第227話 円卓の空席

 1064年8月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ベルナール


「アキテーヌ公爵家の姫君であるアニェーゼ様を、ジャン=ステラ様と同格扱いするというのですか!」


 トリノ辺境伯ピエトロ様との結婚のため、アキテーヌ公爵令嬢アニェーゼ様の側近として私はアルベンガにやってきた。


 この地には、ピエトロ様と後継者争いをしているジャン=ステラ様がただ一人、離宮の留守居役を務めている。


 到着早々、ジャン=ステラ様を蹴落とす機会が訪れたな、と私は内心でほくそ笑む。


 いや、ほくそ笑むどころではないな。

「おまえ、隙がありすぎだろう!」

 そう叫びたいほどの失態をジャン=ステラ様は演じてくれた。


 なにせ、ジャン=ステラ様主催の初顔合わせの儀は、型破りの平民様式だったのだ。


 上下関係を意識しない、させないために丸いテーブルに全員が座る?


 ありえないであろう。貴族の矜持きょうじはどこに行ったと叫びたい。


 そして、アニェーゼ様をジャン=ステラ様と同格に据えることは断じて許されない。


 だからこそ、この場を差配しているアデライデ様の副執事に怒鳴り声を浴びせたのだ。


「いえ、そのようなつもりは毛頭ございません。先ほども申しました通り、アニェーゼ様をトリノ辺境伯家へと温かくお迎えするため、身分の差を超えた隔てのない親交を深めるための措置でございます」


 私の怒声にトリノ辺境伯アデライデ様の副執事が、わたわたと言い訳を始めた。その姿のなんと見苦しいことよ。


 いまだに、私が指摘する問題点を直視できないとみえる。


「たとえ表面上とはいえ、爵位の序列を乱すことが問題だと申し上げているのです。そのことを、なぜご理解いただけないのですか?」


 我々は平民ではない。なぜ平民の真似事をせねばならぬのだ。


 この理不尽さが言語道断であることを副執事に理解してもらおうと、私はミサで鍛えられた弁舌を滔々とうとうと振るった。


 新約聖書「ローマ人への手紙」13節には、権威ある者に対して従えとある。

 あるいは「エペソ人への手紙」では、主人と奴隷との間には明らかな身分差があると説いている。


 権威や身分に無頓着なことは、神に対する冒涜へと結びつきかねないのだぞ、と。


 神の名を出したからには、副執事も改心し、ジャン=ステラ様の上座にアニェーゼ様を置くことをとせざるをえないだろうて。


 それにもかかわらず……。


「ふぅ」

 アデライデ様の副執事が私に対して、これ見よがしに、ため息をついてきた。


(なにを、無礼なっ)

 怒りの感情が励起するのを感じつつも、相手の反応をみるために押し殺す。


 目の前の男は首を左右に振り、次いでえりを両手で正す。そして残念そうな目をこちらに向けてきた。


「ベルナール様は席次について、なにか勘違いされておられませんか?」


 なぬ、勘違いとな? 小手先の欺瞞ぎまんなぞ私は通じぬぞ。


 務めて冷静に。しかしながら相手に対抗し、視線に力を込めてにらみ返しつ問い返す。


「私の勘違いとは何かな?」


「初顔合わせの儀の円卓には椅子が三脚、置かれていました。一つはジャン=ステラ様、もう一つはアニェーゼ様。そして、もう一脚に座るのは……」


 副執事はそこで言葉を切った。私に察せよというのか? いや、ちがうな。私の知識を問うているのか。


 アニェーゼ様とジャン=ステラ様、お二人の顔合わせに三脚の椅子。すなわちこの椅子は空席。しかし単なる空席ではなく、何らかの意図がある、と。


 笑止な! このベルナール、伊達に宮廷司祭を務めていたのではないのだぞ。空席の意味を知らぬとでも思うたか。


「なぜ、座る者のいない椅子を用意したのか、と私に問うのか? はっ、馬鹿馬鹿しい。預言者にちなみ、エリヤの椅子とでもいうのであろう」


 ユダヤ教徒は我々キリスト教徒と異なり、男児に割礼をする風習がある。その儀式には特別な空席が一つ設けられ、そこに座る者は旧約聖書の預言者エリヤなのだ。


 おおかた預言者エリヤになぞらえることで、ジャン=ステラ様が預言者であると暗に主張しているのだろうて。


 それ見たことか。副執事が驚きの目で我を見ているわ。


「さすがはベルナール様、よくご存知でいらっしゃる」


「ははっ司祭ともなれば、そのくらい知っているのが当然のことよ」

 と、胸をはり高らかに言い放ったはいいものの、なにか変だ。


 副執事がばつが悪そうにこちらを見てくる。


「残念ながら、預言者エリヤの席ではございません。東ローマ帝国先帝の甥であるアレクシオス・コムネノス殿下に臨席いただく予定でございました」


 その言葉に続き、副執事はアレクシオス殿下がなぜアルベンガにおられるかについて語り始めた。


 ジャン=ステラ様がコムネノス家と友誼ゆうぎを結んでおり、アレクシオス様はジャン=ステラ様に教えを乞うておられる。


 その上、アレクシオス様はジャン=ステラ様と家族同然の間柄となっており、初顔合わせの儀にも参加し、アニェーゼ様と親しくすることを望まれておられる、と。


「そのような夢物語を信じろ……と?」


 思わずこぼれそうになる言葉を飲み込み、副執事と目を合わせる。


 ……嘘偽うそいつわりを言っている目ではない。


 いや、しかし、まさか。


 東ローマ帝国の皇族が、平民の慣習と思われる円卓を了承したのか? 信じてよいものなのか?


 ぐらり、と視界が歪む。いや、歪んだのは視界ではなく、私の常識だろうか。


「アレクシオス様が円卓の席次を受け入れた、と」

「はい、その通りです」


 その返答を聞くや否や、自分の足元が崩れる心地に襲われた。


 な、なんということか。皇族に対し、私はアニェーゼ様の名前において、席次に不服ありという不敬を働いたという事か……。


 なんとかこの失態を挽回せねば。


 考えろ、考えろ、考え抜け! 何かないか。何か相手に過失はないものか。


 そうだ、そうだ!


 現在の東ローマ帝国皇帝は、ドゥーカス家のコンスタンティノス陛下である。つまりコムネノス家は皇帝家ではなく、皇帝家でしかないのだ。


 儀礼上は、王族・皇族として待遇しているだけともいえる。


 元や前でよいのであれば、我が方にも切り札はあるではないか!


「アニェーゼ様はアラゴン王ラミロ1世の妻でした。つまり前女王であり、アレクシオス様と同格といえましょう」


 いやいやいや、それはダメだ。ダメ。


 再婚先の家に、元婚家の方が格上だったと主張してどうする。トリノ辺境伯家の心証を悪くするだけではないか。


 そうだ、そう。目的を忘れてはいかん。アニェーゼ様がジャン=ステラ様の上の立場であればよいのだ。


 アレクシオス様と張り合う必要はないのだ。


 ここは、円卓の使用をやめてもらえばいい。それだけでいいだろう。


「副執事殿、アレクシオス様のご臨席は想像外でした。


 そしてアニェーゼ様の上位に当たられる方と同格に遇されることは誠に栄誉な事ではありますが、通常通りに儀式を行っていただけませんでしょうか」


 そう、通常通りの儀式でいいのだ、いいのだよ。


 なぜなら、公爵家令嬢のアニェーゼ様が、アオスタ伯ジャン=ステラ様よりも上席となる。


 あとは副執事殿からアレクシオス様へと、アニェーゼ様からのお願いとして話を通していただければよい。


 よもや、アレクシオス様とてこちらの希望を無下むげにしてまでも、円卓の利用を強要はするまい。


「ベルナール様、本当によろしいのですか?


 その場合ジャン=ステラ様、アレクシオス様が同格の上位席、アニェーゼ様おひとりが下位席となってしまいますが……」


 この副執事は、いったい何を言っているのだ。

 アニェーゼ様が下位なわけなかろう。


 私は顔をしかめつつ、副執事を問い詰めにかかった。


「副執事殿、そのような戯言ざれごとを言われては困ります。ジャン=ステラ様はトリノ辺境伯家の家臣であるアオスタ伯ではありませんか。


 アニェーゼ様は、トリノ辺境伯家の跡継ぎであるピエトロ様に嫁ぐのですぞ。


 なぜ、家臣であるジャン=ステラ様の方が上位だと言われるのですか!」


 副執事がゆっくりと首を左右にふった。


「先日、ジャン=ステラ様はカナリア諸島王になられました」


「なにーぃ!」 思わず驚きの叫び声をあげてしまったではないか。


「ジャン=ステラ様が王位に就かれたという話は、噂でさえも私は聞いたことがない」


 教皇庁からの情報には常に目を通している。しかしながら、ジャン=ステラ様が王位に就いたという情報に接したことはない。


「それに、カナリア諸島王という王位は、これまで一度も聞いたことがない。失礼ながら実存する王位なのか?」


 私はあまりにも、あまりな出来事に落ち着くこともできず、丁寧さの失われた発言を連続してしまった。


「ベルナール様が聞いたことも無いのも、やむを得ない事です。なにせ、ジャン=ステラ様が初代のカナリア諸島王であり、この王位が教皇猊下に認められたのは半年前に過ぎません」


 まだ、情報が行き渡っていないのだろうとの推測を、副執事は口にする。


「いや、そうだとしても、王位に就いたというのなら、ジャン=ステラ様はどこで戴冠式を挙げられたのか」


 戴冠式は聖職者によって執り行われるもの。同じく聖職者である私の耳に入ってこない時点で何かおかしいのではないか?

 私の直感が違和感を訴えてくる。


 そして、その直感は大正解であった。


「いえ、未だ戴冠式は挙げておりません。ですが……」


「すこし待たれよ。戴冠式を挙げておられないというのは、少なからず変ではないか?


 まこと、ジャン=ステラ様は王位に就かれたのか?」


 よもや、僭称してはいまいな、と副執事を問い詰める。


「いえ、戴冠式はありませんが、教皇猊下からのお許しは今年の1月に得ております」


 やはり、あやしい。

 ここは、あえて副執事を信じるふりをして、真相を聞き出すとしようか。


「そなたの言を疑いたくはないのだが、なにか証拠となるものはあるのだろうか。


 教皇猊下の書状なり、王位を証明する宝物なりがあれば、ジャン=ステラ様が王位にあると納得できるのだが」


「いえ、残念ながら、そのようなものはありません。


 ですが、交渉の全権を有していた枢機卿イルデブラント様と、さらにはその場に同席しておられたユーグ様は、ジャン=ステラ様の王位を請け負ってくれたのです」


 しめた! 副執事が首を横に振り、王位の証拠がない事を吐露したぞ。


「それはおかしい。私は2か月前、アキテーヌ公爵家の宮中にてユーグ様にお会いした。


 しかし、ジャン=ステラ様の王位の事は全く話題にでませんでしたぞ。


 これでは、ジャン=ステラ様がアニェーゼ様の上席に座ることを認めることはできませんなぁ」




 1064年8月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


「ジャン=ステラ様、というわけで交渉が難航しております」


 アニェーゼさんの側近ベルナールと、お母様の副執事との話し合いは一旦休止となった。


 うーん、困ったなぁ。


 ちょっとした思いつきの円卓が大問題に発展しちゃったよ。


「別に僕はアニェーゼさんの下位の席でもいいんだけど、それではダメなんだよねぇ」


「その提案を出すのは、既に遅きに失しております」


 僕が王位を持っているとベルナールに伝えてしまったため、いまさら後には引けないのだ。


 もし引いたら、僕が王位を僭称せんしょうしたことになっちゃうものね。


 あ~ぁ、どうしてこうなっちゃったんだろう。


「アデライデ様なら、教皇猊下からの書状なり何なりをお持ちかもしれません。お帰りを待つしかないのではありませんか」


「それしかないかなぁ」


 何かうまい方策、というか抜け道がないか頭をひねっていたら、アレクちゃんが「ぼく、いいことを思いついたよ」とアイデアをだしてくれた。


「ねえ、ジャンお兄ちゃん。それならアニェーゼさんのお部屋までこっそり行くのはどうかな? そうしたら、三人でお話できるよ」


「ふえ? どうやってアニェーゼさんの部屋までいくの?」


 アレクちゃんの思いもよらぬ発言に、声が裏返りそうになっちゃった。


 同じ離宮内とはいえ客室は別棟だし、警護の人員がたくさん配置されている。そのため、僕だって離宮内を自由に行き来できない。そんな中、警戒されているだろうアニェーゼさんの部屋に行くのは無理じゃない?


「使用人の通路を使うの! 僕、知ってるんだよ。


『誰にも邪魔されず、綺麗なお姉さんにこっそり会いに行くには使用人の通路を使えばいい』


 ってグイドが言っていたもの。


 アニェーゼさんはお姉さんだから、ちょうどいいと思うんだよ、僕」


 アレクちゃんが「ぼく、いいこと言ったでしょ!」とキラキラ笑顔を僕に向けてきた。


 しかし、みんな、それどころじゃない。

 僕の護衛の一人であるグイドに、全員の視線が集まる。


 その視線に込められた言葉はみな同じ。

「おい、グイド。おまえ、なんという事をアレクシオス様に教えたんだ」


「い、いえ、ご、誤解であります。私はそのような事を教えてはいません。ア、アレクシオス様、どうか誤解を解いてください」


 おろおろと狼狽うろたえるグイドは、両膝をつきアレクちゃんに慈悲を乞い始めた。


「えっとね、グイドがティーノに話していた言葉だったんだけど……。もしかして秘密だった?」


「ティーノ、お前もか!」

 無音の怒声が、僕の背後に立っている護衛のティーノに浴びせかけられる。


 グイドもティーノも若いもんね。二人とも十九歳だったっけ。


「グイド、ティーノ。ほどほどにね」


 アレクちゃんの手前、何をほどほどにするのか明示はしない。綺麗なお姉さんは、きっとそのままの意味なのだ。


「ねえ、アレクちゃん。さすがにアニェーゼさんの客室に行くのはまずいと思うよ。アレクちゃんだって、突然知らない人が部屋にやってきたら驚くでしょう?」


「うーん、そっかぁ。たしかに驚いちゃうよね。残念、いい方法だと思ったんだけどな」


「だから、違う方法を考えようね」

「はーい」


 素直なアレクちゃんを誤魔化せたのはいいけれど、問題は何一つ解決に向けて進んでいない。


 さて、どうしたものかねぇ、と悩んでいたら、執務室の扉がノックされた。


「ジャン=ステラ様、イルデブラント枢機卿とエイリーク様が早急の面会を希望されています」


【あとがき】

 円卓の空席といえば、一番先に思いつくのはアーサー王物語でしょうか。


 アーサー王物語において、円卓には必ず空席が一つ設けられています。

危険な空席(Siege Perilous)と呼ばれるその席は、将来聖杯を得た騎士を迎えるためにマーリンが準備したと言われています。


 アーサー王物語は5世紀から6世紀のイギリスを舞台としているものの、物語として形を成したのは12世紀ごろです。そのため、ベルナールはこのお話を知らず、ユダヤ教の風習を思い出しました。

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