第240話 皇帝親政
1065年3月中旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
今にも雨が降り出しそうな厚い雲が地中海を覆っている。
三月といったらもう春のはず。しかし春とは名ばかりで、離宮のバルコニーから海を眺めている僕の頬に打ちつける風はとても冷たい。
では、なぜ暖かい室内に戻らないのか。
それは東から西へ進む船団を悔しい思いで見ているから。
波に揺られて上下するガレー船を望遠鏡で見ると、2種類の旗が掲げられている。
一つは赤地に白十字のピサの旗。
そしてもう一つはゴットフリート3世の紋章である、金地に黒い獅子の旗である。
「お母様、くやしいです。せっかくバレアス諸島を制圧し西地中海を抑えたのに、ゴットフリート3世の船を見逃さないといけないだなんて」
教皇から依頼されたバレアス諸島制圧作戦は昨年末に終了した。
アメーデオお兄ちゃん率いるイベリア十字軍艦隊に、バレアス諸島の海賊団は一戦も交えることなく降伏した。
エイリークが率いる傭兵船団に、アレクちゃんのギリシアの火搭載のガレー船。あとはジェノバ、ローマ、アマルフィの商船団が加わった大艦隊だったから、戦っても勝てないと思ったのかな。
「でもなぁ、バレアスの奴ら、めっちゃ嬉しそうに降伏してきたぜ」
とはアメーデオお兄ちゃんの言。
「引き続き商売ができるのなら、領主がデニア王でもカナリア諸島王でも構いません。
いえ、むしろ
などと言っていたらしい。
リップサービスが多分に含まれているとは思うけど、それでもちょっとなんだかなぁ、と思わないでもない。まぁ、いいけどね。
そしてバレアス諸島の制圧によって、アメーデオお兄ちゃんはめでたくもカナリア諸島副王になった。そしてエイリークがバレアス伯爵に
ここまでは妥当な論功行賞だったと思う。
一方で僕が驚いたのは、教皇が設定した3つの男爵位の行方。
アデライデお母様の提案により、ジェノバ、ローマ、アマルフィの商人がそれぞれ1つずつ襲爵することになった。
これって、名目上とはいえ、ジェノバ、ローマ、アマルフィがカナリア諸島王、つまり僕に従うってことなんだよね。すごくない?
まぁ、実際にはジェノバ、ローマ、アマルフィの都市国家本体に命令できるわけじゃないけれど、実質的にはトリノ辺境伯家と同盟したような状態になった。
では誰に対する同盟かって? それは今回の十字軍に参加しなかったピサになる。
ジェノバ、ローマ、アマルフィにとってピサは長年の商売
ピサが十字軍に参加しなかった事をチャンスと捕らえたアデライデお母様は、「十字軍に参加しないのはキリスト教に対する冒涜だ」という大義名分をでっち上げた。
(ああ、こうして宗教が戦争に利用されていくのかぁ)と、これは僕の感想。
まぁ、要は三都市にトリノ辺境伯家を加えた四者による、ピサを敵とする同盟を締結することになった。
なお、ピサの実質的な支配者はトスカーナ辺境伯のゴットフリート3世だから、トリノ辺境伯家にとってこの同盟は対ゴットフリート3世という事でもある。
それなのに僕たちがいるアルベンガ離宮の目の前を、ゴットフリート3世を乗せたピサの船が悠々と航海している。それどころか、ゴットフリート3世を乗せたピサの船を撃沈しないよう、ジェノバ・ローマ・アマルフィに手を回さなければならなかった。
あの船を沈められたら万事解決するというのに……。
そう考えるだけで悔しいったらありゃしない。
「それもこれもハインリッヒ4世のせいだー!」って叫びたい。
「ジャン=ステラ、仕方ないわよ。陛下は私たちの主君なんですもの。親政を祝う門出に向かう
溜息まじりにアデライデお母様が、僕を慰めてくれる。
このたび神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世はめでたく成人年齢である15歳に到達し、親政を開始することになった。
そこで、ゲルマン式の成人式であるシュヴェルライトを執り行うと
「ゴットフリート3世には
ご丁寧にもアデライデお母様に、ゴットフリート3世のドイツ行きを邪魔するなと通達までしているのだ。
「ジャン=ステラ、いいこと。ドイツ行きの邪魔はするなと言われています。しかし、帰路については書かれていないのですよ」
おわかり?とばかりにお母様が獰猛な笑みを僕に投げかけてきた。
■■■ 嫁盗り期限まであと5ヶ月 ■■■
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あとがき
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史実におけるハインリッヒ4世は1065年の3月末に親政を開始しました。
その統治の初めに、ドイツ諸侯を集めてシュベルトライトと呼ばれるゲルマン人成人の儀式を行っています。
このシュベルトライトにおける盾持ちは、成人する者を守護する役割を担うといういことになっています。日本の烏帽子親みたいなものだったのかもしれません。
ハインリッヒ4世のシュベルトライトにおいて、ゴットフリート3世は盾持ちを務めました。
つまり、ハインリッヒ3世に散々楯突いたゴットフリート3世でしたが、その息子であるハインリッヒ4世には臣従することを表明したといえます。
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