第46話 ギリシア土産の磁鉄鉱

1057年5月中旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


「オップラー、オーイス」

「オップラー、オーイス」


よいしょ、よいしょの掛け声がトリノ城館の中庭に響いている。

黒光りする大きな岩を、筋骨逞しい男たちが6人がかりで運んできたのだ。


「よーし、岩はそこに降ろせ」


大きな声で彼ら6人に指示を出しているのは、ギリシアから帰還したラウル・ディ・サルマトリオ。

短く整えられた茶髪の下の表情は、どこか得意げである。


計数に明るい事に定評のあるサマルトリオ男爵家の4男に当たる彼は、僕に付けられた初めての家臣になる。


僕が主であるというフィルターを通して見ているからか、ラウルの姿からは、ご主人様に「褒めて褒めて~」って嬉しそうに近寄ってくるワンちゃんを想像してしまう。


家臣になったとたん往復8か月もかかったギリシアへの初めてのお使いを達成したのだから、褒めてあげる事に否応はない。


うん、よくがんばりましたねー。


それはさておき、あの岩はなんだろう?

ラウルの得意げな表情から察するに、よく分からないけど、なにかすごいものなんだろう。


ついさっきの謁見では、「ご所望の品を持ち帰ってまいりました。ぜひ見分いただきたく存じます」などと畏まって言っていたらしいけど、僕には全く心当たりがない。


お母さまが何か命じていたのかしら?


その謁見で僕は、ラウルが帯同してきた3人の聖職者を紹介された。

男性が2名に女性が1名。


名前は……


うん、覚えてない。というか覚えられなかった。

初顔合わせの時の衝撃に何もかもの印象を奪われてしまったんだもん。


謁見の間に入った僕の姿を見た聖職者3人組は、両ひざ床につけた姿で急に号泣しだすんだよ。


「おお、主よ。預言者を、新たな御子を遣わされたことに感謝いたします」

とか祈ってた。


ドン引きです。

その場をUターンして子供部屋に戻りたかったけど、悲しいかな僕は摂政見習い。

謁見では、いつでも助言ができるようにお母さまの横に控えている必要があるのだ。


そもそも、僕付きの家臣であるラウルの帰還報告だし、3人の聖職者は僕に会うためにトリノまで来てくれたのだ。

彼らの誠意ある行動に報いるためにも、僕が謁見から逃げるわけには行かない。


頭で理解してはいても、僕の事を預言者だと崇める姿を実際に見てしまうと、ねぇ。


落ち着かないし、居たたまれない気持ちになる自分を誰かに理解してもらいたくもなる。

そう思いながら、周りを見渡すと、お母さまを含め、列席する貴族たち誰もが感動に打ち震えた顔をしている。


「やはり、ジャン=ステラ様は預言者であらせられたか」

「さもありなん。あの聡明さは神のご威光の賜物以外、あり得ぬではないか」

「神の栄光、ここにあり」

「トリノ辺境伯家に幸あれ」


そんな声が耳に届くようになっては、もう僕の頭は頭ぐーるぐる。

平衡感覚もおぼつかなくなり、ただお母さまの隣の椅子に座って謁見時間が終わるのを石像のようになって待っていただけ。


「はぁ。ピザを食べたいから、預言者呼ばわりされる事を覚悟はしていたけど、これほどとは、ね」



先ほど謁見で味わった衝撃を思い出していた僕にお母さまが声をかけてきた。

「どうやら、準備が終わったようよ」


中庭に降りましょうと誘うアデライデとともに、僕はラウルのもとに向かった。


「ジャン=ステラ様、お待たせいたしました。こちらがご所望の品、鉄がくっつく鉄でございます」


ひざまずいて待っていたラウルは、僕を見つけたとたん、大倫の花が咲くような笑顔をこちらに向けてきた。背筋がすこし伸びあがり、「さ、はやくこちらへおいでください」とばかりに、アデライデと僕を黒光りしている岩へと誘導する。


うん、やっぱり、わんこだね、ラウルって。もし尻尾があったとしたら、ぶんぶんと音をたてて振り回している事だろう。心の中で忠犬ラウルと呼ぶことにしよう。


それにしても、ラウルはこんなに忠誠心あふれるオジサンだったっけ?

ギリシアに出発する前に出会ったときは、貴族独特の計算高い笑みを浮かべていた気がする。

道中で一体何があったのだろう。

聖職者3人組に何か変な事でも吹き込まれたのかもしれないが、まぁいいや。


今はそれよりも、目の前の岩だ。

ラウルは、鉄がくっつく鉄だと説明してくれた。


つまり、この大きな岩は磁石を中に含んだ磁鉄鉱という事になる。


「この鉄の板をご覧ください。このように岩にくっつきます」

ラウルは小さな鉄の板を岩の側面に押し当てた。手を放しても、板は岩にくっついたまま。


「おおっ」

嬉しくて僕は思わず声を挙げてしまった。


ラウルから鉄の板を受け取り、岩のあちこちへ鉄の板をあてて、くっつき度合いを見てみる。

それを見ていたラウルの顔から笑みが消え、申し訳なさそうに、何事かを言いかける。


「ジャン=ステラ様、申し訳ございません。この岩ですが、上や下には鉄が付きません。

 くっつくのは、岩のこちら側とあちら側の2か所だけなのです」

残念ながら、どこにでも鉄がくっつく岩を見つられなかったのです、と弁解を始める。


「いや、それは当然でしょう」

磁石なのだから、N極とS極の2か所にしか鉄はくっつかない。

この岩の場合、側面の2か所がN極とS極なのだ。

それ以外の場所に鉄がくっついたら驚きだ。


そうラウルに説明しようとした所、ラウルの後ろに控えていた老人が発言を求めてきた。


「ジャン=ステラ様、発言をお許しください」


東方教会の修道服である黒いスクフィアを身にまとった老人の方に目を向ける。

何やら訴えたい事があるみたいで、身を乗り出しつつ僕の発言許可を待っていた。


えっと、こういう時どう答えたらいいんだっけ?

貴族らしく、上位者らしく振舞わないといけないはずだけど、すんなりと言葉がでてこない。


戸惑っていた僕を見かねたアデライデが僕の代わりに、発言許可を出した。

「発言を許します」


「トリノ辺境伯アデライデ・ディ・トリノ様、私の発言をお許しいただきありがとうございます。私はマクシモスといいます。3賢者の一人でアマルフィオン修道院のニコラス様に付き従い、この地を訪れた修道士にございます……」


マクシモスお爺ちゃん、挨拶が長いです。

お母さまをはじめとするトリノ辺境伯家の面々にいちいち感謝の言葉を述べるマクシモス。

そういえば、このお爺ちゃんは先ほどの謁見の場には居なかったっけ。

謁見していない人物、つまり初対面の人物の挨拶って、こんなに長いのかぁ。

長すぎて、言っている事が頭に入ってこない。ぜんぶ、右耳から左耳へと抜け落ちていく感じ。


ああ、ようやく磁石の話題に入るみたい。


「私めは、鉄がくっつく石についての研究を長年行っております。この石は東方教会の聖地アトス山のあるエーゲ海に面したバルカン半島側の沿岸部、マグネシア地方と呼ばれる場所で採取されたものです」


磁石とそれに伴う自己紹介も長い長い長いー。一文も長くて理解できない。説明下手だね、このお爺ちゃん。


マクシモスは自分が自然の探究者であり、磁石のこの不思議な石を長年研究しているのだとか。その魅力について滔々と語り始める姿は、研究バカって感じ。ひたすらに磁石について話続けており、周りの事なんか見えてない気がする。


「マクシモス、私の話を遮ってまで話したかったのは、自分の経歴かね? そろそろ本題に入り給え」


ラウルにたしなめられ、はっとした顔になったマクシモス爺は、ラウルとの会話に割り込んだ理由を話す気になったようだ。


「黒く光るこの石の性質についてお伝えしたき議がございます。

鉄がくっつくこの不思議な石、なんと、2か所にしか鉄はくっつかないのです。もちろんこの石だけではなく、鉄がくっつく全ての石に共通する性質なのです。つまり鉄がどこにでもくっつく石は存在しないのです」


ずこー。

あんなけ長い時間前置きを話しておいて、でてきた結論がそんなけだけかい!

そんなん小学生でも知ってるやろー。


自信満々に話を締めくくったマクシモス爺には悪いけど、ガッカリだよ。


それなのに、ラウルを始めとした周りの人間は「そうだったのですか」「いやぁ、ひとつ賢くなりましたな」と呟いている。


あぁ、彼我との認識ギャップが大きすぎてつらい。

そりゃ、小学生で習う理科の内容も中世ヨーロッパこちらの世界では最先端の科学なのかもしれない。

しかし、それを僕に自慢気に話してもらっても、どう収拾を付けてよいものやら。


「いや、そんなん知ってるし。幼児だと思って馬鹿にしてる?」

ありゃ、つい心の声が漏れちゃった。

自分の理性とは裏腹に、僕の感情は長ったらしい説明に我慢の限界を超えちゃってたみたい。


この場にいる全員が驚いた顔をして、一斉に僕の方を見る。

場の雰囲気はいっきに氷点下。おもいっきり凍り付いてしまっている。


でも、もういいよね。預言者って崇められちゃってるんだから、どうせ今更の話にすぎない。

僕はじゃがマヨコーンピザを食べるって決めたんだから、自重じちょうなんて言葉はどっかにぽいっと捨てちゃおう。

全てはイタリアなのにピザがないのが悪いのです。


「マクシモス、その黒光りする石を捜すよう命じたのは僕だ。その僕が石の性質を知らないわけはないだろう」


意識的に威厳がでるような口調を使ってみたけど、うまくいったかな?


マクシモスは無論の事、ラウルと今回招へいした聖職者3人組までもが神に祈る姿勢、つまりひざまずいて両手を合わせ、僕を拝み始めてしまった。


げげ、やりすぎた。というか効きすぎた。

多分、ギリシアからやってきた面々にとって、僕は神みたいな存在なのだろう。


幸いな事にアデライデをはじめとするトリノ家の人たちは、その様子をぽかんとみているから、マクシモス達が特殊なんだと思いたい。


あぁ、よかった。お母さま方にも跪かれちゃったらどうしようかと思っちゃったよ。



(預言者という肩書、恐るべきですなぁ)

大事になりすぎて、なんだか他人事みたいな感想が脳裏に浮かんでくる。


あはは、と乾いた笑い声がでてきそうになるのを僕はぐっと堪えた。


もういいや、いろいろ疲れてきた。

転生してから2年半。たったそれだけの時間だけど、韜晦とうかいしつづけるのは無理だったみたい。


子供の仮面をぽいっと捨てちゃういい機会なのかもしれない。


「マクシモス、この石の性質についてもっと詳しくしりたくないかい?」


叱責されたと思い下を向いて祈りを捧げていたマクシモスが僕を見上げる。


「もちろんでございます」

振るえる声で肯定するマクシモス爺に、磁鉄鉱を針磁石に加工するよう指示を与える。


「鉄がくっつく2か所をN極、S極という事にしよう。どちらがN極でS極なのかはさておき、N極とS極をつなぐ棒を削りだしてほしい」


最初に削りだすのは棒だが、最終的に僕が欲しいのは針みたいに細長い磁石。

庭にある大きな磁鉄鉱を削りだすのではなく、同じように持ち帰ってきた小さな磁鉄鉱でまずは試してみるよう命じた。


最初は10本ぐらい、それも鉄を引き寄せる力がなるべく強いものを選抜するよう言い含めた。


「磁石の針を10本用意出来たら、その性質について教えよう。マクシモスは下がってよし」


「はっ」と応答したマクシモス爺は、老齢のわりに機敏な動きで中庭から姿を消すべく走り去った。


よし、この調子でこの場を仕切っちゃおう。

「次、ラウル・ディ・サルマトリオ。前へ」

「はっ」


うん、切れのある返事は僕、嫌いじゃないよ。


にんまりとした笑顔を浮かべた幼児の前に進み出たラウルは、僕の言葉を待っている。


「ギリシアから持ち帰った磁鉄鉱、たしかに受け取った。大儀であった」

「は、勿体ないお言葉。ありがとう存じます」


こんな言い方であってるのかな、と内心ちょっと不安になりながら、ギリシアまで初めてのお使いを無事に終えた忠犬ラウルへ労いの言葉をかける。


僕はラウルにニコッと微笑みかけ、故意に崩した言葉で話しかける。


「それにしても、大きな石を持ち帰ってきたね。道中、大変じゃなかった?」

「はっ。重くはありましたが、道のりのほとんどを舟で運んだため問題ありませんでした」

「それでも、無事トリノまで運んできてくれてありがとう」


欲しかったのは針磁石だったから、あんな大きな岩はいらなかったんだけどね。

僕が目的をちゃんと伝えていればラウルの苦労も一つへっただろう。

そのぶんラウルには迷惑をかけてしまった。

せめて、感謝の言葉だけでもラウルには伝えてあげたかった。


「さて、本日は磁鉄鉱の岩にずいぶんと時間を取られてしまった。

残りの品については、目録と実物を確認した後に話をしたいと思う」


そうラウルと東方の聖職者3人組に声をかけた後、僕は次の面会の都合をお母さまに尋ねた。


「お母さま、次の面会は3日後でいかがでしょうか」

「そうですね。3日もあれば現状把握も含めて十分な時間だと思いますよ。私も立ち会いますので、3日後の午後、私の執務室でいかがかしら?」

「はい、お母さま。そのようにします。」


アデライデに返事をしたあと、ラウルと3人組に向かって今後の予定を僕は告げる。


「聞いての通りです。3日後の午後にみんなの話を聞かせてください。僕の方からもいくつかお願いを準備しておくので、心づもりをしておいてね」


それだけ言い残し、お母さまと僕は護衛を引き連れて、城館に入っていた。


ーーーーー

ア: アデライデ・ディ・トリノ

ジ: ジャン=ステラ


ア: 出陣していた3か月の間に、ずいぶん成長しましたね

ジ: 身長はあまり伸びていませんよ

ア: 態度がずいぶん大人びたのよ

ジ: (韜晦してたメッキがはがれただけ、とは言えないなぁ)

   男児三日会わざれば刮目かつもくして見よ、ですよ、お母さま

ア: なぁに、それ?

ジ: 東方の故事なのです

   こころざしがある幼児は、3日間で内面がすご~く成長するって意味です

ア: 男子ではなく、男児なの?

ジ: 細かいことは気にしなーい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る