで、南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸は描かれていない。


「これって、外部にだすとよろしくないのでは?」

「そうね。しかし大主教猊下にあなたの存在を認めてもらうには打ってつけだと私は思うの。ここが博打の打ち所ではなくて?」


 世界史でいうところの大航海時代はまだまだ400年ほど先の話。アフリカ南端の喜望峰は知られていないし、インド亜大陸の先の地形の事なぞ全く知られていない。羊皮紙の世界地図を僕が描いた事を知れば、預言者認定はともかく、只者ではない事は解ってもらえるだろう。


 だが、そうだとしても、デメリットの方も大きいのではないだろうか。


「ですが、お母さま。僕はこの地図の正しさを証明することができないんですよ。逆に嘘つき認定、世の中を惑わす偽預言者として糾弾される可能性があります」

「そうね、あなたの懸念はもっともよ。だからこそ、ローマ教皇猊下ではなく、大主教猊下にだけ進呈するのよ」


 近くのローマ教皇はなしで、遠くの大主教にだけ進呈する事にどういう意味があるのだろう? よく分からないという顔をしていたせいか、アデライデが説明してくれた。


「簡単なことよ。この地図が原因であなたへの糾弾が始まったと仮定するわね。糾弾がローマ教皇から始まったら、それに迎合した諸侯たちがトリノに攻め入ってくる可能性があるわね。ですが、遠く離れたコンスタンチノープルに居る大主教が糾弾の声を発したとしても、トリノに攻め入ってくる諸侯はいないのよ」


 最近、ローマ教皇と大主教の仲、というか西方教会と東方教会の仲がよくない事も関係する。もし大主教が糾弾したとしても、ローマ教皇が迎合することはないだろう。そういった意味で安心、安全だとアデライデは僕に説明してくれた。


「ですが、本当に大丈夫ですか?」


 もし大主教率いる東方教会がこの地図を使って大々的に預言者の誕生を喧伝しはじめたとしたら、どうなるだろう。仲が悪いとされる西方教会が、逆に僕を糾弾してくることにならないだろうか。


 僕はその懸念をアデライデに伝えると、考慮済みだと笑っている。


「ですからね、この地図はコンスタンチノープルの宝物庫に仕舞っておいていただくつもりよ」


 そうすれば、地図を使って喧伝される事もないでしょう。完璧ね、とお母さまが僕の頭を撫でてきた。


「100年もしたら聖遺物に認定されるでしょうけど、その時にはもう私たちは地上にいないもの」

 大丈夫、大丈夫とアデライデは楽しそうに笑っている。


 一方のイシドロス達は「聖遺物……」と呟いて絶句していた。そんな彼らにアデライデは言葉をかける。


「そうそう、イシドロス司教。きちんと宝物庫に仕舞ってもらうよう大主教猊下にお伝えくださいね」

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