第117話 ひ・つ・じ!

 1063年1月中旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(9才)


 宴会場を静寂が支配する。

 唐揚げやトンカツといった時代を超越した御馳走が、招待客のテーブルの上で熱さを失い、冷めていく。


 あーあ、もったいない。熱々の方が美味しいのに。


 昨年から長い時間をかけて準備してきた大宴会が台無しだよ。

 これも全てクリュニー修道院副院長スタルタスのせい。破門だとか、神罰だとか、強い言葉でお母様を脅すんだもの。お母様が脅しに屈すると信じていたスタルタスの浅はかさに溜息がでそうになる。


 そのスタルタス当人であるが、今は這いつくばり、ほっぺが床とキスしてる。もちろん自主的にではなく、3人の衛兵に押さえつけられている。うるさく騒ぐからと、口には猿ぐつわをはめられ、両手首を後ろ手に縛られている。もう、完全に犯罪者扱いである。


「カツッ、カツッ、カツッ」


 木靴が床を叩く規則的な音が静寂を破り、お母様の執事が宴会場へと入ってきた。


「ジャン=ステラ様、神授の聖剣セイデンキにございます。お受け取りください」


 セイデンキというのは、イシドロス達ギリシア組が僕のために作ってくれた子供用の片刃短剣ダガーである。お母様と遊んでいた時に、刀身を羊毛にこすりつけると静電気を貯められることに気づいた事から、セイデンキという銘がつけられた。


 雷が神の怒りだと信じられていたこの時代、静電気を貯められる僕の短剣は「神の怒りをまといし剣」という物騒な二つ名を持っている。


 お母様が大宴会の列席者に対し、自らの正当性とセイデンキについて演説を開始する。


「列席者の皆よ、いまジャン=ステラが持っているのが、神授の聖剣セイデンキである。その二つ名である『神の怒りを纏いし剣』を耳にした者は多いであろう」


 会場にどよめきが走る。

「おおぉ、あれが吟遊詩人に歌われる聖剣」

「雷をよび、不届き者を退治した話ですな。私も聞きました」

「トリノ辺境伯家を守護する聖遺物の噂は私の耳にも届いております」


 ざわめきが収まるのを待ってのち、お母様が続ける。


「皆も雷が神の怒りであることは知っておろう。この剣は刀身に雷をまとい、神にあだなし、敵対する者に、怒りの鉄槌を下す。

 昨年、サルマトリオ男爵領にて我とジャン=ステラは傭兵隊の襲撃を受けた。

 その際、傭兵隊長ジャコモにいかづちで制裁したのが、何を隠そう、この聖剣セイデンキである。さて、……」


 一端言葉を区切り、お母様は会場全体を見回した。列席者全員の視線がお母様へと釘付けとなり、続く言葉を待っている。


「さて、先ほどスタルタスは、我を破門すると宣言した。はたしてこれは神の御心にかなう、正しい行いなのであろうか」


「御心に叶うわけありません!」

「アデライデ様にこそ神のご加護があります!」

「正義の栄光はアデライデ様のもとにありっ」

「みだりに破門を口にするスタルタスこそ破門すべきだ!」

「神の怒りをスタルタスに!」


 お母様の問いかけに対し、大きな反響が返ってきた。いずれもお母様に味方する声ばかりである。


 満足げな表情を浮かべたお母様が大きくうなずく。

「静まれ。皆の言う通り、正義の御旗が我にある事は疑いない。その事は列席されている助祭枢機卿のイルデブラント様もご理解いただけているはず」


 お母様に指名されたイルブラントは、大きく首を縦に振って同意を示した。


「イルデブラント様、ありがとうございます。

 しかし、皆の者。イルデブラント様の同意だけでは、まだ弱い。トリノ辺境伯家と懇意にしているからだと曲解され、いらぬそしりを受けぬとも限らない。


 そこで、だ。


 我に正義があり、クリュニー修道会スタルタスに神がお怒りになられている事を、聖剣セイデンキに証明してもらおうと思う」


 お母様の執事に促された僕は、短剣セイデンキを持ってお母様の横へと移動する。列席者だけでなく、壁に控えている給仕達の目線が僕の一挙手一投足を見守っている。


(僕も、お母様のように、演技しないとだめだよね。うわぁ、緊張するなぁ)

 心臓が早鐘を鳴らす中、セイデンキを鞘から抜いた。


 大丈夫。お母様と何度も静電気遊びをしたから、短剣セイデンキの扱いはもう慣れている。

 そう自分に言い聞かせないと、心臓が口から飛び出てきそう。


 大きく息を吸い、セイデンキを高く振り上げる。

「諸君! これが神の怒りをまといし剣、セイデンキである」


 どわっーと湧き上がる歓声。


 おおっ、みんなノリノリだね。さすがお母様! みんなの心が一つになるよう、上手に扇動してくれている。


 あとは前世の魔法少女のマネをして、「神にかわってお仕置きよ~」みたいな決め台詞を言えば完璧!

 って演劇部じゃないから、そんなセリフがとっさに浮かぶわけもない。なんか適当に偉そうムーブかましちゃおう。


「これより我は神の代理である。神にたまわりしセイデンキを用い、神の裁きを下すものなり」


 さきほどと違い、だれも声をださない。しわぶきさえも聞こえてこない。


 お母様やイルデブラントを含め、みんな目を見開き、驚愕の表情を浮かべて僕の方を凝視している。

 まるで時間の流れが止まってしまったみたいだ。


(あちゃぁ。僕、なんか失敗したみたい)

 嫌な汗がたらーっと一筋、額を垂れていく。

 ボケに失敗した若手芸人の、お笑い会場の寒さを凌駕する極寒のステージ。そこに僕一人が立っている。


 あわわ、ふぉ、フォローの言葉をさがさなきゃ。でも、原因がわからないのに、どうやってフォローすればいいの?

(こんな事になるなら、「神にかわってお仕置きよ~」って丸パクりすればよかった)


 ・・・


「ガタッ」

 時間の止まった客席、じゃなかった。宴会場の時を再び進めたのは、椅子を動かす音だった。


 イルデブラントが座っていた椅子から降り、その場にひざまずいた。真剣な表情で両手を合わせ、上目づかいで僕を見つめてくる。


 それは、十字架にかけられたキリスト像に祈りを捧げる宗教人そのもの。イルデブラントは助祭枢機卿なだけあって、堂に入ったものである。さすがだね。


「ガタッ」「ガタガタガタッ」

 イルデブラントに続き、会場の全員が僕の方を向き、床に膝をつく。僕に手をあわせている。


(な、何かよくわからないけど、助かったぁー。イルデブラント、グッジョブだよ! )


 床に這いつくばっているスタルタスを除き、宴会場の全員が、僕の演技に調子を合わせてくれるのがわかったのだ。これほど、心強いことはない。


 もう、すべっても大丈夫! みんながフォローしてくれるって自信が持てた。心が軽く高揚してくる。

 あとは皆が作ってくれたウェーブに乗っかればよし。それで、ミッションコンプリート。うん、これで勝つる。


 じゃあまずは、お母様が正義である事を、セイデンキで示しちゃおう♪


 お母様の前に僕は立つ。僕の目線の高さは、両ひざを床につけて祈りを捧げるポーズのお母様と同じ。


 大きな声になるよう、大きく息をすう。


「アデライデ・ディ・トリノ、なんじ、神の前にて恥ずること、ありや?」


 偉そうムーブ継続中。お母様を呼び捨てちゃったよ。後で怒られないか、ちょっとドキドキ。


「ございません。破門されるような事はなに一つありません。おお、神よ。この身の正しき事、ご照覧あれ」


 お母様もノリノリだね~。いい感じ。お母様に演技力で負けないよう、いっそう芝居がかった言葉をえらんじゃえ。


「その言葉の真贋、明らかにしようぞ。セイデンキよ。あぁ、神の怒りを纏いしセイデンキよ。かの者の言葉にいつわりあらば、その刀身まとういかづちにて、かの者の身を滅ぼしたまへ!」


 全身がひどく強張っているお母様。ぎゅっと強く目を閉じ、こうべを垂れているお母様の右肩に、セイデンキの刀身をそっと乗せる。


 羊毛で刀身をこすっていないセイデンキは静電気を帯びていない。当然、何もおこらない。


「な、なにも起きませんでしたわ」

 安堵の色が浮かんだ言葉が、お母様の口から小さくこぼれ出た。そして、次の瞬間、脱力して床にへたり込んむ。


(わおぉ、お母様迫真の演技! 僕も頑張るよ!)


 右手に持つセイデンキを高く掲げ、僕はさけんだ。

「アデライデ。汝が身の潔白は証明された。皆の者、かの者を讃えよ!」


 次の瞬間、雄たけびの声が会場に轟いた。


「「ウオオォォォー!」」

「神に栄光あれ!」

「アデライデ様、ばんざい!」

「ジャン=ステラ様、ばんざい!」

「正義はトリノ辺境伯家にあり!」


 みんな立ち上がり、足を踏み鳴らしつつ、それぞれ喜びの言葉を叫んでいる。


 やったね、お母様! 

 僕は「素晴らしい演技でしたよ!」という意図を込め、お母様にウィンクした。


 お母様は口がすこしあき、呆けた表情。きょとんとして、こちらを見ている。

 あれ?意図が通じなかったかな。


 さてと。セイデンキの出番もこれで半分終わり。次はクリュニー修道院:副院長のスタルタスの番。


 お母様の耳元でささやく。

「お母様、この調子で残り半分も頑張りましょう! 司会をよろしくお願いしますね」


 お母様は一瞬だけ僕に笑いかけた後、床から立ち上がった。


 深く息を吸い込み、次いで小さな音が口から漏れ出るのを、僕の耳が拾った。

(うふ、うふふっ)

 勝利を確信した笑み、かな。


 そして床に転がされているスタルタスを指さしつつ、お母様がビシッと宣言する。

「我に破門の瑕疵かしがないことが証明された。次はスタルタス、その方の番ぞ!」


「「うぉぉぉ!!!」「どぉぉぉぉ!」」


 宴会場が再度の爆音に包まれる中、お母様の指示を受けた執事は、僕にスタルタスの方へ移動するよう催促してくる。これが僕のピンチの始まりだった。


「お願い、ちょっと待って」


 小声で執事にお願いしたが、聞こえていないみたい。


「少し休憩をちょうだい。羊毛が欲しいの」

 ちょっと大き目の声で言ったが、宴会場の歓声にかき消されてしまい、執事の耳に届かない。


「ね、ねえったら。羊毛、羊の毛を持ってきて!」


 羊毛がないと、セイデンキに静電気を帯びさせられない。静電気のないセイデンキはただの短剣。やばい。スタルタスに静電気のパチッを浴びせられない。


 あせった僕は大きな声を出す。


「羊の毛、ねえ、羊、ひつじ!」


 短い時間だったと思うんだけど、理解してくれない執事とすったもんだしている僕に、列席者が気づきはじめたらしい。急速に喧噪はおさまり、そして、静かになった宴会場に、僕の言葉が響きわたった。


「ひ・つ・じ!」

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