第66話 家族の叙爵
1062年9月上旬 イタリア北部 トリノ ジャン=ステラ(8才)
「お母さま、お待たせしました」
「おはよう、ジャン=ステラ。丁度良いタイミングだったわよ」
お姉ちゃんが嫁いでいった次の日、僕はお母さまの執務室に呼ばれた。
執務机の上に置かれた羊皮紙を片づけながら、執事に人払いを命じた。
「ジャン=ステラ、昨日はよく眠れた? 子供部屋に一人きりになってしまったから寂しくなかった?」
これまで一緒の部屋で過ごしてきたお姉ちゃんが嫁いでしまったので、昨晩は部屋に一人きりだった。いや、本当はすぐ近くに侍女のリータが居たのだが、侍女は頭数に入らないようだ。
「大丈夫でしたよ。リータもいましたし」
「そう、それはよかった」
本当はね、おやすみの挨拶する相手が居なくなって、ちょっと泣いてた。
だけど、心配させるような事をわざわざ言わなくてもいいよね。
そして、人払いが終わり、執務室にはお母さまと僕だけが残った。
「娘2人も無事に嫁いだから、そろそろ息子たちの身の振り方を決めたいと思うの」
長女アデライデは昨日、シュヴァーベン大公ルドルフに嫁いだ。
もう一人のお姉ちゃんである次女のベルタは6年前、次の神聖ローマ皇帝と目されているドイツ王ハインリッヒ4世へと輿入れした。
母アデライデの下に残っているのは長男のピエトロを筆頭に、アメーデオ、オッドーネと僕の4人である。
ピエトロは14歳なので、そろそろ大人扱いしても良い年頃なのだ。
…… 前世だったら、まだ中学生なのにね
「身の振り方を決めたいのはわかりましたが、人払いが必要なのですか?」
「それは、もちろん。ジャン=ステラ、あなたの意向を聞きたいのです。今からでもトリノ辺境伯を継ぐ気はない?」
そういえば、父オッドーネが亡くなったときにそのような話をしたような気が。
お母さまを支えるため、兄たちを差し置いてトリノ辺境伯を継いで欲しいと言われたっけ。
でもねぇ。別に辺境伯とかに興味ないしなぁ。それは昔も今も変わらない。
僕にとって貴族という身分は幸いだった。
きっと平民だったら、前世の知識の事がバレたとたん、教会に拉致されていただろう。
だからといって、辺境伯になって領地を治めたいかといえば、断じて否である。
偉くなる事に、興味はないのだ。
それよりも、ピザが食べたい。食べたいったら食べたい。
辺境伯なんて、面倒事に関わりたくない、というのが本音だ。
だからお母さまへの答えは昔と同じ。
「継ぐ気はないですよ。ピエトロお兄ちゃんでいいじゃないですか」
「確かにそうなんですけどねぇ」
長男が継ぐのが一番だという僕に対し、アデライデは何やら煮え切らない。
ため息交じりの言葉が返ってきた。
「ピエトロもいい子ではあるんだけど、いい子なだけなのよ」
「領主見習いとしてそつなく役割を果たしていたと思いますけど?」
僕からみたら、ピエトロは頑張っていたと思う。
騎士としての鍛錬に加え、ラテン語にドイツ語の勉強。
それに、算数のお勉強を毎日欠かさず行っている。
僕が作った算数の教科書を使っているから、大きな数のたし算や引き算ができるし、九九まで覚えている。 あと1年もあれば、2桁のかけ算もできるようになるだろう。
いや、馬鹿にしてないよ。この時代だったらすごい能力なんだからね。
トリノ領で計算といえば、城の出納役を務めるサルマトリオ家のお家芸であった。
弱冠14歳のピエトロがサルマトリオ家に匹敵する程の計算能力を持っているのだから、それは凄い事なのだ。
「そうねぇ、ジャン=ステラ。あなたの言う通り、ピエトロが頑張っているのは認めます。
でもね、ピエトロの近くにあなたがいるでしょう?
家臣たちも皆、どうしてもあなたと比較してしまうのよ」
僕と比較されるなんて、ピエトロお兄ちゃんが可哀想すぎない?
前世の知識を持っているのだもの。
大人と子供を比較して、子供が劣っているって嘆いているようなもの。
「それは仕方ないじゃないですか、お母さまだって分かっているでしょう?」
ちょっと口を尖らせた僕は、お母さまに抗議の言葉を投げかける。
「ええそうね。わかっているわ。そこを何とかならないかしら」
「なんともなりませんって。ピエトロお兄ちゃんにしましょ、ね?」
お母さまから「困った子ねぇ」という視線を受けつつも、僕は「嫌なものはいやなんです」という主張を譲らなかった。
押し問答の末、最後にはお母さまが根負けしてくれた。
「そうね。ジャン=ステラはまだ子供だし、今回は私が負けておくわ」
「お母さま、その言い方って、まだ次回があるの?」
「さぁ。将来の事は分かりませんからね」
そういってお母さまは僕にウィンクしてきた。
お母さまも結構いい年なはずなのに、ウィンクする姿が様になっていた。
なんかちょっと悔しくなったから、僕はお母さまにウィンクを返そうとして……失敗した。
「ぷっ。うふふっ」
片目だけつむろうとしたけど、もう片方が半目になってたらしく、お母さまが噴き出した。
◇ ◆ ◇
1062年9月中旬 イタリア北部 トリノ ジャン=ステラ
「ピエトロ・ディ・サヴォイアをトリノ辺境伯とし、
トリノ城の謁見の間に集まった貴族たちの前で、お母さまが宣言をした。
それほど大きくない母の声だったが、僕と話すときと違って威厳に満ちあふれていた。
宣言を受けたピエトロは、緊張を顔に浮かべながらもゆっくりとアデライデの前に進み出た。
(お兄ちゃん、がんばれ)
僕は、居並ぶ貴族の最前列に立っている。
そこから母と兄が立っている檀上までは20歩くらい。
ピエトロの緊張が僕にも
ギューッと握った手に汗をかいていた。
壇上のピエトロが母に向かってゆっくりと
アデライデがピエトロの頭に宝冠を乗せる。
その瞬間、謁見の間に大きな歓声が湧きおこる。
「ピエトロ様、万歳!」
「神よ辺境伯家を守り給え!」
アデライデは謁見の間を見回しつつ、歓声が収まるのを待っている。
……これで終わりじゃないんだよ。
事前に段取りを教えてもらっている僕は、これで終わりじゃない事を知っている。
すこしして歓声が静まった後、さらなる叙爵がアデライデから発表される。
「トリノ辺境伯ピエトロ・ディ・サヴォイアを、サヴォイア伯爵に叙す」
伯爵の爵位は、辺境伯の爵位よりも下位になる。
しかし、わざわざ叙爵するのには当然ながら、意味がある。
サヴォイア伯の爵位がサヴォイア家の家長を表す称号なのだ。
ピエトロをサヴォイア伯に叙勲する事で、誰がサヴォイア家の正統な継承者であるかを明らかにした、というわけである。
ピエトロの叙爵は、アデライデの宣言によって終わりを告げた。
「ここに、トリノ辺境伯家とサヴォイア家が統合された事を宣言する」
宣言が終わると同時に 「わぁぁぁ!」 という歓声が謁見の間にこだまする。
「トリノ辺境伯家万歳!、サヴォイア家万歳!」
貴族たちの歓声に混ざって、僕も万歳を唱えていた。
さて、今日の謁見のクライマックスはこれで終わり。
僕はそう思っていたんだ。
「アメーデオ・ディ・サヴォイア、前へ」
お母さまの呼びかけに従い、次兄アメーデオが壇上へと上がっていった。
ピエトロに続き、アメーデオがモーリエンヌ伯に叙爵されるとともに、サヴォイア伯の共同統治者に任じられる。
モーリエンヌ伯は、サヴォイア家が持っている3つの伯爵位の一つである。
サヴォイア伯領とモーリエンヌ領は、トリノからアルプス山脈を超えた向こう側にある。
冬の間、アルプス山脈の峠は雪で封鎖されてしまうから、代理の統治者が必要となる。
これまではアイモーネお兄ちゃんが務めてくれていたけど、これからはアメーデオお兄ちゃんがその代わりを務める事になったのだ。
( アイモーネ兄ちゃん、これまでお疲れさまでした )
小さかった僕にいろいろな事を教えてくれたアイモーネ兄ちゃん、ありがとう。
「オッドーネ・ディ・サヴォイア、前へ」
同じように、三男のオッドーネお兄ちゃんが壇上へと呼ばれた。
オッドーネの進路は聖職者。今日まで宮廷司祭の見習いをしていた。
「オッドーネ・ディ・サヴォイアを宮中助祭に任ずる」
オッドーネは僕より一つ年上の9歳。
宮中助祭に任じられたけど、当分の間は見習いと同じ扱いなんだろうなぁ。
それでも、オッドーネお兄ちゃんはとてもうれしそう。
お兄ちゃんたちと一緒に、大人扱いしてもらえた事が嬉しいのかな。
(オッドーネお兄ちゃん、お仕事頑張ってね)
僕? 僕はできるだけ働きたくないなぁ。
前世のブラック職場で懲りました。働かなくていいなら働きたくないもん。
さてと。僕がお母さまから聞いていた叙爵の内容はここまで。
お兄ちゃんたちは、みんな嬉しそう。
よかったよかった、めでたしめでたし。
お兄ちゃんたち、おめでとう。 お仕事頑張ってね。
ほっと一息ついて油断していたら、お母さまから呼びかけられた。
「ジャン=ステラ・ディ・サヴォイア、前へ」
(え、僕? 何も聞いていないけど、なに?)
頭の上に疑問符を浮かべながらも、僕は言われるままに壇上へと昇った。
目の前のお母さまは、うふふっ、と悪だくみが成功したいたずらっ子みたいな顔をしている。
「ジャン=ステラ・ディ・サヴォイアをアオスタ伯に叙爵する」
ーーー
近況ノートに地図を載せておきます。
アデライデの絵や、マティルデ嬢の絵も近況ノート載せてます。
よろしければ併せてお楽しみください
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