第37話 復讐試案2:三圃式農業
1057年2月上旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ
農業の知識を使って父オッドーネの敵、トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世への復讐する方法を考えるジャン=ステラ。
そのジャン=ステラは、藤堂あかりとして生きてきた前世の記憶がある。
大学の農学部では当然、農業の技術や歴史についても学んだ。
たとえば、日本の江戸時代初期、開墾のスピードアップに貢献した備中ぐわ。
土を掘り起こすため、棒の先端に長方形の鉄板が取りつけられているのが普通のくわ。
今でも柔らかい土を耕すのに使われている。
それに対して備中ぐわは、先っぽの鉄板が3本の指みたいに分かれている。
枝が分かれする事によって、石が混じっていたり、固かったりする土地を耕すことが簡単になった。
このちょっとした違いが田んぼの開墾に大きく貢献した。
江戸時代初期、日本全国の総石高は1600万石だった。
それが江戸時代が終わる事には3000万石と倍近くに増えている。
この開墾を支えた技術の一つが備中ぐわである。
“備中ぐわ、中世ヨーロッパでも使えるかもしれないけど。
うーん、復讐には使えそうにないよね。”
備中ぐわを使ってトリノ辺境伯領を開墾したら、国力は増すだろう。
トリノ辺境伯家が強くなるのはいい事である。
しかし、備中ぐわを使ったらトスカーナ辺境伯家、すなわちゴットフリート3世の力も増える事になる。
もちろん、備中ぐわを秘匿すれば他領で使われるまでの時間を稼ぐことはできる。
でも、それは復讐とは言えないだろう。
理想的なのはトリノ辺境伯領で使えば豊作になり、トスカーナ辺境伯家で使ったら不作になる。
そんな技術があれば、どうなるか考えてみよう。
◆ ◆ ◆
トリノ辺境伯領を豊作に導いた技術をゴットフリート3世が苦労して盗み出したとしよう。
僕たちは白々しく「あれー、技術がぬすまれちゃったー」とか言って騒いじゃおう。
するとゴットフリート3世は、
「しめしめ、しめたものだ。 技術の隠ぺいもできない愚か者どもめ 」
とか何とか言って僕たちを馬鹿にするのだと思う。
ところが、あれどうしたことでしょう?
盗んだ技術を自分の領地で使ったら、作物が採れる量がとっても減っちゃいました。
ゴットフリート3世は地団太踏んで悔しがるに違いない。
“ざまー、みろー”って僕たちは留飲を下げることができるんじゃないかな。
それにゴットフリート3世が1年の不作で諦めるとは思えない。
「技術の使い方を間違えたのか? たまたま不作になったのか? 」とか考えて何年間も続けるだろう。
何年間もざまぁできそう。
◆ ◆ ◆
うん。いい感じだよね。
今思いつく問題点は2つ。
1つ目は、そんな技術があるのか。
これについては心当たりがある。
日本の備中ぐわのように、中世ヨーロッパで活躍した技術があるのだ。
2つ目は、ゴットフリート3世が慎重な性格をしていて、技術の導入を少しずつ進めた場合。
それを防ぐには、トリノ辺境伯領での技術導入を一斉に進めればいいだろう。
トリノ辺境伯領で一斉に使われはじめた技術なら、トスカーナ辺境伯領で使うことを
“ゴットフリート3世が大雑把、というか考えなしな性格だったらいいのにな”
という事で、まずはお母さまに、ゴットフリート3世の人となりを聞いてみよう。
「お母さま、聞きたいことがあります」
「な、なにかしら」
アデライデはびくっと肩を振るわせて驚いた。
それは言葉遣いにも表れている。
“僕の言葉のどこかに驚く要素があったのかな”
なんだか釈然としないけど、驚かせてしまったみたいなので、軽く謝っておく。
「お母さま、驚かせてしまってごめんなさい」
「いえ、いいのよ。 ジャン=ステラが急に話し始めた事に驚いただけ。
あなたは悪くないわ。それで私に何が聞きたいのかしら」
「ゴットフリート3世の性格について教えてもらえませんか? 豪胆なのか小心ものなのか 」
「そうねぇ」
さすが、母アデライデは女辺境伯なだけあって、色々な逸話を交えつつゴットフリート3世の人となりを僕に教えてくれた。
簡単にまとめると、次のような性格であるらしい。
短慮な暴れ者。それなのに小心で、自分の命が危なくなると逃げてしまう卑怯者。
しかし小心で卑怯者と思われるのを嫌い、わざと豪胆にふるまう。
あと、権力が大好き。
大分酷い言われようであるが、理由はある。
ゴットフリート3世は、先代の神聖ローマ皇帝ハインリッヒ3世に2回反乱している。
1回目はゴットフリート3世の父が亡くなったときの遺産相続で揉めて反旗を翻した。
しかし、勝てる算段もなく癇癪をおこしたような、突然の反乱だった。
反乱するとは思っていなかったハインリッヒ3世の先手をとったため、最初は威勢がよかった。
しかし、態勢を整えたハインリッヒ3世にあっさり鎮圧されて捕まった。
「反乱をおこすな、とは言わないわ。乱世ですもの。でもね、思慮深さが足りないのよ。」
子供じゃないのだから、反乱するなら落としどころを考えておく必要がある。
それ以前に、 遺産相続でもめた相手の弟だけと戦争するならともかく、なぜ神聖ローマ皇帝まで敵にまわすような振る舞いをするのだろうか。
アデライデがあきれ顔で話してくれた。
「2回目の反乱なんてもっと酷いのよ」
2回目の反乱は、マティルデお姉ちゃんの母と再婚し、トスカーナ辺境伯になってすぐに発生した。
「ドイツとイタリアの間にはアルプス山脈があるでしょう? だからハインリッヒ3世陛下がイタリアまで攻めてくるとは思っていなかったみたいなの」
4000m級の山々が聳え立つアルプス山脈を越えてドイツからイタリアへと軍隊を移動するだけでも大変である。
だから、神聖ローマ皇帝の本拠地であるドイツからトスカーナ辺境伯のイタリアまで軍隊を送ってこないだろう。 あるいはもし送ってきたとしても数が少ないだろうから勝てるとゴットフリート3世は思ったらしい。
しかし蓋を開けてみれば、怒り心頭のハインリッヒ3世が大軍を引きつれてイタリアへと進軍してきたのだ。
「そこからがまた酷いのよ。もう、最っ低の性格をしてるのがよくわかるわ。
戦っても勝てないと思ったゴットフリート3世は、妻も家族も捨てて、実家のあるドイツ北部の下ロートリンゲンに一人逃げていったのよ」
まったく恥も外聞もあったものじゃない。
逃げた結果、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ3世と対峙したのは、ゴットフリート3世と並んで共同統治者であった13才のトスカーナ辺境伯フェデーリコ・デイ・カノッサ。
マティルデお姉ちゃんの兄である。
13才の子供が歴戦の強者であるハインリッヒ3世に勝てるわけもなく、あっさり捕まったわけである。
そして、捕まったフェデーリコは獄中で若き人生の幕を閉じている。
「よくもまぁ、恥も外聞もなくトスカーナ辺境伯を続けているものよね。 私ならあんな男願い下げよ」
夫オッドーネを殺された恨みがあるとはいえ、アデライデのゴットフリート3世の評価はそれはもう酷いものだった。
いろいろと憤懣が溜まっているみたいで、アデライデはまだまだ話したりないみたい。
だけど、僕が知りたかったゴットフリート3世の性格については分かった。
『先を見通す力が弱く、短慮で事を性急に運びたがる』
これなら僕が思い出した「トリノ辺境伯領で使えば豊作になり、トスカーナ辺境伯家で使ったら不作になる」技術を使って復讐ができそうだ。
「お母さま、ゴットフリート3世の性格について教えていただきありがとうございます。」
「あら、もういいの? まだまだ話したりない気分だわ」
「いいえ、もう十分です。それよりも復讐できそうな方法があるのですが、聞いていただけますか?」
そっかぁ、あれだけ話してもお母さまはまだ話したりないんだ。
“話を聞くのも疲れるんだよ”
と内心思いながら、僕はアデライデに思いついた技術の説明を始めた。
「トリノ辺境伯領で使ったら豊作になり、トスカーナ辺境伯領で使ったら不作になる方法があるんです。これを上手くつかったら、ゴットフリート3世への復讐になると思うんです」
僕の言葉を聞いたアデライデは、背筋を伸ばし一瞬のうちに引き締まった顔になった。
「ちょっと長くて難しくなるけど、どんな方法なのか説明しますね」
◆ ◆ ◆
日本の備中くわのように、中世ヨーロッパで活躍した技術に
簡単に言うと車輪がついていて、畑を深く耕すことができる
この
深く耕す事と何がいいって?
それは中世ヨーロッパの小麦栽培法にある。
パンの材料である小麦はヨーロッパ人にとってとても重要なカロリー源であった。
しかし、畑に小麦を何年も植え続けると収穫量が減ってしまうという欠点がある。
この欠点を克服するための方法が2年に1回しか小麦を作らないという農法である。
1年目には小麦を作り、2年目は雑草ぼうぼうのまま放置する。
これを村単位で行うのが、
村の畑を二つに分けるから
片方で小麦を作り、片方は放置。
それにしてもなんで、
二畑式でいいじゃん。
昔のお偉いさんが自分の知識を自慢するために、難しい字を使ったのだって僕は勝手に思ってる。
漢字の事はさておき、深く耕す理由だったね。
2年目に草ぼうぼうになった畑は、次の年小麦の種を蒔く前に雑草ごと耕しちゃうのです。
耕した雑草は土の中で肥料になるんだけど、耕し方が浅いと芽がでちゃう。
芽が出ちゃうと、小麦畑に雑草が混ざって小麦の収穫量がへってしまう。
だから、芽がでてこないくらい深く耕すと雑草全部が肥料になって土地が肥えるし、雑草で悩まされることもなくなる。
すごいでしょ?
さらにメリットはあるんだよ。
雑草で土が肥えるから将来的には、草ぼうぼうの休耕地を2年に1回から、3年に1回に減らすことができるんだ。
これが世界史で習う
でもね、この
畑の土が乾燥するような日差しが強い土地では使えないのだ。
深く耕すという事は、表面の乾いた土地が深くに行き、深いところにあった湿った土が表面に行く。
そして、強い日差しは湿った表面の土を乾燥させてしまう。
結果的に、浅いところも深いところも水気の足りない畑になる。
植物が育つには水が必要だから、不毛の大地の出来上がり。
◆ ◆ ◆
「お母さま、お分かりいただけましたか?」
「うーん、なんとなくわかったわ。
トリノだと使えるけど、日差しが強いトスカーナ地方では使えない技術なのね」
「その通りです、お母さま」
アルプスの雪解け水のお陰でトリノの土地は乾燥しにくいとか、他の理由もあるけど些細な事だ。
それに、農耕用の馬も必要とする。
つまりお金が沢山かかるのだ。
アデライデの支持がないと僕だけでは実現できない。
「で、いかがです? 暗殺みたいな直接的な方法ではないですが、これが僕の精一杯です」
ちょっと緊張しつつ、アデライデに僕の案を使うかどうかを伺ってみる。
アデライデはあっさりと了承してくれた。
「いいんじゃないかしら。 長期戦になるけどトリノとトスカーナの差を縮めることは大切だもの。
お金の事も気にしなくていいわ。やれることから始めてみましょう」
僕のアイデアにオッケーがもらえた事は嬉しいが、それ以上に肩の荷が降りた気がする。
「ふぅー」と長い溜息が僕の口から自然と出てきた。
それを見ていたアデライデが「ふふふ」と楽しそうな笑い声をあげた。
その笑い声で僕は気づいた。
昼食後、執務室に入った時のお母さまの顔と、今の顔が全く違う事に。
復讐に燃える般若のような顔が、昔の穏やかな顔に戻っているのだ。
「お母さま、なんだか顔つきが変わっていますよ?
お父様が亡くなる前の穏やかな顔に戻っている気がします」
僕がそう問いかけると、優しい微笑みを湛えつつ内面の変化を教えてくれた。
「そうね。 あなたと話している内に、心の整理が着いたみたい。
一番大きかったのは、私の話をあなたが真摯に聞いてくれた事だと思うわ。
そして、復讐という目標に向かうのが、私だけでなくなったのも大きいのよ。
私一人でトリノ辺境伯を背負わなくていいって思えたのもジャン=ステラ、あなたのおかげ。
きっと、気負いすぎていたのね。
ジャン=ステラ、ありがとう。」
アデライデは僕をぎゅっと抱きしめ、おでこにキスをしてくれた。
暖かい何かが僕の心を満たしてくれた気がする。
暗殺とか復讐とかで冷たくなっていたって今更ながら気づいた。
赤ちゃんに転生した時から思っていたけど、貴族ってスキンシップが足りないって思う。
「これからもぎゅっと抱きしめてね」
そういう思いを込めて、僕も小さい腕でお母さまをぎゅっと抱きしめた。
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