戦争の季節

第237話 それぞれの嫁

 1064年8月上旬 北イタリア トリノ アメーデオ・ディ・サヴォイア(14歳)


「ピエトロぃ、結婚おめでとう」

「ありがとう。次はお前の番だな、アメーデオ」


 明日、トリノの大聖堂でピエトロぃが結婚する。相手はアキテーヌ公爵家の娘で、つり合いの取れたお似合いの仲だろう。


「ああ、俺が先に結婚するわけにはいかなかったからな。ピエトロぃの結婚がこの上なく待ち遠しかったんだぜ」


 俺が見染めた相手は、ジュネーブ伯爵家のジャンヌ嬢。周りを緊張させるアデライデお母様と違い、ほんわかとした雰囲気を漂わせる美人なんだ。


「それがな、アメーデオ。この後、お前の結婚についてお母様から話があるらしいぞ」

「えーマジかよ。俺、ジャンヌがいいんだよ。今更、嫁を押し付けられるなんてごめんだぜ」


 俺の相手がジュネーブ伯爵家というのが、お母様は気に入らないらしい。


「次男とはいえ、あなたはトリノ辺境伯家の息子なのです。辺境伯家か公爵家の娘ならともかく、伯爵家とでは家格が釣り合いません」と何度も言われた。


 だけどなぁ、惚れてしまったんだから仕方ないだろ。その点、ジャン=ステラは上手くやってるよなぁ。


「四男のジャン=ステラは、トスカーナ辺境伯家から嫁を強奪するつもりなのですよ。あなたも少しは見習って、どこかの王族の娘の心を奪ってくる位の気概を見せなさい」


 抜けてる所もたくさんあるがジャン=ステラは預言者なんだぜ。俺がかなうわけないじゃんか。兄弟とはいえ俺と比べないで欲しいよなぁ、まったく。


「それがな、大丈夫らしいぞ。ただ、条件があるらしい」

「条件かぁ。無理難題じゃなければいいなぁ」


 アデライデお母様、ジャンヌとの結婚を認めてくれる気はあるんかね。

 無茶な条件を突きつけて縁談をつぶす気満々だったら……。


「ピエトロ、アメーデオ。待たせたわね」

「いえいえいえ、お母様。待ってなんかいません。アメーデオと久しぶりの会話を楽しんでおりました。なぁ、アメーデオ」


 アデライデお母様が、三男のオッドーネを連れてピエトロぃの執務室に入ってきた。


「おや? ジャン=ステラは来ないのですか?」

「ええ、今日はジャン=ステラなしで、将来の計画について貴方達と話があるのよ」


 うぉい、俺の結婚の話だけじゃないのかよ。なんか大事に巻き込まれる気がするぜ。


「つまり、ジャン=ステラが居たら話せない計画なのですね、お母様」

「そうよ、ピエトロ。ジャン=ステラって権力や権威に興味がないでしょう? ですから私達が代わりに裏で動く必要があるのよ。三人とも協力してくれるわね」


 お母様がにこやかな表情でピエトロ兄ぃ、俺、オッドーネの目を順番に覗き込んでくる。

 ぜんぜん目が笑ってねぇし。これじゃ協力を拒んだ途端、何されるか分かったものじゃない。

 少なくとも俺とジャンヌの結婚は消えて無くなるだろうな。


 そもそも何への協力かも分からないんだが、どうせ拒否できないのなら聞くだけ無駄だな。


 俺たち兄弟がうなずくのを見たアデライデお母様が話を続ける。


「よろしい。ではひげ退治の計画について話すわね」

ひげ、ですか? お母様」

「ええ、ひげよ、ピエトロ」


 ちょっとまってくれ、ひげって何だ? ひげを退治するって言われても俺はさっぱりわからんぞ。


「もう、鈍いわねぇ。ひげといったらトスカーナ辺境伯のひげ公ゴットフリート3世に決まっているでしょう」


 そんなの分かるかよ。

 それはさておき、つまりは髭公のトスカーナ辺境伯を討伐するってことか?

 俺の疑問をピエトロ兄ぃが口にしてくれた。


「お母様、つまりトスカーナ辺境伯と戦うのですか?」

「ええ、そうよ。周りは婚姻主体の同盟で固めました」


 婚姻同盟かぁ、確かにそうだな。


 アルプスの北側は長姉アデライデがシュヴァーベン大公に嫁ぎ、去年長男が生まれた。

 フランス側はすこし距離があるが、アキテーヌ公爵家のアニェーゼ嬢がピエトロ兄ぃに嫁いできた。


 これでトリノ辺境伯家の北と西の防御は固まった。



「そして、アルベンガの水軍が充実してきたのは、貴方たちも知っているわよね」


 ジャン=ステラが召し抱えたノルマン人エイリークの伝手つてにより、アルベンガの港は商船団を兼ねた軍船が集うようになったんだっけか。


 それにジャン=ステラはギリシアのコムネノス家と秘密裏に同盟を結んでいるしな。

 アルベンガにコムネノス家の軍船が停泊しているから、敵もトリノ辺境伯家の南側から攻めることはためらうだろう。


 俺の知らない間に、トリノ辺境伯家の周りに味方の壁が出来上がっていたんだなぁ。


「残る東側も、アスティ司教となったオッドーネが守りを固めました」


 そういえばアデライデお母様は、先日までアスティに居たんだったっけ。


「もう守りは充分でしょう。攻めるのよ、トスカーナを!夫オッドーネを暗殺した報いを髭に返すのよ。いいわね、貴方たちも協力しなさい」


 といってもなぁ、勝てるのか? おれ、ジャンヌと結婚する前に死ぬのはいやだぜ。

 いくら親父の報復とはいえ、負ける戦いはしたくないぞ。


「なぁ、お母様。復讐もいいけどよぉ、勝てる見込みはあるのか?」

「今は無いわ」


 うぉーい、お母様。そりゃねーよ。勝てないのに戦うってぇーのか。


「ただし、今は、よ。あなた達もジャン=ステラが新兵器を作り、訓練を繰り返しているのは知っているでしょう?」

「馬上の突撃槍を置くランスレストだったっけ? ピエトロ兄ぃはそれを使って豪胆伯の二つ名を得たんだよな、たしか」


 去年のハンガリー戦役の活躍で、ピエトロ兄ィは豪胆伯の称号を手に入れた。いいなぁ、羨ましいぜ。

 俺もカッコいい二つ名が欲しい。


「アメーデオ、ランスレストだけじゃないわよ。バクチクという馬を驚かせる兵器もあります」


 ここの所、トリノ辺境伯家の軍馬は、音に驚かないよう再訓練が行われている。

 馬を驚かせてどうするのか、って家臣たちからは不評だったが、あれって兵器だったのか。


「そして、ギリシアの火を入れたつぼも出来ました。火をつけて城壁から落とせば、容易には消えない火の海が出現するのです」


 ふーん、そんな武器が出来たのか。でも、城の防御にしか使えないんだろ。それじゃトスカーナを攻めるのに使えないじゃん。


 そんな俺の疑問を察知したのか、お母様が先手を打って解消してくれた。


「今、壺を遠くに投げられないか、試している所です。壺の肉厚が薄ければ取り扱いが難しく、壺が厚ければ地面にぶつかっても割れてくれない。なかなか加減が難しいのですよ、アメーデオ」

「ふむふむ、そうなのですね」


 へいへい。説明してくれるのはいいんだけどよ、そのギリシアの壺を知らないから、理解できねぇや。

 ま、俺の領地はアルプスの西側だしな。トスカーナと接していないから俺とは関係ないだろう。


 そう思って生返事をしていたんだが、後になって俺に火の粉が降ってくるとは思ってなかった。見通しが甘かったぜ。


 それはさておき、生真面目なピエトロ兄ぃが、ここまでの話をまとめた。


「アデライデお母様、つまり守りは固められた。敵を倒す新兵器も開発できた。あとは頃合いを見計らって憎き敵であるゴットフリート3世を倒す、ということですね」


「ええ、そうよ。来年8月には髭をイタリアから駆逐するわ」


 おおぅ。まだ1年も先の話かよ。今すぐにでもトスカーナに攻め込むのかと思ったぜ。

 あぁ、そういえば今は勝てないっていっていたな。


 だが、来年8月なら勝てるのか? 


 俺も不安だが、ピエトロ兄ぃも不安そうな顔をしている。


 しかし、アデライデお母様の表情からは不安の色はまったく見えない。


「ジャン=ステラが言っていたのよ。来年8月にはマティルデ様をトリノに迎え入れる、とね」


 マティルデ様って、トスカーナ辺境伯マティルデ・ディ・カノッサ様だよな。

 まじかよ、ジャン=ステラ。本当に嫁盗りするのか? 


 今年19歳のマティルデ様は婚約者がいるのに未だ結婚していない。

 はっきり言ってしまうと婚約者のいる19歳の行き遅れが、結婚だけしていないなんて異常極まる状況だもんなぁ。

 という事は何らかの裏取引があって、ジャン=ステラには勝算があるってことか? でもどうやって奪うんだ?


「そんなの私だって知らないわよ。それでもね、ジャン=ステラが奪うって言っているのよ。成功しないわけないでしょ?」


 お母様は自信たっぷりに言い切った。


 まぁ、そうかもな、そうだよな。

 あいつを怒らせたら、神剣セイデンキで雷乱れ打ちとかしそうだし。

 それに預言者だから、天使の軍隊とか召喚しかねないおっかなさがあるもんなぁ。そりゃ成功するか。


「アデライデお母様、ジャン=ステラがマティルデ様をトリノに迎え入れるなら、このまま放置しておけばいいのではありませんか?


 トスカーナ辺境伯の血筋はマティルデ様おひとりにしか流れていません。

 つまりマティルデ様とジャン=ステラが結婚した時点で、トスカーナ辺境伯領はジャン=ステラのものですよね」


 ピエトロ兄ぃが貴族の常識を口にする。


 だよなぁ。俺もそう思う。わざわざ戦わなくてもいいじゃんか。


「それがね、ジャン=ステラはトスカーナなんていらないって言うのです。マティルデ様がいるだけでいいって。


 これは貴族の血に対する侮辱ぶじょくだというのに、ジャン=ステラは全く理解しようとしないのです」


 言い終わるとお母様は盛大な溜息をこぼした。


 うーん、そうなんだろうか。どうやら俺はジャン=ステラの考え方に近いらしい。

 貴族の血や領地よりも、俺はジャンヌ嬢の方がいいもんなぁ。


「なるほど、だからこの場にジャン=ステラを呼ばなかったのですね」

「ええ、そうよ、ピエトロ」


 だが、ピエトロ兄ぃは、俺とは違い貴族の血というものを重んじているらしい。さすが跡継ぎの長男だな。


 嫁も自分で選ばずアデライデお母様に決めてもらったし、いろいろとわきまえているんだろう。

 えらいなぁ、俺には到底無理だ。どうやったってジャンヌへの焦がれる想いを止められそうにねーもん。


「ジャン=ステラの嫁盗りに合わせて、私たちの手で髭を放逐し、トスカーナを手に入れるのよ!」


 復讐に燃えるアデライデお母様の号令が、俺の耳には他人事ひとごとのように聞こえていた。


 ■■■ 嫁盗り期限まであと1年 ■■■

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