第194話 護衛隊長の正体

 1063年9月上旬 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ミカエル・プセルロス


「皆の者、ご苦労であった。特に、ミカエルとピサネロはよくやった」

「お褒め頂きありがとうございます」


 礼拝堂で突発的に始まったジャン=ステラ殿との討論の後、東ローマ帝国から来た我ら一同は会合を持った。

 会合での第一声において、最上位に座るヨハネス・コムネノス殿下からお褒めの言葉を頂いた。


 東ローマ帝国皇帝とコンスタンティノープル大主教からのローマ教皇への特使は私だが、異端審問の使節団において、一番身分が高いのは私ではない。


 冗談のように聞こえるかもしれないが、先代皇帝の弟君であるヨハネス殿下が、使節団の護衛隊長としてコンスタンティノープルから同道している。


 同道している理由は、皇帝陛下のご命令。

「この使節団の働きに東ローマ帝国の将来がかっているのだ」と皇帝陛下に言われ、拒否することが許されなかったためである。


 使節団の働きとは、すなわちジャン=ステラ殿の扱いについてのこと。

 異端審問の結果が帝国の将来を大きく左右するというのは、決して大げさな事ではない。


 6年前、ジャン=ステラ殿が帝国にもたらした1枚の世界地図。

 それは、ヨーロッパ、アラビアだけでなく、アジア東端からアフリカ南端までを記した、完璧な地図だった。


 この地図の恩恵により帝国は、劣勢であった対トルコ外交で優位に立つことができた。より端的にいえば、セルジューク朝包囲網を構築できたのだ。


 もちろん、地図を受け取った当時、われわれは無条件に地図に書かれた内容を信じたわけではない。

 当然、その地図を慎重に吟味ぎんみした。


「皆の者、この地図は本物だろうか」

「帝国近隣に限っては、我々の地図より正確だな」


 吟味の内容は、帝国近隣に限られる。なぜなら、帝国はアジア東端やアフリカ南端についての知識を持っていないためだ。


 ただし、我々の知る範囲について、ジャン=ステラ殿の地図は正しかった。

 ならば、アジアやアフリカについても正しいのだろうか?


「それは分からぬ。東方は遊牧民族の地。さらなる東には、唐という国があったと言うが……」


 大昔、アッバース朝がタラス河畔で戦ったという唐は、東方の大国だ。この地図ではどこになるのだろう。


「ここを見てみろ。アフリカ大陸には南端があるのだな」

「黄金がニンジンのように土から生えると言われるガーナ王国の場所をぜひ知りたいものだ」


 興奮冷めやらぬ我々、学者達は一つの疑問に突き当たる。


「なあ、この正確無比な地図の出所でどころは一体どこだと思う?」

「イシドロスは、ジャン=ステラ殿が神より授けられた預言だと言っているぞ」

「いや、まさか」

「イシドロスは、かのメギスティ・ラヴラ修道院で副院長をしていたのだ。我々に嘘を付くとは思えない」

「だが、それを無条件に信じろというのか」


 喧々諤々けんけんがくがくの議論の上、我々は一つの可能性に行きついた。


「もしかすると、バルキ学校の地図じゃないか?」


 バルキ学校とはイスラムの地、バグダッドで地図作成のために作られた学校のこと。


 我々より技術が進んでいるイスラムの学者なら、ジャン=ステラ殿がもたらした世界地図も作成できるのかもしれない。


 とはいえ、地図というのは軍事機密であり、国が厳重に管理しているもの。

 イスラムのセルジューク朝と敵対している我々が入手できるようなものではない。


 そのため、ジャン=ステラ殿がもたらした地図がバルキ学校で作られたというのは、推測の域を越えない。


「いや、推測が正しい事を示す材料ならあるぞ。算術の教科書だ!」


 傍証なら存在すると、数学者の一人が声をあげた。


 それは、世界地図と一緒にイシドロスが献上した算術の教科書。

 この教科書では、アラビア数字が使われている。


「イタリアでは未だアラビア数字は使用されていないのだ。ではこの教科書はどこで作られたと思う」

「なるほど、アラビアだろう」

「そう、ならば地図の出所が同じアラビアでも不思議はない」


 教科書もアラビア産なら、地図もアラビア産。

 なるほど。どこもおかしいことはない。


 しかし、問題が一つ解決すれば、さらなる疑問が浮かぶもの。

 それは、この地図についても同じ事。


「では、ジャン=ステラ殿はどのようにして地図やアラビア数字を手に入れたのだろうか」


「イシドロス殿が言われるような預言とは到底思えない」

「ああ、その通り。アラビアの知識を預言と詐称さしょうしているのだろう」


 6年前に出た結論は、ジャン=ステラ殿は預言者ではない、というものだった。


 だが、当時は誰も事を荒立てようとはしなかった。

 いや、正確に言おう。皇帝陛下がかんこうれいを敷き、我々に口外を禁じたのだ。


「我が東ローマ帝国に利益をもたらすならば、にせ預言者であろうと構わぬ。ローマの西方教会とこれ以上、関係を悪化させるのも余は望まぬ」


 1063年の相互破門事件よりこの方、コンスタンティノープルの東方教会とローマの西方教会との仲はぎくしゃくしている。

 西方教会がジャン=ステラ殿を預言者として扱う可能性もあるのだ。そのような場に出向いてまで「にせ預言者だ!」と主張した所で、東ローマ帝国に利益はない。


 6年前の当時の帝国は、内政を充実させ、セルジューク朝トルコという外敵に立ち向かう事が急務であり、他に割く労力はなかったのだ。



 ここまでが6年前の出来事。

 この状況が一変したのが、4か月前の5月。イタリアから戻ってきたイシドロスの一報だったのです。


「ジャン=ステラ様の異端審問がローマで開かれております」


 この報告に対して一番先に反応したのが、先代皇帝の弟ぎみのヨハネス・コムネノス殿下。

 どこから聞きつけたのか、隠居暮らしをしていたスタジオス修道院から、コンスタンティノープルに駆けつけてきました。


「ジャン=ステラの知識は役にたつ! 西方教会がにせ預言者として不要だというなら、東ローマ帝国が身柄を貰い受けるべきだ!」


 ヨハネス殿下が皇帝陛下に直談判し、ジャン=ステラ殿の救出作戦が行われることとなったのです。


 もちろん反対はありました。私も反対しました。


「そもそも、ジャン=ステラ殿の知識は預言ではなく、アラビアのものです。ジャン=ステラ殿は知識を持っていません」


 6年も前に、ジャン=ステラ殿はにせ預言者だと結論が出たはずです。

 それなのに、今さらジャン=ステラ殿の身柄を抑えてどうするというのでしょう。


「このあほっ! アラビアの機密情報を得るルートを持っているのだぞ。みすみす逃してたまるかっ!」


 ヨハネス殿下が怒鳴り声を上げます。

 さすが、帝国全軍を率いていた殿下。身が縮まる思いがします。

 しかし、負けてはいられません。王族の誤りを正すのが、相談役である私の勤めというもの。


「ジャン=ステラ殿はまだ9歳なのです。本人がルートをお持ちとは考えにくいです」

「もう一つ先まで考えろっ! 情報源はジャン=ステラではなく、その母親であるアデライデ・ディ・トリノ辺境伯が持っているのだろう。母親の情を使うのだ」


 ジャン=ステラ殿がにせ預言者だと、西方教会に認定されたら、惨いことになるでしょう。


 火あぶり、串刺し。いずれにせよ死刑は免れません。


 そこを突くのだ、と。

 ジャン=ステラ殿の身柄の安全を保証する代わりに、アラビアの情報源を貰えばいいとヨハネス殿下は主張します。


「ですが、にせ預言者をかくまえば、東ローマ帝国自体が不利益をこうむりかねませんぞ」

「馬鹿正直に、かくまっていると宣言するわけなかろう。俺の城で密やかに過ごせばいい。何なら俺の養子にしたっていい」


 地図の恩恵を十二分に受けてきた東ローマ帝国です。

 さらなる情報をアラビアから得られるならば、セルジューク朝トルコに対してより優位に立てるでしょう。


 それならば、少々の危険をおかす価値はあります。


 問題があるとすれば、それは使節団の人選です。

 なぜ、私が特使であり、ヨハネス殿下が護衛隊長なのでしょう。

 普通、逆ではありませんか。


「俺は司教の位を持っていないし、アデライデ・ディ・トリノと極秘に交渉しなければならないからな。おまえの養子では、辺境伯も納得すまい」


 たしかにその通りです。ですが、私の事も考えてください。

 きりきりとお腹が痛いです。

 この任務が終わるまで、はたして私の胃は保つのでしょうか。


 いえ、私の健康のような些事さじはどうでもいいのです。


 さきほど終えたジャン=ステラ殿との討論の結果、

『ジャン=ステラ様は預言者か否か』

 この問題が振り出しに戻ってしまいました。


 ジャン=ステラ殿はアル=バッターニーの事を知らなかったのです。


 それどころか、アル=バッターニーの天動説を否定し、地動説を支持する話まで出る始末。


 通常ならば一笑いっしょうす地動説ですが、楕円軌道という新概念まで提唱されては恐れ入るしかありません。


 数学者であり天文学をおさめているピサネロ・ゲオルギオスもその点には同意しています。


「楕円軌道と惑星の観測結果を見比べる必要はありますが、ジャン=ステラ殿が出まかせを言っているようには思えません」


 そして、地動説を主張するということは、ジャン=ステラ殿の情報源がアラビア世界でないことを物語っています。



「ジャン=ステラ殿は真なる預言者だったという事でしょうか……」


 力ない私の独り言を、ヨハネス殿下が拾いました。


「ああ、その通り。ジャン=ステラは預言者確定だな。俺はそう判断する。皆の者、異議があれば申し出よ」

「殿下の判断に否やはありません。我ら一同、同意いたします」



 ーーーー

 あとがき

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 正体不明の護衛隊長は、ヨハネス・コムネノスでした。


 ヨハネス・コムネノスをご存じなくても、アンナ・コムネナの祖父といえばイメージが湧く方もおられるのではないでしょうか。


 東ローマ帝国皇女であり、西洋中世で唯一の女性歴史家のアンナ・コムネナをもしご存じない方は、ぜひ佐藤二葉様の漫画「アンナ・コムネナ」を読んでみてくださいませ。


「緋色の生まれ」というパワーワードがすてきです☆彡


 あとがき(その2)

 イシドロスが東ローマ帝国に地図を持っていったくだりは、47話「世界地図をお土産に」にあります。


あとがき(その3)

「トルコ包囲網図」を近況報告にアップしています


 



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