第138話 海の荒くれ者ノルマン人

 1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 どうやらローマ教皇は世界地図が欲しかったらしい。その代価として、僕の前世が天使だと、そして預言者だと認定してくれるんだって。さらには、ユーグとクリュニー修道会を使って、新大陸を発見までしてくれるというオマケつき。


 ただし、ユーグ達による新大陸発見は、僕からもらった世界地図が正しいことを確かめる意味合いもある。オマケの条件は僕だけではなく、ローマ教皇の利益でもあるんだよね。


 そこで、お母様は世界地図の代価を釣り上げてくれた。

「ジャン=ステラを聖職者にはしませんよ。もし聖職者に叙任したとしても、妻帯させますからね」



 僕に聖職者なんか勤まりそうにない。だって、面倒だもの。だから1番目の条件はとっても嬉しい。


 一方で、預言者と認定する教皇側からすると、僕を一般人のまま放っておく訳にはいかないとも想像できる。

(きっと、勝手に司祭とかの位を贈りつけてくるんだろうなぁ)


 だから、重要なのは2番目。マティルデお姉ちゃんと結婚するためには絶対必要な条件になる。


 でも、何か変だよね。聖職者って結婚できたっけ?


 前世の記憶を辿ってみる。

 プロテスタントの牧師さんは結婚できる。しかしカトリックの神父さんって結婚できなかったはず。


 プロテスタントが誕生したのは16世紀。マルチィン・ルターの宗教改革を待たないといけない。つまり、聖職者は全員カトリックの神父さんなのだ。


「ねえ、お母様。聖職者って許可があれば結婚できるんですか?」

「ぷはっ」ってお母様が噴き出した。そしてクリュニーは渋い顔。


「ジャン=ステラったら時々、すごい基本的な知識が抜けてるのね」

 ほんとうに預言者なのかしら、とお母様が首を傾げる。


「うぅ、ごめんなさい。お母様が条件に挙げていたから、許可があれば結婚できるんだって驚いたんですよ」

 だって、誰も教えてくれないんだもん。


「いいわ、教えてあげる。聖職者は独身でいるように、と教皇は説いています。しかし、その教えはそれほど守られていないのですよ」

 教皇の威厳ってなんなのかしらね、とお母様。


 イエス・キリスト、そして初代ローマ教皇のパウロは独身だった。この2人を模範とし、聖職者は独身を貫く方が望ましいと教皇庁は教えている。


 望ましいという事は、つまりは努力義務であり、結婚を禁じられてはいないのだ。実際、多くの司祭が妻をもち、子を成し、さらにはその子に跡を継がせている。


「あれ? それなら、わざわざ教皇猊下に結婚する許可をもらう必要ありませんよね」

 もし聖職者に任命されちゃっても、気にせず結婚しちゃえばいい。だって、努力義務でしょ。

 それなら許可をもらう必要ないよね。


「慌てない、慌てない」とお母様が僕をたしなめる。

「教皇猊下が、聖職者の結婚を快く思っていないのですよ。だったら、許可を得ておいた方がいいでしょ?」


 ローマ教皇率いる教皇庁は、聖職者の妻帯をどうにかして止めさせたいと思っている。先代の教皇ニコラウス2世の頃から「聖職者たるもの独身たるべし!」と強く、強く訴えているのだ。



「あのぉ、お母様。聖職者は結婚しちゃダメって教皇猊下は言っているのですよね」

「ええ、そうよ」

「僕が聖職者になっても、結婚できるようにと、教皇の許可を求めていますよね」

「それがどうしましたか?」


 お母様が涼しい顔で答えを返す。


「教皇は結婚を禁止しているのに、その結婚の許可が欲しいってことですよね」

 お母様、教皇猊下に喧嘩売ってませんか、とは言わずに止めておく。



「ジャン=ステラを聖職者に任じなければいいだけなのよ」

 お母様は涼しい顔をしつつ、ユーグにも念押しをする。「そうですよね、ユーグ殿」


 話を振られたユーグはというと、「いや、まぁ、そうですなぁ」と曖昧に答えた。


 ユーグとしては教皇側に立ちたいけど、勅命を果たさないといけないし、と板挟みなんだろうね。ご愁傷さま。



 そろそろ新大陸に話を戻そう。


「ユーグは僕が地図を渡したら、新大陸を見つけてくれるんだよね」

「はい、もちろんですとも。それが教皇猊下のお望みでもありますから」

「どうやって、新大陸まで行くの?」


 僕がユーグに世界地図を渡したとしても、新大陸にいく手段はあるのかな。


 アルベンガの港に停泊している船はガレー船。船腹の左右にたくさん並んだオールを、水兵さんが力一杯漕いで動かすのだ。帆を張っている船もあるけど、大きな手漕ぎボートと言っていい。


 まさか手漕ぎボートで大西洋を横断しないよね、とユーグに聞いてみた。


 手漕ぎボートの弱点は、人力であること。

 当たり前だけど、人はご飯も食べるし、お水も飲む。新大陸まで船で1ヶ月はかかるが、大西洋を横断する途中に水や食料を補給する場所はない。その分、食料と飲料水をたくさん持っていく必要がある。


「ご安心ください。ノルマン人の傭兵を雇います」


 ノルマン人は北方nordmanで、大西洋岸の海を略奪しまわっている海賊集団、みたいなもの。バイキングって言った方が分かりやすいかも。


 ただし、海賊というにはアグレッシブすぎる集団であり、領土の占領と支配も行っている。例えば10世紀にはフランスのノルマンディー地方を占領し、ノルマンディー公国を建国した。


 そのノルマンディー公国は、現在進行形でイギリスを侵略している。さらには、イタリア半島のつま先にある、シシリア島をも現在侵略中なのである。


「海賊なら、船の扱いは上手だろうね」

 ユーグに言われて気がついた。ヨーロッパ中を探しても、ノルマン人ほど船の扱いに長けている人たちはいないだろう。


「だけど、新大陸は遠いんだよ。途中に島はないし、補給できないんだよ」

「その点も心配無用です。彼らは、遠洋航海に慣れております。彼らなら間違いなく、長期間の航海に耐えてくれる事でしょう」


 そんなことを言われてもねぇ。口先だけじゃないのかな。


「ユーグを疑うわけじゃないけど、なにか根拠でもあるの?」


 現状ではノルマン人が適役だと僕も思う。しかし、新大陸に行ったきりで、戻ってこなければ寝覚が悪い。何か僕を納得させる根拠があれば、嬉しいのだ。


「ありますとも」

 ユーグが自信たっぷりに答える。

「ジャン=ステラ様への献上品に、その証拠が入っております」


 ユーグが立ち上がると、執務室入口の机から細長い包みを持ってきた。


「こちらが万能薬として名高い、ユニコーンの角にございます」


ーーーー

あとがき

ーーーー


 聖職者は独身であるべし!は宗教改革(グレゴリウス改革)の三本柱の一つです。


 残り2つは

 1.聖職者は教皇が任命する。貴族は任命する資格なし! の叙任権闘争

 2.お金で聖職者の位を売っちゃダメ! の聖職売買(シモニア)の禁止

 になります。


 なお、教皇位も聖職売買の対象でした。

 1046年に皇帝ハインリッヒ3世は、「教皇グレゴリウス6世が教皇の位を買った」、と非難しています。


 教皇と皇帝との権力闘争がヒートアップしていきます。


 この因縁が皇帝ハインリッヒ4世と教皇グレゴリウス7世(作中のイルデブラント)の争いに、そしてカノッサの屈辱へと繋がっていくのです。

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