第239話 隗とエイリーク
1065年1月中旬 北イタリア アルベンガ離宮 エイリーク
「中国には『先ず隗より始めよ』ってことわざがあるんだけど、エイリークは知っている?」
我が君主でありカナリア諸島王であるジャン=ステラ様から御下問があった。
中国? たしかヨーロッパの東に広がるアジアの東側、インドをも越えた場所に大きな国だと聞いた事はある。しかし、そのようなことわざは聞いたことがない。
「我が君よ、浅学非才な私には難しすぎる御下問でありますです」
「ぷっ、エイリークったら、なに変な言葉遣いをしているの? 伯爵になったからって僕に対する話し方を変えなくてもいいんだよ」
ジャン=ステラ様が屈託のない笑顔を私に向けてくださる。たったそれだけなのに、胸が詰まるほどの感動が私を包む。あぁ、このお方が神にも等しい、私の主君なのだ、と。
バレアス諸島の海賊商人の討伐の功により、本日、俺はバレアス諸島伯爵の位を頂いた。
一介の平民が、いきなり伯爵へと成り上がる。夢のような話だ。とはいえ男爵ならともかく、伯爵とはいくらなんでも怖れ多すぎではなかろうか。
通常ならば、誰だって褒賞は多いに越した事はないと言うだろう。しかし俺の場合、挙げた功に対して褒賞が釣り合っていなさすぎる。
バレアス諸島の海賊連中は、小競り合いをしただけですぐに降伏したのだ。わざわざ大金を払って傭兵船団を編制したというのに、ほとんど俺の出番はなかった。
先だっては新大陸に到達したものの、何も得られず、ただ船員を失っただけで帰還した。
はっきり言って、男爵になるだけでも周囲のやっかみは酷いものとなるだろう。
ただ、俺が非難される分には別に構わない。「幸運の女神に愛されてるだけさ」とでも言っておけばいい。
だが、ジャン=ステラ様のお立場は悪くなるだろう。
人を見る目がない、功罪を見定める目を持っていない、
俺みたいな船長、船団長だって褒賞を間違えると船員から恨みを買うのだ。航海中、後ろからズブリと一突きされる恐怖と戦うのは精神的に疲れるものだった。
ジャン=ステラ様と俺とでは、人としての器が違うことは分かっている。だが、それでも敬愛する主君であるジャン=ステラ様が他者から悪しざまに罵られるかもしれない。想像するだけでわが身を八つ裂きにしたい衝動に駆られてしまう。
そこで俺は伯爵位の辞退を申し出た。出たんだが...…
トリノ辺境伯家の家長であるアデライデ様から「ジャン=ステラの決定に不服があるのですか?」と凄まれ、伯爵への叙爵を余儀なくされてしまった。
ジャン=ステラ様は本当に大丈夫なのだろうか。将来に禍根を残すことにならないだろうか。
内心の憂鬱を隠しつつ叙爵式を終えた俺に対し、ジャン=ステラ様が語ってくれたのが中国の故事、「先ず隗より始めよ」だった。
人を集めるためにはどうするか、その一つの方法を編み出したのが隗という中国の人物である。
王の下問に対し、隗は答えた。
「まずは私を重要な役職につけてください。
次に、私のような非才な者でも重用されるという噂を流すのです。
そうすれば、自分の才能に自信を持つ者たちは、王に仕官を求めて遠路はるばるやって来るでしょう」
なぜ、このような話を俺に語って聞かせるのだろうか。固唾をのんでジャン=ステラ様の次のお言葉を待つ。
「僕はね、エイリークには隗の立場を演じて欲しいんだよ。平民出身の海賊でも伯爵になれる。
これを知ったら、多くの傭兵が新大陸に向かってくれると思わない?」
なるほど。失態を犯した私でさえ、新大陸に到達しただけで伯爵になれるのだ。
ならば、新大陸から文物を持ち帰ったら、貴族になれるかもしれない。
しかも俺で伯爵なのだから、侯爵という可能性だってある。
そう思わせて優秀な傭兵船団を集める、と。そういう理由で俺を伯爵にしたのか。
得心した。腑に落ちた。
俺の功績が乏しいことは自覚している。
つまり、非才な中国人、隗と俺は同じ立場なのだ。
そのことをジャン=ステラ様に咎められているのだろうか。
心をえぐられるような痛みを感じ、思わず胸をおさえてしまった。
だが、俺の心の痛みなぞジャン=ステラ様の前では些細なことなのだろう。
今後の活躍によってのみ、この汚名は
ジャン=ステラ様に見離されないためにも、まずは与えられた役務を着実にこなすことにしよう。
心で泣きつつ、笑顔を作る。
「このエイリーク、ジャン=ステラ様の
◇◆◇◆◇
【傭兵集め】
ジ:ジャン=ステラ
エ:エイリーク
ジ:ね、傭兵、たくさん集まったでしょう?
エ:これほど早く船団が編制できるとは思ってもいませんでした
ジ:隗ってすごいよねー
エ:(え、隗がすごい? 無能の道化役ではなかったのか?)
ジ:じゃあ、新大陸にいってらっしゃーい
エ:今度こそはトマトを持ち帰ります!
◇◆◇◆◇
【バレアス諸島討伐にまつわるエトセトラ】
ア:アデライデ・ディ・トリノ
エ:エイリーク
ア:トリノとアキテーヌ。あなたはどちらの味方なのかしら
エ:当然、ジャン=ステラ様の味方です
ア:言葉だけで信じられるとでも?
エ:
ア:どのように?
エ:バレアスの海賊の仕業に見せかけました
ア:アキテーヌ公にバレてないわよね
エ:当然であります
ア:よろしい、それでこそジャン=ステラの忠臣です
エ:ありがたき幸せ
無礼を働いた者を許さないお母様とエイリークでありました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます