第97話 意図せぬ経済戦争(3)ジャン=ステラ前編

 1062年11月上旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 ジャン=ステラ(8才)



 サルマトリオ男爵は結局、40日目の小麦を納められなかった。


 僕が男爵に課した罰は41日間にわたる小麦の納入。一日目に小麦1粒を納める。次の日には2倍の小麦2粒。3日目はさらに倍の4粒。


 お母様をはじめ、周りのみんなは軽すぎる処罰だと思っていたみたい。

「違うんだよ、すっごい重い処罰なんだよ」

 僕はそう言ったのに、誰も信じてくれなかったのは悲しい限り。


 小麦一粒が0.03gとして、全部で6万トンもの処罰なのに。これでも軽い処罰だって言うのかな。まぁ、僕だって6万トンって言われてもイメージ湧かないけどさ。


 んーと、ざっと計算してみよう。小学校の25mプールに1.3mくらい水をいれると400トンくらいになる。つまり、男爵の罰はプール100杯分の重さの小麦になる。処罰が軽すぎると言っている人たちは、重機もない中世ヨーロッパでこれだけの量をどうやって運ぶつもりなんだろう。


 あぁ、計算ができる人が周りにいたら、このやるせない孤独感を一緒に味わえるのに。


 イシドロスとか修道士の皆は

「まぁ、ご謙遜を。ジャン=ステラ様はまこと、慈悲深い方であらせられる」

 とか言ってた。


 一方、護衛の騎士たちは不満たらたら。

「領内に賊が跋扈ばっこし、あまつさえ君主に襲い掛かるのを防げなかったのです。厳罰に処せずにどうするのです」

 いきどおりもあらわにアデライデお母様に諫言するものもいたらしい。


「舐められたままでは第二第三の襲撃がおこるかもしれないのですぞ」

 この世の中は弱肉強食。上に立つものは「舐められたら殺す」覚悟が必要らしい。たしかに、その言い分は理解できる。お母様や僕を心から心配してくれている忠臣だからこその怒りなのだと思う。


 ごめんね。人殺しの覚悟はできないんだ。ただし、本当は軽い処罰じゃないから許してね。理解してもらえないとは思うけど。


「まぁまぁ、ジャン=ステラにも考えがあるのですよ」

 と騎士たちをなだめ、抑えてくれたお母様に感謝しなくっちゃ。



 そして商人達は、お母様と僕に取り入ろうとゴマをすりつつ寄ってくる。

「アデライデ様、ならびにジャン=ステラ様に直接お会いできることが、この取引最大の利益なのです」

 などと、満面の笑みを浮かべていた。10か月後には2倍の小麦を返してもらえるもんね。1年で二倍になる銀行預金なんてありえないでしょ? 2倍ってぼったくりじゃない?まぁ、返すのは男爵だからいいけどさ。


 それはともかく、つまり僕は鬱憤うっぷんが溜まってるてわけ。周りの人が理解してくれないんだもの。


 だから、商人たちに嫌味を言うくらい許されるよね。

「商会の人たちってとってもお金持ちなんだね。あの手形1枚で小麦馬車100台分くらいの小麦なのに、奪い合うように契約してくれたってサルマトリオ男爵から聞いたよ。みんな、すごいね!」


 40日目の朝、商人たちに手形一枚当たりの小麦量を伝えたら、慌てていた。


「くっくっく。やっぱりみんな計算していなかったんだね」

 こんな計算もできなくて商人をやっていけるのかしらと、彼らの事を心配しつつも、含み笑いが漏れ出てくる。ちょっと留飲が下がった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る