第191話 東ローマ帝国の特使
1063年9月上旬 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ
「どうしてイシドロスがウィーンにいるの?」
天地創造、つまりビッグバンが何年前の出来事だったのかを説明していたら、参加していた聖職者に怒声を浴びせられてしまった。
それを救ってくれたのが、礼拝堂に乱入してきた武装集団であり、その中になぜかイシドロスがいた。
イシドロスは半年前、東ローマ帝国のコンスタンティノープルに旅立っている。帝都大学で僕の家庭教師を募集し、トリノへと連れ帰ってくることになっていた。
ギリシアのコンスタンティノープルからイタリアまでは海路を使うはず。つまり内陸のウィーンにいるのは何か変なのだ。
「ジャン=ステラ様。まずは、こちらのお方を紹介させてください」
イシドロスの後ろに豪華な服に身を包んだ男性が二人、並んでいる。
一人は集団を率いている威風堂々とした
イシドロスはまず武人の方を僕たちに紹介しようとしたが、本人が拒否をした。
「ジャン=ステラ様、イルデブラント様。こちらの方は……」
「まて、イシドロス。この場で紹介するのはミカエルだけでいい。今回、おれは護衛隊長だからな」
「失礼いたしました」
イシドロスが武人さん、
なるほど、なるほど。武人さんの方が偉いけど、
武人さんの正体が気になるけれど、まずは文官さんの紹介に耳を傾けよう。
「ごほん。改めまして、ジャン=ステラ様、イルデブラント様。こちらがミカエル・プセルロス様。使節団の団長です」
ミカエル・プセルロス? どこかで聞いたことがある名前だ。
そうそう。僕の家庭教師を集めるにあたり、アデライデお母様がイシドロスに『貸しをお返しください』という伝言を託した相手だったはず。
お母様への貸しを返すために、ここまで来てくれたのだろうか。
「イルデブラント様、ジャン=ステラ殿、私はミカエル・プセルロスです。今回、帝都大学の教授を5名、引率してきました」
おおっ。連れてきた5名の教授って、僕の家庭教師だよね。最初から5人も来てくれるだなんて!
イシドロス、でかした!よく頑張ったね。
アデライデお母様の言っていた東ローマ帝国への貸しも、すごい効果的だったのかもしれない。お母様にも感謝しておこう。
ミカエルの自己紹介はまだ続いている。
「そして、私は東ローマ帝国皇帝、およびコンスタンチノープル総主教からローマ教皇へと派遣された特使でもあります」
「ローマ教皇への特使、ですか?」
ローマ教皇は基本的にイタリアにいる。コンスタンチノープルからローマに行く道すがら、ウィーンに立ち寄ったというのは不自然だ。
つまり、なにか理由があるはず。
ミカエルは背筋を伸ばしてシャキッとした後、特使の内容を語った。
「ローマの教皇庁において、ジャン=ステラ殿が預言者か否かを判定する異端審問会が行われています。この会議に参加するためにイタリアにやってきました」
今年の二月、クリュニー修道院長のユーグ・ド・クリュニーの訴えに基づき、異端審問が行われた。
その場にはローマ教会の枢機卿が勢ぞろいしていたものの、東方教会からの参加者はいなかった。
そのことをイシドロスから聞いた東方教会の面々は、強く憤慨したらしい。
『預言者が出現したかもしれないというキリスト教の重大事に対して、東方教会に一言も相談がないとはどういうことだ』、と。
かくして、ミカエル・プセルロスを団長とする一団がローマに派遣されることとなった。
ミカエルが団長に選ばれた理由は、彼が東ローマ帝国皇帝の相談役を勤めており、帝都大学の教授を務めていたためである。
「ローマ教皇への特使なら、なぜローマに行かずにここ、ウィーンにきたのですか?」
「理由は簡単です。異端審問の対象であるジャン=ステラ殿を知らなくては、議論に参加できないではありませんか」
ミカエル一行は最初、イシドロスと共にトリノに向かっていたらしい。
コンスタンチノープルから船に乗り、北イタリア東部のヴェネツィアに到着した所でハンガリー戦役のニュースに接した。そして、僕が軍の集合地点であるウィーンにいるだろうと予測し、ここに来たとの事である。
なんとまぁ。僕に会うためにウィーンに来たという事なのね。
遠路はるばるお疲れ様でした。ミカエルとその一行に対し、内心で頭を下げておく。
「そして、ウィーンに着いた早々、この騒ぎです。異端審問の前に、ジャン=ステラ殿が
礼拝堂の前には、聖職者たちの従者がたむろしていた。
その従者達から、にせ預言者の追及が礼拝堂で行われていると聞き出したとのこと。
なんでも、戦勝祈念式で奇跡が起きなかったから、僕はにせ預言者だと断定されていたらしい。
ちょっと待ってほしい。そもそも奇跡なんて願っていないよ、僕。
戦争の犠牲が少なくなるように、と祈っただけ。
言いがかりも
それもこれも、アンノ二世が裏で手を回しているのだろう。ムカつくなー。
「いずれにせよ、助かりました。ミカエル殿に感謝を」
お礼を述べたのに、ミカエルはニコリともしない。眉間にシワを寄せる。
「いえ、私はジャン=ステラ殿の味方とは限りませんぞ。あくまで中立の立場です。ただ、預言者候補を私刑に
僕が預言者か否かは、あくまで異端審問会議で判断すべきであり、その他の場所で決定するような事があってはならないらしい。
(たしかに筋は通っているけどさぁ)
このミカエル・プセルロスっていう中年男性は、融通が
だめだめ、性格分析できるほど悠長な余裕はない。
だって、ミカエルの話はまだまだ続いているんだもん。
そのミカエルがイルデブラントに、先ほどまでの出来事について尋ねている。
「この礼拝堂でどのようなお話がなされ、なぜ暴動寸前になったかをお聞かせください」
イルデブラントがとっても簡素に説明する。
「怒声が飛び交う原因となったのは地動説です」
あれ、ちょっと簡素すぎやしませんか?
東ローマ帝国で使われている、天地創造の年を起点とする暦の事は言わなくていいのかな。それとも、ひとまずこの場では隠しておくのだろうか。
どちらでもいいから、僕としてはこの場から早く立ち去りたい。
だって、もう疲れちゃったんだもん。
ふぅ、って一息つきたいよぉ。
せっかくイシドロスが合流してきたんだし、席を改めてイシドロスのお話を聞きたいなぁ。
だというのに、まだまだ僕は解放されないみたい。
「ジャン=ステラ殿は、天動説を否定されるのですか?」
あぁ、面倒だなぁ。
「地球を中心に星々が回っているなんて常識的に考えて変でしょう?」
地球を含む惑星は太陽の周りを回っている。季節で見える星座が変わるのは地球が太陽の周りを回っているからで、決して星々が地球の周りを回っているわけではない。
「なにが常識かは置いておきましょう。まずは、ジャン=ステラ様にお聞きします。アル=バッターニーの観測結果を否定するということですか?」
アル=バッティーニ? それって誰?
「惑星や星々の動きを詳細に観測したイスラムの学者です」
怪訝な顔をしていたら、ミカエルがため息をつきつつ教えてくれた。
だって、知らないものは仕方ないじゃん。ぶーぶー。
ぷんぷんしている僕を、ミカエルが冷たい目線で見下ろす。
そして、僕を問い詰めてきた。
「地動説よりも天動説の方が、惑星の動きを正確に予測できるのです。
再度、聞きましょう。
ジャン=ステラ殿は、そのアル=バッターニーの観測結果を否定してまで、地動説が正しいと主張するのですか」
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あとがき
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ミカエル・プセルロス (1018-1078)
東ローマ帝国の政治家、哲学者、歴史家。
歴代の皇帝に仕え、次代を決定するキーマンとしてキングメーカとも称される
アル=バッターニー (858-929)
シリアの数学者・天文学者
天文台を運営し40年以上空を観測する。また三角関数に秀でており、球面幾何学の研究を行う。
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