第235話 あじさいの花
1064年8月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
「ジャンお兄ちゃん、ようやくカラアゲが食べられるね」
アニェーゼさんと初顔合わせをする会場へと歩いていく途中、アレクちゃんがちょっと疲れた顔で僕に話しかけてきた。
今日は本当に長い1日だった。
ピエトロお兄ちゃんのお嫁さんが到着したかと思えば、顔合わせの席次で揉めちゃうし、
そして、イルデブラントがやってきてイベリア十字軍に参加することになっちゃった。
新大陸からエイリークが帰ってきたのに、ポテトもコーンも何も持って帰ってこられなくて、
最後にはローマ西方教会とコンスタンティノープル東方教会の仲を取り持つことになった。
僕も頑張ったけど、一日中一緒にいたアレクちゃんは僕よりもずっとずーっと頑張ったと思う。
だって、アニェーゼさんとの初顔合わせに僕が招かなかったら、アレクちゃんが連続イベントに巻き込まれることはなかったんだもの。
でも、ようやう解放されたよ!
アニェーゼさんとの初顔合わせをチャチャっと終わらして唐揚げをお腹いっぱい食べようね。
「ぐぅ〜」
唐揚げの事を考えていたら、お腹が鳴った。
ちょっと恥ずかしくて、あはは〜って笑っておく。
「お兄ちゃんもお腹すいてるんだ。僕のお腹もぺこぺこだよっ!」
自分のお腹をさすりながら、僕に微笑みかけてくれるアレクちゃん、まじ天使に見えてきた。
その天使なアレクちゃんはまだ七歳なのに、一日中ずっと執務室で大人しくしていたんだよね。小学校二年生の男の子だと考えたら、ありえないぐらい我慢強いと思う。さすが、東ローマ帝国の皇族だけあって育ちがいい。とはいえ、一体どのような教育を受けてきたらアレクちゃんみたいないい子に育つのかな?
初顔合わせ会場の扉を衛兵に開けてもらうと、部屋の中央には円卓が一つ置かれている。
そして、部屋の入口には女の子が一人立っていて、ぎこちなく感じる笑顔を僕たちに向けていた。
「あの人がアニェーゼお姉ちゃんかな?」
「きっと、そうだよ」
アレクちゃんが小声で問いかけてきた。服の素材と仕立て、そして装飾品が上位貴族のものだし、何よりこの場所に一人で立っていることを許されている時点でアニェーゼさんしかありえない。
そのアニェーゼさんは地味な淡い灰色の服で、これまた地味な栗毛の女の子だった。形容するならば、暗い雰囲気を身にまとった薄幸の美少女って感じ。
アレクちゃんと僕が部屋に入るとすぐに、アニェーゼさんは床に膝をついた。
「カナリア諸島王ジャン=ステラ・ディ・サヴォイア様、どうか数々のご無礼をお許しくださいませ」
神に祈りを捧げるような感じで僕に手を合わせてくる12歳の女の子。僕はその目が昏い事が気になった。
それも当然なのかもしれない。見方によっては、トリノ辺境伯家に着いて
王様と貴族の身分差は、貴族と平民との身分差と同じくらい隔絶している。王様である僕を貴族扱いしたということは、貴族を平民よばわりしちゃった位の大失態。アニェーゼさんが顔面蒼白で平謝りするのも当然なのかもしれない。
僕はぜんぜん気にしていないんだけど、それをどう伝えればいいのかな。
そもそも身分差を気にするつもりなら、円卓での顔合わせなんて提案しないもの。
アニェーゼさんの手を僕は両手で包みこみ、安心するようにニコっな笑顔で話かける。
「アニェーゼ様、お立ちください。このままではお話もできません」
「ですが、ジャン=ステラ様……」
「気にすることは何もないのです。私が円卓を用意したのは、身分を気にせずアニェーゼ様とお話しするためなのですから」
なおも
そして、困惑する手を取ったまま円卓の方へと僕はアニェーゼさんをエスコートする。
「あ、あの……」
できるだけ優しそうな表情を心がけながら、アニェーゼさんにお願いした。
「アニェーゼ様、どうかお座りください。そしてアレクシオス様も円卓にお着きください」
アレクちゃんが椅子に座ったのを見計らい、ぼくも自分の席へと移動し「ごほんっ」と一つ咳払い。
「さ〜てと、三人とも席についたし、初顔合わせの儀を開始したいと思いま〜す。円卓に座ったからには、身分を気にせずおしゃべりするんだよ、心の準備はできたかな?」
さきほどまでの
「は〜い、ジャンお兄ちゃん、了解で〜す」
と、にこにこ笑って答えてくれるアレクちゃん。
さすがはアレクちゃん! 長い間一緒に過ごしているだけあって、僕のことを良く分かってくれている。
「え、えっ? は、はーい? りょうかいです?」
その一方でアニェーゼさんは目が泳いでいて、困惑を隠せていない。アレクちゃんと同じ言葉をそのまま口にしちゃっている。
それでも「はーい」って言ったよね。うん、言った。ということで、身分を気にせず話すことに了解したってことにしちゃうからね。
それでは、早速の自己紹介ターイム。
「アニェーゼさん、初めまして! 僕はピエトロお兄ちゃんの弟、ジャン=ステラです。アニェーゼさんがお兄ちゃんと結婚したら、僕のお姉ちゃんになるんだよね。家族としてこれからよろしくねっ!」
「は、はぃぃ? よ、よろしくお願いいたします」
アニェーゼさんの
混乱の度を深めていくアニェーゼさんだけど、その驚きの表情からは、先ほどまでの昏さが消えている。間違いなく今のアニェーゼさんの方が、可愛くて魅力的だよ。ピエトロお兄ちゃんには、今のアニェーゼさんを見て欲しいな。
次にアレクちゃんをアニェーゼさんに紹介する。
「そして僕と一緒に部屋に入ってきたのが、お友達のアレクちゃん。アニェーゼさんもアレクちゃんと仲良くしてくれると、僕も嬉しいな」
「ア、アレクちゃんですか?! 東ローマ帝国皇族のアレクサンドリア・コムネノス様ですよね」
アニェーゼさんの声がひっくり返っちゃった。うんうん、おっけーおっけー。その調子で素顔を見せていって欲しいな。
「アニェーゼお姉ちゃん、初めましてっ! アレクで〜す」
「は、はい、アレクシオス様、お初お目にかかります」
「ぶっぶー。アレクシオスじゃなくて、アレクって呼んでね」
両手の人差し指を口の前に持ってきて、バッテンを作るアレクちゃん、まじ可愛い。
「失礼いたしました。これからアレク様とお呼びいたします」
そんな事を言うアニェーゼさんに、アレクちゃんは不満顔。
「ぶーぶーぶー。この場では敬称も敬語もなしなんだからね。ねー、ジャンお兄ちゃん」
同意を求めてくるアレクちゃんに、僕は当然だとアニェーゼさんに伝える。
「そうそう、アレクちゃんの言う通り。僕のことはジャンか、ジャン=ステラってよんでね。ちなみに、ピエトロお兄ちゃんとアデライデお母様はジャン=ステラって呼んでるんだよ」
「そ、そうは言われましても……」
おろおろとアニェーゼさんが不安そうに周りを見渡す。
そんなアニェーゼさんに落ち着いてもらおうと僕は言葉を重ねた。
「大丈夫だよ、アニェーゼさん。だって僕たち義姉弟になるんだもの。家族なら仲良く呼び合うのって当たり前でしょう?」
「「ええっ!」」
家族を呼ぶ時には敬称をつけないし、敬語も使わないよね。そんな常識に対し、アレクちゃんとアニェーゼさんの声が見事にハモった。
「ジャンお兄ちゃん、そんなわけないでしょ? 僕、イサキオスお兄様とは仲がいいけれど、呼び捨てなんてしないし、いつも敬語を使っているよ」
「私には兄はおりません。ですが父ギヨームには異母兄が二人、同母弟が一人いました。彼らは後継者争いでいがみ合っていましたから、仲良く呼び合う場面を見たことはありません。家族とは
「まじですか?」
「「うん(はい)、まじです」」
二人の声が再びハモる。
「なんてこったい」
そうなのかぁ。いや、なんとなく貴族の兄弟なら仲悪いかもって気はしていたよ。
現代日本でも遺産争いで家族仲が崩壊するってニュースはありふれたものだった。貴族だと後継者争いが
二人に常識なしって間接的に言われてがっくりと肩を落としていたら、二人が
「ジャンお兄ちゃんの家族がすっごく仲良すぎなだけだよ。でも、それっていいことでしょ?
僕、ジャンお兄ちゃんに家族同然として扱ってもらえて嬉しいもん。ギリシアの宮殿にいる時よりも、ジャンお兄ちゃんのそばの方が居心地いいんだよ」
そういってアレクちゃんが僕に笑いかけてくれる。それを見ていたアニェーゼさんは、目尻が少しさがった柔和な顔へと変化していった。
「ふふふっ。いがみ合う親族の姿をジャン=ステラさんは見たことがないのですもの、トリノ辺境伯家はみなさん仲良しなのですね。
そのような温かい家に嫁ぎ、ジャン=ステラさんの家族の一人になれることがとても嬉しいです」
これがアニェーゼお姉ちゃんに笑顔という花が咲いた瞬間だった。例えるなら、うん、そう。ひまわりみたいな派手さはないけれど、雨を浴びてなお大きな花を咲かせる
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