初めての遠出

第65話 姉の結婚

 1062年9月上旬 イタリア北部 トリノ ジャン=ステラ (8歳)




「アデライデお姉ちゃん、オッディベアはちゃんと持った?」

「うん、ちゃんと荷物に入れたよ」


 アデライデお姉ちゃんとお別れの挨拶をするため、トリノ城館の玄関前に家族全員が集まり、順番に挨拶を交わす。



 助祭枢機卿のイルデブラントがトリノを訪れ、僕の事を預言者だと宣言してからもう5年もっちゃった。


 その間、幸いな事にトリノ辺境伯領は戦争もなく、平穏な時間を過ごすことができた。一番の理由は、一触即発となったトスカーナ辺境伯ゴットフリート3世の失政。


 彼が皇帝位を目指す最初のステップとして、実弟を教皇ステファヌス9世として即位された所までは順調だったんだよね。でも、就任して半年足らずで教皇が暗殺されちゃったの。その結果、ゴットフリート3世は皇帝どころかイタリア王にすらなれなかったのだ。


 その後も次の教皇位を巡って、トスカーナとローマはすったもんだの大騒動が勃発しちゃったから、さぁ大変。ゴットフリート3世は、トリノに手をだす事が出来なかったというわけ。


 一方の僕たちトリノ辺境伯家は、与えらえた5年間を有意義につかい、父オッドーネの暗殺で発生した混乱から回復することができたのでした。


 いやぁ、一時期はどうなるかと思ったよ。でも、ゴットフリート3世みたいな悪者は天から見放されたに違いないのです。


 うん、めでたし、めでたし。



 そして、地盤固めの最終ステージとして、アデライデお姉ちゃんがドイツに嫁ぐことになった。

 相手はシュバーベン大公、ルドルフ・フォン・ラインフェルデン、37歳。

 一方のアデライデお姉ちゃんは12歳。


「おまわりさーん、ここにロリの変態がいますよー。捕まえてくださいー」

 って僕は心のなかで叫んでる。


 こちらの常識でロリは特に問題がないことは分かっている。

 貴族子女の結婚は早く、貴族男子の結婚は遅いのだ。


 貴族男性の初婚が30歳を過ぎるのも珍しくはない。


 まぁ、お姉ちゃんの結婚相手、ルドルフの場合は死別の再婚だけどね。

 前妻との間に子供がいないから、お姉ちゃんにとって少なくとも悪い嫁ぎ先ではない。

 なんてったって、シュヴァーベン大公妃になれるのだから。


 でもねぇ、ロリなのよ、ロリ。

 ルドルフが最初に結婚したのは3年間で、相手は11歳の女の子。

 34歳と11歳も十分犯罪的でしょ?

 1回目は偶然かもしれないけど、2回続くのってどうなのかな。

 やっぱり、アウト!だよね。



「ネコの縫いぐるみも持ってる?」

「もちろん。ジャン=ステラの代わりだと思って大切にするわね」

 お姉ちゃんの事が心配で心配でしょうがないよ。

 盗聴器があったら、縫いぐるみに仕込んでおくのにって思っちゃう。



 最初の結婚の時の問題はロリだけじゃないんだよ。

 最初の奥さんとなる11歳の女の子なんだけど、ルドルフは誘拐してきて強引に結婚式を挙げちゃってるの。

 その女の子は、お父さんが亡くなっていたから、お母さんには事後承諾って形。


 まぁ、お父さんは前皇帝ハインリッヒ3世で、ルドルフはその女の子、マティルデ姫の婚約者だったんだけどさ。


 それでも、それでも酷くない?

 真正のロリで誘拐犯。

 そんな男に嫁いでいくなんて。お姉ちゃんの事が心配で心配でしかたないよ、僕。


「ねえ、お姉ちゃん、もう一度ぎゅーってしてよ」

「もう、仕方ない子ねぇ、最後だからね」

「うんっ」

「はい、ぎゅーっ」


 お姉ちゃんに向かって両手を広げて、だっこアピールをする僕を、アデライデお姉ちゃんが優しく抱きしめてくれた。

 もう、これが最後のぎゅーになるかもしれないって思うと涙が出てきそうになる。


 こちらの世界に産まれてからずっと同じ部屋で過ごしてきたお姉ちゃんとも今日でお別れ。

 結婚してしまったら、次いつ会えるかは分からない。

 もしかすると、もう会えないかもしれない。


(結婚したらお姉ちゃんと会えないだなんて、思いもよらなかったな)

 前世のお姉ちゃんは、しょっちゅう実家に帰ってきていた。

 結婚した後も、甥の周ちゃんを出産した後も月1で顔を合わせていた。


 でも、こちらでは、結婚したら最後、実家に戻る習慣なんてない。

 もちろん里帰り出産だってしない。


 だから、お姉ちゃんの笑顔とぎゅーの感触をずっと覚えておかないと。

 そう思って、力いっぱいアデライデお姉ちゃんに抱きついた。


「僕の事、忘れないでね、お姉ちゃん」

「忘れる事なんてないわよ」

「トリートメントを送るから、お返事ちょうだいね」

「うん、手紙を書くわ」

「幸せになってね、お姉ちゃん」

「ジャン=ステラも、元気でね」

「幸せにならなかったら、全力で助けに行くからね」

「うん、大丈夫よ。幸せになるから」

「お姉ちゃん」

「なに?」

「ずっと大好きだよ」


 ◇    ◆    ◇



 アデライデお姉ちゃんを乗せた馬車列がだんだんと小さくなっていく。


 …… お姉ちゃんの前で泣かずに見送れたかな?


 そして、馬車は森の向こうへと消えていった。


 城門を馬車が出た時からずっと流していた涙もやっと止まった。


 だけど、今日から子供部屋には僕一人。

 部屋にもどったらまた涙が出ちゃうんだろうなぁ。


 そんな事を考えていたら、お母さまが声をかけてきた。


「今日から寂しくなるわね」

「嫁ぐのはもっと後でも良かったんじゃないですか?」


 だって、お姉ちゃんは12歳なんだもの。

 婚約だけで、結婚はもっと後でもよかったんじゃないかかな、って尋ねてみた。

 ちょっと寂しくて八つ当たり気味になっちゃったかな。


「そうね、早いかもしれないわね」

「だったらどうして、もっと遅くしなかったのですか」


 トスカーナのマティルデお姉ちゃんは、17歳でもまだ結婚していない。

 何年も前から婚約者がいるのに、結婚する気配はまったくない。


「結婚って縁だからよ」

「縁?」

「そう、縁」


 何か分かったような、分からないような。

 お母さまに誤魔化されているのかな。


 僕が不満顔になっているのに気づいたみたいで、教えてくれた。


「結婚にはタイミングがあるのよ。あなたも身をもって知っているのではありませんか?」

「あまり自覚はありませんでしたが、婚約の約束が破られちゃいましたものね」


 僕にはかつて婚約者がいた。

 前皇帝ハインリッヒ3世の末娘であるユーディット姫である。


 僕の事を預言者だと勘づいていた当時の教皇が、西方教会に引き留めるために結んだ婚約。


 正確には婚約する約束だったのだが、この約束は4年前の1058年に解消された。

 理由は、ユーディット姫がハンガリー王に嫁ぐことになったから。

 ハンガリーが内乱で揺れていて、それを抑えるために皇帝の血を引いた姫が必要だったらしい。


 トリノ辺境伯家からは、既に姉のベルタがハインリッヒ4世に嫁いでいる。

「トリノと二重に縁を結ぶよりも、他の王家を優先したい」

 そのような理由で破棄を申し出てきたのだ。


「ジャン=ステラは知っていて? あなたの婚約破棄があったから、ルドルフはマティルデ姫様を誘拐してまで結婚を優先したのよ」

「え? どういう事ですか?」


 アデライデお姉ちゃんの嫁ぎ先のシュヴァーベン大公ルドルフの先妻がマチィルデ姫である。

 そのルドルフが当時12歳のマティルデ姫を誘拐したのは、僕の婚約破棄と関係していたらしい。


「あなたの婚約が破棄されたのを見て、マティルデ姫様との婚約が遂行されるか危ぶんだのね」


 元婚約者のユーディット姫が嫁いでいったハンガリー以外にも、婚姻政策が必要そうな国があった。神聖ローマ帝国東側のポーランド王国や、北側のデンマーク王国である。


 特にデンマーク王国のデーン人は狂暴で名を馳せている。海を荒らしまわるヴァイキングとも呼ばれ、一時期イングランドとノルウェーをも併呑していた。デンマーク王国と結んでいる和平を強固にするための婚姻政策は有効であっただろう。


 そのため、ルドルフは僕と同じように婚約が解消されると危惧したらしい。

 婚約が解消されたら、権威が失墜するのだとか、なんだとか。


「そうは言っても、12歳の女の子を誘拐婚するのはねぇ」

「あら、どうして?」


 いくら権威失墜を防ぐためとはいえ、誘拐はいかんでしょ、このロリ親父め!

 僕の思いが籠ったつぶやきを捉えたアデライデが心底不思議そうに聞いてきた。


「ほへ?」

 おもわず、変な声がでちゃったよ。


「奪ってでも手に入れたいほど、マティルダ姫様は求められていたのよ

 大切に扱われていたに決まっているでしょう」


 僕が想像していた誘拐は、猿轡さるぐつわをかけられたお姫様が簀巻すまきにされ、声を上げることもできず黒装束の一団に連れ去られるというものであった。


 しかし、実際は全く違った。

 ルドルフ王自ら、白昼堂々とマチィルダ姫のもとを訪れ、求婚したのだそうだ。

 そして、マティルダ姫が求婚を受け入れたから、ルドルフは自らの居城へと連れ去ったという事らしい。


 …… 思ってたんと全然ちがう

(これだと、ルドルフはおとぎ話の白馬の王子様やんか~)


「僕が想像していた出来事とぜんぜん、全く違いました」

「あら? ジャン=ステラはどのような事を想像していたの?」


 アデライデお母さまに、猿轡さるぐつわ簀巻すまきぐるぐるな誘拐談を語ったら、呆れられた。


「帝室との関係を強化し、権威を高めるための政略結婚なのに、そんな事したら台無しじゃない」

「ですよねぇ」


 はい、その通りです。ぐうの音も出ません。


「もし、ジャン=ステラが想像したような鬼畜な人物だったなら、可愛い娘を嫁がせたりしませんよ」


 政略結婚の意味がないでしょ? とアデライデお母さまは言う。


「じゃあ、アデライデお姉ちゃんは大切にしてもらえる?」

「ええ、きっとね」

「幸せになれる?」

「もちろん。それにね、」


 アデライデお母さまは僕をぎゅっと抱きしめてくれた。

「あなたも幸せになれますからね」


ーーー


ア: アデライデ・ディ・トリノ

ジ: ジャン=ステラ


ジ: ねえ、お母さま?

ア: なあに、ジャン=ステラ?

ジ: ルドルフはマティルデ姫を誘拐したでしょ?

ア: そうね

ジ: じゃあ、僕もマティルデお姉ちゃんを誘拐してもいい?

ア: うーん、そうねぇ。その時が来たら考えましょうか

ジ: やったー

ア: でもね、ジャン=ステラ。マティルデ様はお婿さんが必要なのよ

ジ: そっかぁ。じゃあ、お姉ちゃんが僕を誘拐してくれたらOKかな、かな?

ア: そうねぇ、そうなるといいわね (ふぅ。大丈夫かしら、この子)



ーーー

史実でも、ルドルフはマティルデ姫を誘拐し、結婚しています。


この後、ルドルフはドイツ王の座を巡ってハインリッヒ4世と対立します。

そして、1080年にハインリッヒ4世に敗北死しました。


勝てば官軍負ければ賊軍という言葉がありますが、勝者側が紡ぐ歴史において、ルドルフは必要以上に悪く描かれているのだと思います。


余談でした~





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