第48話 お母さまは聖女でした

前回のあらすじ


遠路はるばるギリシアからトリノまで来たイシドロス司教だったが、ローマ教皇から東方教会大主教への親書を携えて再びギリシアに戻ることになりました。その機会を逃さず、東方教会側を味方するべくアデライデが、旧世界の地図を使って画策しました。



1057年5月中旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ 執務室


執務机の向こう側に立っているイシドロス司教の口元が引き攣っている。


イシドロスは世界地図が聖遺物だと主張するお母さまのからかいを真に受けてしまったみたい。ヨーロッパ、アフリカ、アジア大陸が描かれた羊皮紙を両手に持ったまま、心ここにあらずといった風情で動きを止めてしまった。まるで石像のように固まってしまっている。


この時代のヨーロッパに、極東アジアまで書かれた地図は存在しない。逆三角形のインド亜大陸が書かれていたら良い方で、中国なんて影も形もない。


アフリカ大陸の南方だって大航海時代まで未知の土地だったから、喜望峰が描かれている地図は世界初だろう。そういった意味でイシドロスが見つめている羊皮紙は、まさしく時代を超越したオーパーツだというのもわかる。将来は聖遺物に認定される可能性だってある。


でも、僕の事を預言者認定したのはイシドロス達でしょ? オーパーツの一つや二つに絶句して固まられてもねぇ。預言者にお仕えすると意気込み、トリノに移住するためやってきたにしては、覚悟が足りないんじゃない?


不服げな僕とは違い、イシドロス司教に対するいたずらが成功して満足したのか、アデライデはニコニコ顔で僕の横に座っている。


(お母さまのいけず者めー)


イシドロス司教には僕からもお願いがあるから、そろそろこちらの世界に戻ってきてほしいなぁ。


にやけているお母さまは、この事態を面白がっているだけで当てにならなさそう。


はぁ、と溜息が口から出てきた。


仕方ない。僕から声をかけよう。


「イシドロス殿、よろしいですか? イシドロス殿」

名前を二度読んでも、イシドロスは固まったまま。


ふぅ、と溜息をだしたあと、再度「イシドロス殿!」と少し大き目の声で呼びかけた。


「は! はい。何でありましょうか」


イシドロスは、さきほどまで忘我であった事を思わせる少し上ずった声で、意識が戻ってきたことを知らせてくれた。


まったくもう。せっかく立派なあごひげを蓄えているんだから、もっと堂々としていてよね。


「まずは、イシドロス達に苦言です。僕の事を預言者と思っているのですよね」

「「「はい、もちろんでございます」」」


新東方三賢者ことイシドロス司教、ユートキア輔祭、そしてニコラス副輔祭の返事が綺麗に重なる。


「でしたら、聖遺物の一つや二つで驚かないでください」

その言葉を聞いた3人の肩がびくっと振るえ、僕の方をまじまじと見つめてくる


僕が公式に預言者認定されたなら、身の回りのものが聖遺物になっても不思議ではないのだ。こんな事でいちいち驚くのは、「預言者誕生」という聖霊の言葉を受けた者としての覚悟が足りないとしか思えない。


僕の事を預言者認定したのはイシドロス達三人組でしょ? 僕は別に預言者認定なんて頼んでない。それどこか、自分の身が危険にさらされているんだよ。自分たちの都合を僕に押し付けているって事を本当にわかっているのだろうか。


子供の声だから押し出しは弱いとは思うけど、僕がぷんぷんと怒っている事を伝えようと頑張った。


なのに、僕に怒られているはずの三人は、反省したように縮こまるのではなく、顔に喜色を浮かべている。そして、子供のようなキラキラした目で僕を見つめてくる。


(なんか、おもってた反応と違う)

戸惑う僕に対して、イシドロスが感極まったような表情を浮かべて返答する


「もちろんジャン=ステラ様が預言者である事は承知しております。それでも聖遺物に初めて触れ、感極まった次第であります」


たった一つのオーパーツに茫然自失した不明を詫び、今後は聖遺物に驚かぬよう努力するとイシドロス達は誓う。そして、預言者を支えるための覚悟が足りなかったと反省の色を明らかにした。


「ここに改めて、われらは信仰を告白し、神より遣わされたジャン=ステラ様をお支えすることを誓います」


三人は両手を合わせてその場にひざまずき、十字架にかけられたイエス像を拝むかのように、僕を拝み始めるのであった。


◆ ◇ ◆


あぁ、藪蛇だった。大失敗。

表向きは失敗じゃないけど、僕の心情的には大失敗。人に拝まれるのは心臓に悪い。


新東方三賢者が預言者認定したせいで、僕はいろいろ迷惑をこうむっているのだ。その事にちょっとだけ文句をぶつけたかっただけだったんだよ。


しかし、自分が思っていたよりもフラストレーションが溜まっていたようで、強い言葉になってしまった。このことは僕も反省すべきだと思っている。


結果的に三人組の信仰心を刺激し、僕が預言者である事を強固に印象付けただけになってしまった。


「あーあ、なぜ僕が拝まれる事になっちゃったんだろう」


僕は現人神か何かですか? 違うでしょう。

単なる預言者だよ。

それも前世の知識があるだけで、預言者とは自分では一回も言っていないのに。



もう、居たたまれない。

叶うことなら、叫び声を上げて執務室から逃げ出したい。


しかし、逃げ出したところで、事態はきっと変わらない。


そして、お母さまは変わらず僕の横でニコニコ笑っている。


それが不思議だったので、面会の後、お母さまに聞いてみた。

「新東方三賢者の皆さんに僕が拝まれていた時、お母さまはどうして冷静に笑っていたのですか?」


僕の心の中は大変な事になっていたんですよ。

お母さまに助けて欲しかったのに、と思いを吐露してみた。


そうしたら澄ました顔で、僕にとって驚くような回答が戻ってきた。


「あなたが預言者だったら、私は聖母マリア様みたいなものでしょ」


そっかー、お母さまも信仰対象になっちゃうんだー。


「あはは……」

僕の口からは乾いた笑い声しか出てこなかった。


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