第15話 お父様のいる日常

1056年9月中旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


西の空にお日様が大分傾いてきた刻限、アデライデねえと僕の子供部屋に連絡が入った。


「オッドーネ様が帰還されたので、お迎えのため正面玄関ホールにお越しください」

「わぁ、お父様が帰ってきたのね」

連絡役のお姉さんの言葉にアデライデねえが喜びの声をあげた。


一礼をして足早に去っていく連絡役を見送った後、アデライデねえと僕は服装を整えて正面玄関へと移動を開始した。


僕と手をつないで廊下を一緒に歩くアデライデねえが弾む声で話しかけてきた。


「なにかお土産があるかしら。 それに、お父様にこの髪を見てもらいたいわ」

アデライデねえの頭には今日も天使の輪が浮かんでいる。


僕がトリートメントをアデライデねえに渡してからというもの、毎日ずっと髪の手入れを欠かさず行っている。


1か月前までは、ぱっと見はともかく毛根あたりの汚れに無頓着だったとは思えない変わり様である。


「アデライデねえはとっても綺麗になったよ。 お父様が領地巡回に出かけたときとは別人みたいだから、ぜったい驚くし、ほめてくれること間違いなしだよ」


それにアデライデねえだけではなく、母アデライデも別人みたいに若返っているから、お父様すっごい驚だろうなー。 


美にかける情熱は母アデライデの方がすさまじく、1週間くらいあーでもない、こーでもないとトリートメントの調合に突き合わされたのだ。 


そして、髪つやに似合う衣装ドレスはどれかと、次々と衣装を替える母に付き合うのは大変だった

まさに前世でのファッションショーとか、オートクチュールって感じ。

その場に仕立て屋さんを呼んで新しい服も仕立ててました。 

さすが辺境伯、お金持ちです。


あれ、ファッションショーとかオートクチュールではモデルが服をきて顧客は座って服を眺めるのではないかって? 

普段ならその通りなんだけど、今回は髪つやに合わせるため、母自身が仮縫い着を試着して歩いてました。


「お母さま、一番素敵な服を選ぶなら少し歩いてみるのはどう? 光の加減がかわると見栄えも変わるよ」

なんて僕が言ったものだから、服選びに余計な時間がかかってしまいました。


余計な時間って何時間とではなく、1週間ですよ、1週間。


“僕も前世は女性だったから、その気持ちはわかるよ。でも、1週間は長すぎだと思うんだ”

との心の叫びを母と姉、二人のアデライデに伝える事はできなかった。


さらには、トリートメントと同じような材料でできるお肌パックの調合と使い方も教えたので、お肌ももっちもちに大変身。

ちなみに、お肌パックは母にしか教えていません。


「アデライデ(姉)はまだ6才なんだから、お肌のお手入れは不要です」

と声を大にして主張してました。 

たしかにそうだけど、目が笑っていませんでしたよ、お母さま。


    ◇    ◆    ◇


トリノ辺境伯城館の玄関ホールに着くと、既に母と兄3人が玄関前に一列に並んでいた。


「アデライデお嬢様、ジャン=ステラ様はこちらにお並びください」

侍女の誘導にしたがい、お母さまの方へと近づいて行った。


ほう、っと溜息がでそうになるほどお母さまが綺麗。


天使の輪っか付きの栗色の髪がよく映える寒色系のドレスがとても素敵に似合っている。 

胸元をピンポイントに飾る黄色い花も素敵で、遠目での華やかさを増してくれてるだけでなく、手入れの行き届いたつやつやした肌の透明感を強調してくれてるみたい。


でもそれよりも、お母さまのよろこびが溢れてくるような笑顔が一番のポイント。

お父さまが帰還されたので嬉しいのもあるのだろうけど、美しくなったという自信がその魅力を増しているのだと思う。


“盛装は服だけでは完成しない。 笑顔があって初めて盛装になる”

お母さまを見ているとこの言葉を実感する。


だからお母さまに素直な言葉を投げかけた。

「今日のお母さま、とっても綺麗ですよ」


「私もそう思うわ。 今日のお母さまはいつもよりずっとずーっと素敵」

アデライデねえが僕の言葉に続けた。


「二人ともありがとう。 とっても嬉しいわ」

お母さまが僕たちに言葉を返す傍ら、母の横にならんでいた3人兄達は、きょとんとした顔をしている。


だめだ、こりゃ。 お母さまが大変身を遂げた事を3人ともわかっていない。

「ん? いつもと何か違うの?」 って思っているに違いない。


これだけ大変身しているのに、なんで分からないのか不思議でならない。

これだから男ってやつは。


って、今は僕も男だっけ。


    ◇    ◆    ◇


家族と話をしながら時間をつぶしていたら、少しして父オッドーネが乗る馬車が玄関ホール前の車寄せに姿を表した。


馬車が止まるや否や、勢いよく開け放たれた馬車の扉からオッドーネが飛び出すような勢いで降り、足早にこちらに向かってくるのが見える。


「オッドーネ様、お帰りなさいませ。 無事にご帰還されました事を嬉しく思っております」

満面の笑みを浮かべた母アデライデは、弾んだ声でオッドーネと挨拶を交わす。


「アデライデ、ただいま。君の顔を見ると自分の居場所に戻ってきた気がして嬉しいよ」

と言いながら、チークキスをしていた。


一方が盛装した色白の貴婦人で、もう一方が埃にまみれて薄汚れた大男。

仲睦まじい美女と野獣、だね。


「それにしても、今日のアデライデは綺麗だ」

挨拶の後、アデライデをちょっと不思議そうな目で眺めていたオッドーネがすこし真面目な表情を作ってから語り始めた。

「僕の目には輝く湖水から昇ってきたお日様のように輝いて見える。いつも素敵だけど、今日は格別に綺麗だ。」


おおおお!? 

これってイタリア男の口説き文句ってやつですか? 

湖水というのは寒色系のドレスを指していて、髪がつやつやしているのをお日様にたとえている?

こんな言葉、こっぱずかしくて聞いている僕の方が赤面してしまいそう。


だけどお母さまは、嬉しそうだけど全然恥ずかしそうに見えない。 普段から言われ慣れているかもしれない。

さすがはお母さまもイタリア女?


“お父様が髪の毛と服に気づいてくれてよかったね、お母さま”

と僕は、心の中で グッジョブと喝采を浴びせたのでありました。



アデライデとの挨拶を終えた後、オッドーネは子供たちと順に言葉を交わしていった。


剣技を習い始めている長男ピエトロには剣の話。

「剣の使い方は上手くなったかい?」

「はい、こんど手合わせをしてください、父上」

「うむ。実践的な剣技を見せてやろう。」

わっはっはと豪快にわらってみせる父オッドーネ。


まだ6才で武術を習い始めていない次男アメーデオには、

「1か月みないうちに大きくなったなー。 

大きくなればなるほど強くなるから、もっともっと大きくなれよ。

それ、高いたかーいだっ」

と抱き上げてほおずりしたあと、高い高ーいと空に放り投げていた。


4才で父と同じ名前を持つ3男オッドーネは大人しい性格をしている。

それに合わせてか、目線の高さを合わせてから

「いい子にしていたかい?」

と優しく声をかけた後、頭をなでていた。


一人ひとりに合わせて態度や話題を変化させていくのを見ると、見た目は熊とか野獣でも、さすがは大領地の領主様なのだと思う。



次はアデライデねえの番。

僕はお父様はアデライデねえの髪つやに気づいてくれるかな、とドキドキしながら見守った。


「おや、アデライデの髪が光って見えるぞ。 今日の君は世界で一番かわいくて綺麗だ。 さすがは私の娘だ!」

「お父様、気づいてくれてとっても嬉しい。 わたし、綺麗になろうと頑張ったのよ。」


オッドーネに髪をほめられてアデライデねえはとても嬉しそう。

そして綺麗になった娘をハグしているオッドーネもいい笑顔をしている。


お父様ならきっと気がついてくれると思っていたけど、気づいてもらえてよかったね。 

それにしても、お母さまをほめた時よりも自然ないい笑顔をしていないですか?

これだから、親ばかは...


「この髪はね、ジャン=ステラがつやつやにしてくれたの。お母さまの髪もそう。 ジャン=ステラってすごいのよ。」

「おおお、そうなのか。 ジャン=ステラ、よくやった。我が家の貴婦人たちを美しくしてくれるお前はすごいぞ」

僕を褒めてくれたアデライデねえの言葉を受けて、オッドーネは芝居がかった口調と表情で僕に話しかけてきた。


うん、お父様。 アデライデねえの言葉を全く信じてないね。

僕が過去の記憶を持って生まれてきたと知ってはいても、見た目が2才児だから、仕方ない?

それとも、農業と牧畜を習ってきた平民って伝えたから、ろくな知識を持っていないって思われているのかな。

まぁ、どっちでもいっか。


「お父様、ほめていただきありがとうございます。髪をつやつやにする薬を作ったんですよ。」

「ほうほう、そんな薬を作るだなんてジャン=ステラはすごいなー」


そういってお父様は僕を抱き上げてくれた。 僕にとって幸いな事に高い高いーではなく、胸にだっこした形である。


高い高いーって怖いんだよ。 

遊園地のジェットコースタみたいに視点が変わるだけならいいんだけど、おっことされるんじゃないかと、ひやひやするんです。

つまり、安全ベルトと安全バーのないジェットコースタ。 想像したら怖くない?


それはさておき、僕の口元がオッドーネの耳元にきたので、他人に聞かれたくない内容を小声で話すことにした。


「昔の記憶を使って薬を作りました。」

そういうと、お父様はびくっと体が少し固くなりました。

僕からは表情は見えないけど、表情も固くなっているんじゃないかな。

「お母さまには既に伝えてあります。この薬の事も含めてお父様に話したいことがありますのでお時間をとってください。」


「わかった。 お母さんと話をした後に連絡するからな」

お父様は僕に小声でそう伝えると、高い高いーと僕を空中にほうりなげた。


「ぎゃーーーー」


落ちてきた僕の体をキャッチしたオッドーネがニヤニヤ顔で笑っている。


「お父様ひどいっ」

その笑顔にムカついて僕は睨んでみたけど、全く効果がなかったみたいで、家族みんなが大声で笑い出した。


釈然とはしないけれど、家族が笑っているこんな日常が続くといいな。

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