小麦の手形

第90話 リスカはやめてね、おねえちゃん

ジャン=ステラ 8才

マティルデ 17才


1062年11月中旬 ジャン=ステラからマティルデへの手紙


 親愛なるマティルデお姉ちゃんへ


 前回お手紙を書いたのは僕がアオスタ伯爵になった時だったよね。そのあとお母さまの別荘があるアルベンガに向かうって言ってたのに、まだトリノ近郊にいるんだよ。実はいろいろあって大変だったの。


 傭兵に襲われて初陣を体験したり、男爵が裏切ったのではないかと尋問したり。尋問は後始末も含めてちょーたいへんだったんだよ。お姉ちゃんの耳にも噂が聞こえてるんじゃないかな。僕が神の怒りを代弁するために雷を召喚したとか、神から聖剣セイデンキを授かっただとか。


 お母さまとイシドロス達が嬉々として噂を広める相談をしてたから、もう北イタリアどころか帝国中に広がっているんじゃないかなぁ。お母さまは悪だくみをする時の顔をしていたけど、イシドロスは恍惚の表情を浮かべていたもの。広がった噂は尾ひれどころか、翼までついている事間違いないのです。


 それにね、広まってる噂はぜーんぶ嘘なんだよ。神授の聖剣っていうのは修道院の鍛冶屋が作った子供用の懐剣だもの。神の怒りを呼べるわけないって聡明なお姉ちゃんなら分かってくれるよね。


 ただ、尋問中に雷が落ちたのは本当。運悪く傭兵隊のおかしらさんが雷に撃たれただけで、神の怒りとは全く関係ないの。たまたまの偶然だっていうのに、お母さまったら悪乗りしちゃってさ。まるで僕が聖人のような立派な人であるような噂に仕立て上げちゃったの。


「トリノ辺境伯家のためになるんだから噂ぐらい少々我慢しなさい」ってさとされて、お母さまに押し切られちゃっただけなの。お姉ちゃんは変な噂を信じちゃだめだからね。


 噂の事はもうおしまい! 今日はもっと大切なお話があるの。



 おねえちゃんは瀉血しゃけつって知ってる? 腕に傷をつけて、そこから血をたくさん抜き取る治療法。身体にたまった不要なものや悪いものを血と一緒に取り出すんだって。


 この瀉血をアデライデお母さまがしていたんだ。腕にナイフで傷をつけていて、血がしゃーって勢いよく流れ出してきてたの。お母さまにどうして瀉血なんてするのって問いただしたら、生理だからって言うんだよ。


 生理の事を書くだなんてお姉ちゃんを驚かせちゃった? 読むのも恥ずかしいよね。僕も書いていて恥ずかしいし、これを読むお姉ちゃんも恥ずかしいって分かってる。それでも読んでほしいの。一生のお願い。


 お姉ちゃんは生理って何だと教わってる?


 昔むかしの偉人、ヒポクラテスが月経について「身体の中に溜まった悪い血を排出している」と書いてるよね。女性だけ生理があるのは、女性だけが罪をもって産まれてくるからだ、とか悪い血が溜まるのは、病気のせいだとか習ってないかと心配しています。


 お母さまの主治医は、「生理になるのは悪い血が溜まっている証拠。瀉血が必要です」って言うんだよ。


 でも、違うの。生理って病気じゃないし、悪い血が溜まっているのでもないんだよ。お手紙ではうまく説明できないけど、あれは血のように見えても血じゃない。ましてや女性だけの原罪でもないの。


 それに瀉血って本当は身体に悪いの。瀉血なんてしたら血が足りなくなって貧血になるし、傷口がんで悪い病気にかかったりしちゃう。なぜお医者さんが瀉血するのか僕には不思議でならないよ。


 だから、お姉ちゃんには絶対絶対、瀉血してほしくないの。おねえちゃんの綺麗な腕にリスカ跡がついてるのなんて見たくないんだよ。雷の噂は信じなくていいけど、瀉血の事は信じてほしいです。


 この事は、カノッサ城によく出入りしているイルデブラント助祭枢機卿にも伝えておくね。お姉ちゃんに瀉血させるなって。そのくらい僕は真剣なのです。お願いね、お姉ちゃん。


 その代わりといってはなんだけど、生理用品のリネンと石けんをいつもより多く同封しますね。他にトリートメントも余分に送るから、家臣のプレゼントにでも使ってください。


 他にも、新作のアルコール度数の強い蒸留ワイン「勇者のあかし」も送ります。この蒸留酒は、水とかで割らず飲む事で勇気と男気を示せるんだって。軟弱で臆病な男には飲めないらしいです。こちらはお酒の好きな髭公ゴットフリート3世にあげてください。


 いつもより贈物が多いのはね、臨時収入があったからなの。だからご近所さんにおすそ分け。


 おすそ分けついでに荷車100台分の小麦の引換手形を2枚あげます。ピサとフィレンツェでそれぞれ引き換えられます。同じものを僕も10枚以上もっているから遠慮しなくて大丈夫だよ。


 あと、新しい縫いぐるみを一匹送ります。ピンク色のウサギさんで、名前はナナっていうの。可愛がってあげてね。


 おねえちゃんの白馬の王子さまになりたいジャン=ステラより

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る