第135話 いけにえの羊

 1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ



 僕の乳歯は聖遺物なんだってさ。


「ジャン=ステラは預言者なのです。生え変わった乳歯は当然、聖遺物になるのですよ」

 お母様がユーグの方を見て高らかに主張した。



 たしかに、僕が預言者だったら、その歯どころか、髪の毛でさえも、聖遺物になるのだろう。いってしまえば、全身聖遺物。うへぇ、なんか嫌。


 でもね、引っかかる点がないでもない。だから口を尖らせてお母様に抗議する。


「お母様、聖遺物って死んだ人の遺品ですよね。僕はまだ死んでないのに聖遺物って酷くないですか」


 お母様は困った子をなだめるような優しい口調で僕に語りかけてくる。


「あらあら、気分を害してしまったかしら。だからこそ、今は聖遺物でないと言ったのですよ」

 子供の早世を願う親などいませんよ、とお母様は僕に優しく微笑んだ。


「それに問題はもう一つあるのです。ユーグ殿、そうですわよね」

 さきほどと一転し、目に力を込めたお母様がユーグへと話を振った。


「それはもちろん、私も理解しておりますとも。そして、教皇猊下や枢機卿団の方々も認識しているのです」

「そう、それで、ユーグ殿はどうなさるのかしら」

「それはもちろん、教皇猊下の味方です」

「あら、それは頼もしい事。ですが教皇猊下はあなたの味方なのかしら」

「ぅぅ……」

 お母様とユーグがともに爽やかな笑顔で言葉の応酬を交わしていたが、勝負あったらしい。ユーグが言葉につまった後、絞り出すように声をだした。

「ク、クリュニー修道院は教皇猊下の直接保護を受けているのです」

「そう、それは重畳だこと」 おほほほほ、というお母様の上品な笑い声で勝負が締めくくられた。


 目の前で繰り広げらえた会話にどのような意味があったのか、僕にはよくわからない。だけど、お母様が何かの利益を得たことだけは分かった。

(よくわからないから、にこにこ笑って誤魔化しておこうっと)


 ふぅ、とユーグが大きく息をつき、「まったく、アデライデ様にはかないませんなぁ」と、降参したかのように両手を挙げた。「極秘の枢機卿会議の中身までご存じだったとは」


 話を振られたお母様は、にこにこ微笑むすまし顔。一言も発せず、ユーグが話を続けるのを待っている。


 しばらくの間、お母様の反応を探っていたユーグだったが、観念したように話し始めた。


「さすがはトリノ辺境伯家。ローマの情報は裏の裏まで全て手に入るのですね」

 ユーグは肩の力を一度抜き、何事かをあきらめたかのように首を左右に振った。大きく息を吸い込み、それで気持ちを切り替えたのか、覚悟を決めた男の表情になった。


「いいでしょう、私も腹をくくります。ただ、これだけは信じていただきたい。私はジャン=ステラ様に敵対する気はありません。ここに来ているのが何よりの証拠だと思っていただきたいのです」


「ええ、もちろんです。スタルタスの事があったのですもの。ユーグ殿、そしてクリュニー修道会に敵対する気配があれば、この面会は実現しておりませんわ」


 1か月前、クリュニー修道院・副院長であったスタルタスが狼藉ろうぜきを働いた。その事をお母様は指摘し、ユーグに釘を刺す。ぼくだって同じ事が起きて欲しくないものね。


「それにね、ユーグ殿。少なくとも私は、クリュニー修道会が全力でジャン=ステラを応援してくれるのだと思っていますよ。枢機卿会議において真実の一端に触れたのでしょう? 先ほどあなたがお味方するといった教皇猊下の心のうちを知ったはずですものね」


「ええ、その通りです。ジャン=ステラ様の異端審問を提起した私にとって大変居心地の悪い会議でございました」


 な、なんですと!聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。お母様とユーグの会話の中身がよくわからないからといって、黙っている場合じゃなかったよ。あわてて2人の会話に割って入った。


「お母様、ちょっとまってください。ユーグ、それは僕が異端だって告発したってこと?」

「ジャン=ステラ様、その通りです。私の目が曇っておりました事をお許しください」

 ユーグは席を立ち、そして両ひざを床に突き、神に祈りを捧げるポーズで僕に許しを乞うてきた。


 ま、まじかぁ。まじですか。

「それで、どうなったの? どうなるの? ユーグって異端宣告の使者だったの? 僕、異端審問にかけられてはりつけにされて殺されちゃうの?」


 せっかくマティルデお姉ちゃんを迎えに行くって決めたのに、ローマ教会の敵になっちゃったらどうしよう。教会が敵になっちゃったら、結婚式挙げてもらえない。


(これじゃあ、お婿にいけない、どうしよう)


 オロオロして涙目になった僕の耳にお母様の力強い声が響いてくる。



「ジャン=ステラ、落ち着きなさい。そんな事、私の目の黒いうちにさせるわけがないでしょう?」

「本当に?」

「ええ、本当よ。それに、もし異端審問が通っていたら、ユーグ殿が私の前にいるはずがないでしょう」 もしそうなら、ユーグは今頃天国に入る扉の前で並んでいるわ、とお母様。


 ああ、よかった。ほっと胸を撫でおろした。 ん、天国の扉? ま、いっか。


 お母様の脅しみたいな言葉にもユーグ殿は顔色一つ変えていない。殺されて当然の事をしたとは思っているらしい。

「その通りです、ジャン=ステラ様。私が生きてここにいることがその証拠です。ジャン=ステラ様の異端審問は却下されました」

「それはよかったけど…… でも、どうして却下されたの? 僕が預言者だと嘘をついているって事が議論されたのでしょう?」


「当初はそのはずでした。しかし枢機卿会議で問題となったのは、ジャン=ステラ様の前世が天使かどうかです」


 そういえばユーグとの会食前に、お母様が言っていた。ユーグに対し「僕の前世が天使かどうかを調べてこい」という教皇の勅命が下ったと。あれってお笑いのネタじゃなかったんだ。



「預言者かどうかではなく、天使かどうかが問題なの?」

「はい、その通りです。教皇猊下としてもこの世に悪魔を召喚したくはないのです」

「あ、あくま召喚?! 預言者って召喚士にジョブチェンジできるの?」

「じょぶちぇんじ、ですか? それはいったいどのような事なのでしょう。ご説明いただければ幸いに存じます」

「えっとね、ジョブチェンジっていうのは、ゲームでレベルが一定以上にあがったら、仕事が変えられる。ってレベルってなによ~ゲームってどう説明すればいいの?!」


 僕の頭は混乱中。天使が出てきたと思えば、次は悪魔召喚。ここは11世紀のイタリアだったはず。それとも、もしかして実はゲーム世界だったの? 召喚魔法を練習しておけばよかった!


「はいはい、ジャン=ステラもユーグ殿もいったん落ち着きましょうか」

 見かねたお母様が混乱した場を仕切りなおしてくれた。


 ユーグの説明が理解不能なので、代わりにお母様が説明してくれた。


 天使というのは、神と人間を繋ぐメッセンジャー。神の意思を伝えるため人間世界に降り立つ事もあるらしい。預言とは、言ってしまえば神からのメッセージなので、僕は預言イコール前世の知識を授かって生まれてきた元天使である可能性が高いと教皇庁は判断している。


 もし僕が天使であった場合、闇落ちさせるのはめっさヤバい。大変よろしくないと教皇庁が判断している。なぜなら天使が闇落ちすると堕天使が産まれちゃう。


 ここでいう堕天使って、悪魔の事。有名なのは堕天使ルシファー。ルシファーが堕天して悪魔サタンが誕生した。幸いにして、堕天使ルシファーは神によって地獄に追放された。サタンは誕生したけどその場所は地獄だったからまだよかった。


 もし僕が天使だったとして、堕天使になっちゃったら……


『人間界に悪魔爆誕! 世界が滅亡一直線!』


 だからこそ、僕の前世が天使かどうか、教皇庁は全力を挙げて調査している。


「ジャン=ステラ、もし貴方が天使で、そして堕天してしまった場合……」

 お母様は次の言葉で天使の話を締めくくった。


「最初の生贄いけにえとして指名されたのが、あなたの目の前にいるユーグ殿とクリュニー修道会なのよ」

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