第195話 ギリシアの火

 1063年9月上旬 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ


 なんで、こうなっちゃったのかなぁ。


 東ローマ帝国からやってきた一団と突発的に討論することになっちゃった。


 謎の護衛隊長さんが

「ジャン=ステラ殿、お主の勝ちだな!」

 と宣言してくれたから良かったけど、あれが無かったらどうなった事やら。


 最悪、礼拝堂で僕の護衛と東ローマ使節団との間で戦いが起きていたかもしれない。


 危ない所を回避できたとほっとする半面、己の力の無さを嘆きたくなってしまう。


(ピエトロお兄ちゃんの件もあって、力を持つため頑張ろうと決意したばかりなのになぁ)


 礼拝堂から執務室へと場所を移動する途中、大きなため息がでた。


 僕の横にはコンスタンチノープルから戻ってきたイシドロスが歩いている。


 再会のあいさつは先ほど終えた。

「ジャン=ステラ様。このイシドロス、使命を果たし、再びジャン=ステラ様の元に戻って参りました」


「イシドロス、ギリシアから無事に帰ってきてくれてよかった」


 無事の再会を嬉しくは思うよ。

 だけどさ、引き連れてきた人たち、ひどすぎない?


 僕がトリノに招いてほしいとお願いしたのは研究者と技術者だよ。

 たしかに、ミカエル・プセルロスとピサネロ・ゲオルギオスは著名な研究者らしいけど、めっちゃ挑発的だった。


 それに護衛隊長も怪しかった。明らかに態度が偉そうだったもん。あれ、何者?


 イシドロスが選ぶ人たちだったら、僕に対してあれほど居丈高な態度は取らないんじゃないかな。


 もしかして、意に沿わぬ人を僕に会わせるよう、イシドロスは脅されている?


 でも、横にいるイシドロスはニコニコ笑顔。何かとっても良い出来事があったみたいに嬉しそうだしなぁ。


 だから、会議室について早々、イシドロスに聞いてみた。


「イシドロスはどうして、そんなに嬉しそうなの?」


 僕、さっきまで大変だったんだよ。ちょっとした不満と皮肉を言葉に乗せてイシドロスに尋ねてみた。


「それはもちろん、ジャン=ステラ様が預言者だと東ローマ帝国に認められたからに決まっています」


 なにそれ? 僕にはさっぱり分からないよ。


「どういう事なのか、順を追って説明してくれる?」


 イシドロスによると東ローマ帝国において僕は、にせ預言者だと思われていたらしい。


 理由は僕が渡した世界地図と算数の教科書。


(ジャン=ステラ殿は、アラビアの技術を預言だと言って人々をだましている可能性がある)

 算数の教科書がアラビア文字で書かれていたから、世界地図もアラビア産だと推定されちゃったらしい。


「ひどい話もあるもんだねぇ」

 イシドロスが話している途中だったけど、おもわず言葉をこぼしてしまった。


「はい、その通りです。ジャン=ステラ様をにせ預言者扱いするなど許せるはずもございません。しかし、今回はそれを利用しました」


 ん? どういう事なのかな。


「もしジャン=ステラ様が預言者だった場合、東ローマ帝国はジャン=ステラ様を支援します。そう約束いただきました」


 得意げにニカッと笑うイシドロスの歯がキラッと輝いた。


 支援の1番目と2番目は、異端審問会議で僕が預言者であると主張してくれる事。そして帝都大学の教授陣を僕の家庭教師として派遣してくれる事なのだそうだ。


 今回、ウィーンに来ているミカエル・プセルロスはこの後、ローマにおもむき異端審問会議に参加する。


 そして数学者のピサネロ・ゲオルギオスは、このまま僕のもとに留まり、僕の家庭教師となるらしい。

 名目は家庭教師だけど、実際には僕の知識を役立てるための手足として好きなように使っていいそうだ。


 東ローマ帝国からはピサネロ以外にも、4人の家庭教師を僕にくれるのだと、イシドロスは言う。


 ・音楽・修辞学のヨハネス・マウロポス

 ・神学・聖書学のニケタス・ステタトス

 ・哲学者・科学者のヨハネス・イタルス

 ・錬金術師のバシリオス・ペトロス


 いずれもコンスタンチノープルの帝都大学で名の売れた教授とのこと。


「ミカエル・プセルロス様、数学者のピサネロ殿はもう打ち負かしましたから、あと4人です」

「なにが4人なの?」


「ジャン=ステラ様が彼らと討論をし、彼らの専門分野で討論し、打ち負かすだけです。それだけで彼らはジャン=ステラ様の弟子となり、誠心誠意をもってジャン=ステラ様に仕えてくれるでしょう」


 え、あの議論をあと4回もしなくちゃならないの?


「預言者であるジャン=ステラ様なら、彼らをせるなぞ造作ぞうさもないと信じております」


 言い終わるとイシドロスは片膝をついて、きらきらと輝く目で僕を見つめてくる。


 僕を預言者だと信じているイシドロスの信頼が恐い。

 だって、これっぽっちも僕の事を疑っていないんだもの。


 これって、僕、逃げられないよね。

(イシドロスにはめられたー!)


 でも、まあ、いいよ。僕は自分の知識を使う覚悟をきめたんだもの。


 どこの教授が相手だろうと、おめおめ負けていられない。

 まずは、イシドロスの期待に全力で応えてあげちゃおう。



「ねえ、イシドロス。東ローマ帝国からの援助はこれで終わり?」


 もちろん知識人というのは貴重な存在なのだと思う。

 教授が五人もいたら新しく大学を作れるかもしれないけど、僕の知識の方が貴重でしょう?

 国をあげての支援としてはちょっと少なすぎだと思う。


「いえ、まだまだあります。ジャン=ステラ様がお求めであった製紙法と養蚕ようさん法、コンクリートの作り方。そして『ギリシアの火』の作り方を頂けます」


 やっぱり紙の作り方は東ローマ帝国にあったんだ。

 そして、かいこの幼虫を貰えるのは嬉しいな。


 製紙があれば知識の伝達が楽になる。

 蚕からは絹の布が作れる。絹布は戦場に欠かせない。流れ矢を防ぐ陣幕や母衣の材料にもなるし、よろいしたに着る下着だって作れる。

 もちろん、アデライデお母様の衣装にも使えちゃう。


 コンクリートを作る技術があれば壊れた上下水道を修理できる。

 古代ローマの衰退以降、北イタリアのあちこちに放置されている町や村を復興し、人口を増やせるだろう。


 ぜーんぶ国力アップに使える技術だ。東ローマ帝国の支援というなら、こうでなくっちゃ。


「イシドロス、交渉を頑張ってくれてありがとう」

 僕は感謝の言葉を紡ぎ出す。


 でも、ギリシアの火って何だろう?

 オリンピックの聖火、ではないよね。そもそも時代が違う。


「東ローマ帝国がほこる秘密兵器です。陶器に入れた「ギリシアの火」を敵船に投げつけると雷を呼び、水でも消せない火を召喚しょうかんできるのです」


 火を召喚って、火の精霊でも召喚する魔法なの?

 実はここって魔法の世界だった?

 いや、違うよね。そう信じたい。


 僕が困惑していたら、イシドロスが慌てて言葉を継ぎ足してきた。


「ジャン=ステラ様が強くお求めであった火薬と似ていると思ったのです。火薬はドッカーンと大きな音がするのですよね。


 ギリシアの火も、ドッカーンと雷のような大きな音がするのです。


 ジャン=ステラ様なら火の精霊、雷の精霊、そして火薬の精霊だろうと、使役できると信じております」



 ーーー



 ジ: ジャン=ステラ・ディ・サヴォイア

 イ: イシドロスス・ハルキディキ


 ジ:ねえ、イシドロス。僕が議論に負ける可能性は考えなかったの? 

 イ:微塵みじんも考えておりませんでした

 ジ:でも、負けていたら、にせ預言者として殺されちゃってたかもしれないんだよ

 イ:ジャン=ステラ様は預言者ですから、負ける事なぞございません

 ジ:いや、でも…… それって僕の命を使った賭けだよね?

 イ:はい、100%勝てる素敵な賭けでした。お陰で報酬をギリギリまで釣り上げられたのです。

 ジ:負けたら僕、殺されてたかもしれないんだよ。人の命を賭けに使わないで欲しいなぁ

 イ:いえ、問題ありません。なぜならジャン=ステラ様は預言者だからです

 ジ:(狂信者こわい がくがくぶるぶる)


 万が一ジャン=ステラちゃんが負けた場合でも、東ローマ帝国に亡命できる手筈が整っていた事を伝え忘れるイシドロスなのでありました。



 ーーーー

 あとがき

 ーーーー


 ◆ギリシアの火は、ギリシア火薬とも呼ばれます。

 東ローマ帝国が誇る海戦の秘密兵器。

 液体状の可燃物で、水をかけても燃え続けます。ナパームという物質に似ているようです。

 ただし、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の滅亡とともに製法は失伝しています。


 石油、硫黄、樹脂を混ぜて作ったらしいと推測されています。


 ここで重要なのは、硫黄!


 なぜなら、ジャン=ステラちゃんは火薬の材料を正確には覚えていません。

 木炭と硝石。あと一つの硫黄が思い出せませんでした。(第145話:家庭教師を集めよう(中編))


 ここでギリシアの火が盛大なヒントになる予定です。

 そう、ジャン=ステラちゃんの火薬開発に拍車がかかるのです☆彡


 ◆オリンピックの聖火

 オリンピックの開催期間中、聖火台で燃え続ける続ける火です。オリンピックの伝統的なシンボルであり、古代ギリシャのオリンピアで行われたオリンピック祭典に由来します。

 ギリシャはオリンピアの遺跡において、古代ギリシアの伝統に基づき、太陽光を集めて点火されるとのことです。

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