第224話 貨幣製造

 1064年8月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 夏の日差しを避け、執務室の窓から地中海をぼーっと眺めていた。


 キラキラ輝く海面に浮かぶガレー船が、ゆっくりと動いていく。


 石で出来ている離宮の執務室は涼しいけれど、きっと、船内はとっても暑いんだろうなぁ。


 ガレー船のオールを漕いでいる水兵さんにエールを送りたい気分になった。がんばれーって。


「あ、ノルマン人のロングシップだ」


 南東の方角から、細長いロングシップが二隻、こちらに向かってくるのが見えた。


 そのロングシップは、ずんぐりむっくりしたガレー船を護衛している。船速の速いロングシップで、足の遅いガレー船を護衛しているのだろうか。


 イタリア南部のシチリア島では、多くのロングシップが走っていると聞いている。しかし、アルベンガ近辺ではあまり見かけないんだよね。


 強いてあげるとしたら、新大陸に渡っていったエイリークの船団くらいだろうか。


 そういえば、エイリークは元気してるかな。今頃どこにいるんだろうね。


 アルベンガを出発したのは5か月前の3月だった。そろそろ帰ってきてもいいんじゃないだろうか。


 もしや、海の藻屑になってたりしないよね。お願いだから無事でありますように。


 遠くに見えるロングシップがエイリークの船団だったらよかったのに。

 でもガレー船を護衛しているから、エイリークの船じゃなさそうなんだよね。


 少し残念に思いつつ、僕はお仕事へと戻ることにした。


 最近、片づけないといけない仕事が増えてしまったんだよね。


 執務机に山積みされている書類の束を見てため息一つ。

「はぁ、お母様、早く帰ってこないかな」


 仕事が溜まっている理由は単純。アデライデお母様が一月前にトリノ辺境伯家第二の都市であり、東の守りの要であるアスティに移動してしまったから。


「ちょっとオッドーネをアスティの司教にけてくるわね」


 僕の一つ年上で三男のオッドーネお兄ちゃんは、僕たち兄弟の中で唯一聖職者の道を選んだ。


 これまではトリノの宮中司祭を務めていたのだけれど、トリノ東方の都市:アスティに司教として赴くことになった。


 お母様は、この人事を通じてトリノ辺境伯家の統治と防衛の形をはっきりとさせたいらしい。


 すなわち、領地の中心であるトリノにピエトロお兄ちゃん。


 アルプスの西側は2人体勢で、アメーデオお兄ちゃんとベリー司教でいとこのアイモーネお兄ちゃん。


 そして東側の守りがアスティ司教のオッドーネお兄ちゃん。


「アスティの守りを固めるというのなら、お母様は爆竹を持っていくのですか?」


「領内全ての軍用馬を調教しなければなりませんからね」


 今はアルベンガ離宮、そしてトリノで行っている爆竹訓練を、東のアスティでも行うという事らしい。


「それに『ギリシアの火』も持っていくわよ。城の守りを固めるに役立ちますからね」


 お母様のいう「ギリシアの火」は、東ローマ帝国海軍の秘密兵器であり、その中身は水をかけても消えない粘着質な油である。


 その「ギリシアの火」を陸上で使う効果的な方法を、錬金術師のバシリオス・ペトロスが編みだした。


 それはとっても単純な方法だった。陶器に入れた「ギリシアの火」に導火線をつけて蓋をしておく。


 使うときは導火線に火をつけて、城壁の上から落とすだけ。落ちると陶器が割れるから「ギリシアの火」が飛び散り、紅蓮の炎に包まれる。


 開発者のバシリオスは、爆発事故で骨折した手足を不自由そうに動かしながらも、顔には自信をみなぎらせて開発の秘密を僕に教えてくれた。


「火薬を紙に巻いた導火線のお陰でこの兵器ができたのです」


 導火線の代わりに布切れや紙こよりを使ったのでは、陶器を落としている間に火が消えてしまい、うまく着火しないらしい。


「さらには導火線により雨が降っていても「ギリシアの火」が使えるのです」


 説明してくれたバシリオスは「すごいでしょう? 褒めてほめて」 ってしっぽをふっている。

 もちろん、人間だからしっぽは無いんだけど、それほどまでにアデライデお母様と僕からの「お褒めの言葉」を欲しているみたいなのだ。


「バシリオス、兵器開発の功により、離宮内で爆発を起こした件は不問といたしましょう。これからもジャン=ステラのために、力を尽くしなさい」


「アデライデ様、お許しいただきありがとうございます。このバシリオス、今後もジャン=ステラ様、そしてアデライデ様に忠誠を誓うことを約束いたします」


 お母様の言葉に、バシリオスは心の底から喜んでいるみたい。

 錬金術師という技術者が上級貴族に認められるということは、この上ない名誉ということなのかな?


 僕にはその心境がよくわからない。

 それに、新しい兵器を作ったご褒美が、爆発事故を起こした罰を帳消しにするだけだなんて、厳しいなぁ。


 とはいえ、お母様の決定だからね。僕にはどうすることもできないや。

「この埋め合わせはきっと、どこかでするからね」と心の中だけでつぶやいておく。


 バシリオスの事はさておき、アスティへと話を戻そう。


「ねえ、お母様。そこまでアスティの守りを固くする必要があるのですか?」


 アスティはトリノ東側の重要拠点なのは間違いない。


 ゴットフリート3世率いるトスカーナ辺境伯と戦争になった場合、アスティが最初に攻められる可能性はある。


 しかし、アスティとトスカーナ辺境伯領との間には、友邦のモンフェッラート侯爵領が横たわっているのだ。


 アデライデお母様は3回結婚しているのだが、2回目の結婚相手が先代モンフェッラート侯爵エンリコだった。エンリコとの結婚は、死別により3年間しか続かなかったが、トリノ辺境伯家とモンフェッラート侯爵家は今も良好な関係を続けている。


 確かにアスティはトリノ辺境伯家にとって重要な商業都市である。


 しかし、ゴットフリートがアスティを攻めた場合、同時にモンフェッラート侯爵家を敵に回してしまう公算が大きい。


「ゴットフリート3世がそこまでして、アスティに攻めよせるものでしょうか?」


 それよりもポー川の水運を使い、途中の小領主を蹴散らしつつトリノへと直接攻めてくると思うんだよね、僕は。


 そんな疑問に、お母様はうんうんと大きく頷き、僕の考えを肯定こうていしてくれる。


「そうねぇ、今のアスティなら、トスカーナ辺境伯が攻めるほどの価値はないわね」


「ならば、どうしてアスティの守りを固めるのですか?」


 ギリシアの火に使う油は、東ローマ帝国から輸送されてくる分しかない。

 そのためどうしても量が限られてしまう。


 それならアスティに回す「ギリシアの火」をトリノの守りに使った方が効果的だと思うんだよね。


 するとお母様は、いたずらが成功した子供みたいに「ふふふっ」と笑ったあと、その理由を教えてくれた。


「それはね、ジャン=ステラ。アスティで金貨と銀貨を作るからよ」

「ああ、そんな話を昔、していましたね」


 今から七年前、アデライデお母様はイルデブラント枢機卿からアスティでの貨幣製造の許可をもぎ取った。


 それ以来ずっと使ってこなかった製造許可を今、お母様は使う決断をしたのだった。


「トリートメントや蒸留酒、そして諸々もろもろの交易によって金塊と銀塊が倉庫にたまってきたでしょう?


 放置していても腐りはしませんが、もったいないですもの。どうせなら活用しようと思ったのよ」


 アスティで貨幣を製造するのなら、確かにその価値は飛躍的に高まるのだろう


 守りを固める必要があるとお母様が判断したのも当然なのかもしれない。


「あぁ、そうそう。


 あなたの事を世界に知らしめるいい機会になるので、金貨にはジャン=ステラの顔をデザインしますからね」


「ええっ? お母様かピエトロお兄ちゃんの顔じゃないのですか?」


「そんなわけないでしょう。私やピエトロを世界に知らしめてどうするのです。


 ジャン=ステラ、あなただからこそ世界に知らしめるだけの価値があるというものよ。


 それに、トリノ辺境伯家中で一番偉いのはジャン=ステラ、あなたですしね」


 あれっ? そうなの?


 アデライデお母様やピエトロお兄ちゃんの辺境伯位よりも、預言者の方が上だと言われても違和感がある。


 そもそも、王侯貴族と聖職者ってどちらが上だとか決まっているんだっけ?


「いいえ、勘違いしていますよ、ジャン=ステラ。あなたは、教皇猊下にお認めいただいたカナリア諸島王ではありませんか」


「あ~、そういえば、そんな事がありましたね。しかし結局、教皇は僕の王位を認めたのですか?」


 世界を南北に分割する案をユーグが持ってきた時、僕はトリノ辺境伯家から独立したカナリア諸島王の家をおこす事が決定された。しかし、それ以降、教皇が僕の王位を認めたという話は聞いていない。


「もちろんです。世界を二分する条約を教皇猊下がお認めになられた時点で、あなたは既にカナリア諸島王なのです」


 フランスのダキテーヌ公爵と世界を南北に二分する条約を結び、それが教皇に認められた事までは理解している。

 しかし、思い返してみると、王位については何も聞かされていないんだよね。


「でも、お母様。僕、戴冠式を行っていませんよ。本当に僕って王様を名乗ってもいいのですか?」


「あら、ジャン=ステラ。あなたは戴冠式みたいな俗っぽい儀式に興味はないと思っていましたわ」


 お母様は、僕の口から戴冠式という言葉が出てくることが意外だったらしい。その目が驚きで普段よりも大きくなっている。


「まぁ、たしかに面倒そうですからね、戴冠式って。無いなら無いで、僕は別に気にしません」


「ジャン=ステラならそうだろうと思い、戴冠式を断ったのですよ。それに教皇猊下は戴冠式をローマで行うと主張するのですもの。一体何を考えているのやら判ったものではありません」


 何やら不愉快な出来事を思い出したらしく、お母様の機嫌が急降下していく。


「何があったのですか?」

 と聞いてみたら、お母様の口から愚痴がどばーっとあふれ出てきた。


「それがですね、ジャン=ステラ。教皇猊下ったらひどいのですよ」


 世界二分条約が認可された際、カナリア諸島王の戴冠をローマで行いたいと教皇から提案があったらしい。


 しかし、ローマへと僕を呼びつけようとした事が、お母様にはどうしても許せなかったらしい。


 ローマはトスカーナ辺境伯ゴットフリート3世の勢力圏内で、僕がおもむくには危険が伴うというのが表向きの理由。


 もちろん危険だというのも間違いではないけれど、本当の理由が2つある。


 一つ目は、ローマで一度戴冠すれば、その後も代々ずっとローマで戴冠せざるをえなくなるから。


「わざわざローマに行かなければ、王を名乗れないというのは困りますものね」


 これには神聖ローマ帝国皇帝のローマ王という実例がある。


 ドイツ王とイタリア王を獲得した後、ローマにてローマ王の称号を教皇から授からないといけない。これが初代神聖ローマ帝国皇帝であるオットー1世以来、西暦962年から続く伝統となっている。


 この伝統が足枷になり、ハインリッヒ4世はドイツ王かつイタリア王でしかなく、厳密には神聖ローマ帝国皇帝ではないことになる。


 ハインリッヒ4世もそのうち戴冠式を挙げるため、ローマまで行くことになるだろう。

 その時にはハンガリー戦役でいじわるされた御礼として、せいぜい邪魔してやるんだからねーだ。


 あ、話がそれちゃった。元に戻そう。


 つまり、ローマ王と同じ轍を、僕が初代となるカナリア諸島王で踏まないよう、お母様が未然に防いでくれた。


 そして二つ目は、王位の名前をカナリア王ではなく、カナリア諸島・・王と命名した教皇への反発心である。


「カナリア諸島の王だなんて、ジャン=ステラもひどいと思いませんこと?


 ジャン=ステラの権威を落とそうとたくらむような教皇猊下に対し、私は苦々にがにがしく思っているのですよ」


 小さな島をいくつか支配するだけで王になれるのか、などと僕がいわれのないそしりを受けることを、お母様は懸念けねんしているのだ。


 その事がわかっているから「僕はべつに名前なんて、何でもいいですよ」、という本心は口が裂けても言えない。


 とはいえ、お母様の怒りの矛先ほこさきが僕に向かってこないよう、何か言う必要はありそうなのだ。

 そこで、僕は思いついた事柄をできるだけ明るい調子になるように努めつつ、口にした。


「でも、カナリア諸島・・王って、見方を変えれば面白い名前ですよね、お母様」

「なにが面白いというのです?」


 お母様が怪訝そうに顔をゆがめる。


「だって、カナリア諸島王の版図には、世界の半分が含まれるんですよ」


 正確には、カナリア諸島よりも南にある未発見の島の全て。ただし島の一部でもカナリア諸島より南にあれば、それもカナリア諸島王のものになる。


 つまり、南北アメリカ大陸もカナリア諸島王の版図になる。さらに言えば、オーストラリア大陸もだろうか。


 それなのに教皇とユーグといえば、未発見の島が小さいと思い込んでいるのだ。


「教皇とユーグは僕たちにだまされていると思えば、留飲が下がりませんか?」


 ふむ、とお母様は一つ頷いてくれた。


「なるほど、ジャン=ステラのいう通りね。


 その版図がカナリア諸島・・王という実体に合わないと主張すれば、王位の5個や6個は作れそうね」


 世界地図を見ながらお母様がほくそ笑みはじめた。悪巧みをしている人の顔って、こんなのかなぁ、って僕は少し遠くを見ながら考える。


「ここに王国を一つ、ここにも王国を一つ。こちらの島々全体で一つ王国を作るのはどうかしら」


 そんな事をいいながらお母様は、北アメリカ、南アメリカ、カリブ海諸島に指で丸を描いていく。


 北アメリカ王、南アメリカ王、カリブ海諸島王って名前が僕の脳裏に浮かぶ。


(ひとまずは、お母様が上機嫌になってくれてよかった)


 目の前で不機嫌をまき散らされ続けられる災禍さいかからはのがれられたけれど、これでよかったのだろうか。


 お母様、本気で王国をたくさん作るつもりなのかなぁ、と一抹の不安を隠せない僕なのでした。


 ■■■ 嫁盗り期限まであと1年 ■■■


 ーーーー

 あとがき

 ーーーー

ア:アデライデ・ディ・トリノ

ジ:ジャン=ステラ


ア:コイン裏のデザインについてアイデアはないかしら

ジ:ポテトなんてどうでしょう

ア:なぜ野菜?

ジ:ポテトの栽培はなかなか広まらないんですよ

ア:つまり、ポテトを宣伝したい、と

ジ:ポテトが早く広まれば、その分飢える人が減るんだもん

 今では欧州全体で栽培されているジャガイモですが、南米からもたらされた後もなかなか普及しませんでした。


 普及するため、特にフランス王家があれこれ画策した逸話があります。


「芋畑を王室の庭に設け、夜間には警備を配置することで、ポテトに価値があるかのように見せかけよう。

 あとは、泥棒に盗んでもらえばポテトが広まるだろう」


 これが一番有名でしょうか。


 トム・ソーヤの冒険、あるいは一休さんに出てきそうなネタだなぁ、と思った記憶があるのです。


※同様の逸話がフリードリヒ大王のものとしても存在すると教えていただきました。もち様、ありがとうございます。

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