第59話 贈物の意図
1057年9月上旬 イタリア北部 トリノ トリノ城館 ジャン=ステラ
「イルデブラント様、どういう意図でこの品を持ってこられたのかしら」
「何の事でしょうか、アデライデ様」
僕の目の前でイルデブラント助祭とアデライデお母さまがにらみ合っている。
いや、睨んでいるのはお母さまで、イルデブラントは柳に風とばかりに受け流している、といった感じ。
マティルデお姉ちゃんからの贈り物、大きな瓶底のような円いガラスの事で思案に
(一体何がどうなってるの?)
おろおろする僕を置き去りにし、二人の論争は続いていく。
「何の事とは、ご挨拶ですわね。イルデブラント様ともあろうお方が子供のおつかいでもあるまいに。
贈り物が含む意図をお考えにならなかっとでもおっしゃるのですか」
冷たく響くお母さまの声に
「はてさて、私はマティルデ様からの贈り物を届けただけです。」
トスカーナ辺境伯とはいえマティルデお姉ちゃんは、弱冠12才の女の子。
実権も義父のゴットフリート3世に握られている。
トリノ辺境伯家に何か隔意があるわけでもなく、むしろ好意を向けていると、イルデブラントは感じている。
そういう説明を長々と続けた後、懸念が過ぎるのでは、と締めくくった。
「アデライデ様が何を危惧されているのか存じませんが、考えすぎではありませんか」
イルデブラントの言い訳を聞いても、お母さまの目線は冷たいまま。
「ええ、そうですわね。マティルデ様が実権を握っているのでしたらその通りでしょう。
ですが、この贈物に他の者の意向が入っていないとは言わせませんよ」
窓の明かり採りとしてガラスを使うという新しい発想。そして、最新の技術が詰まったクロスボウ。
どちらも、12才の少女が自分で考えた贈り物ととは到底思えない。
では、だれが思いついたというのか。
トスカーナ辺境伯の実権を掌握しているゴットフリート3世しかありえないではないか。
縫いぐるみと円いガラスとクロスボウ。
それぞれ単体であれば、贈り物として
しかし、3品が全て同じ意味合いのメッセージを持つのなら、偶然ではないだろう。
女子供のおもちゃである縫いぐるみ。
女子供用のクロスボウ。
そして、トリノの特産品であるガラス細工の技術遅れを指摘する円いガラス。
トリノ辺境伯の事を、女子供が統治する、軍事も技術も遅れている領地だと
軍事でも技術でも遅れたトリノ辺境伯家は戦をしても勝てないぞ、と。
では、なぜゴットフリート3世はこのような無礼な行為に及んだのか。
彼は本気で天下、この場合は神聖ローマ皇帝の地位を狙っているのだろう。
つまり、トスカーナ辺境伯家の家臣になれ、と。
「率直に言いましょう。我々がトスカーナ辺境伯家の下風に立つ
脅しに屈するような弱小諸侯と見られるのは心外だとばかりに、アデライデはイルデブラントを睨んでいる。
一方のイルデブラントもしばしの間、アデライデと視線を戦わしていたが、あきらめたように肩をすくめ、息を吐き出した。
「ふぅ。私は本当にゴットフリート様からは何も伺っていないのですよ」
信じてはくださらないでしょうね、とイルデブラントは左右に首を振りながら、あきらめたように話し始めた。
「それに、我々ローマ教会が望むのは平和な世の中です」
飢えで苦しむ者が居なくなり、
そして、世界の隅々まで神の教えが行き渡る。
「そのためには、誰が覇権を持っていても良いと思いませんか?」
イルデブラントの
「それがゴットフリート3世だとあなたは言うのですか」
「私ではなく、教皇猊下のお考えでもあります」
新しく教皇に就任したステファヌス9世は、ゴットフリート3世の実弟である。
つまり、聖俗の権力を2人で掌握するという事になる。
お母さまはイルデブラントの方を相変わらずの冷たい目で見たまま、沈黙している。
そしてイルデブラントもお母さまの次の一言を待っている。
どれくらい経ったであろうか。
お母さまは沈黙を破って次のように宣言した。
「トリノ辺境伯家は、神聖ローマ帝国皇帝の家臣であり続けます」
辛い選択だったのか、お母さまの声は苦虫を嚙み潰したようだった。
「苦渋のご決断であったと拝察いたします。しかしこれでイタリアの平和は守られる事でしょう」
イルデブラントの顔には、自然な笑顔が戻っていた。
(え、どういう事なの? )
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