第29話 皇帝亡き後の帝国

1056年12月上旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


母アデライデの武勇伝も一段落したので、本題に話を戻そう。


「ゴディバ夫人のお話はさておき、宮中で得られた情報を教えてもらえませんか」


僕は父オッドーネにお願いをした。


「ああ、まずは後継者だな。 予定通りハインリッヒ4世陛下が後を継がれたよ」

「つまり、神聖ローマ帝国の皇帝になったって事ですね」

「いや、違う。家督を継いでフランケン公爵位を継いだという事だ」


あれ? 皇帝だったハインリッヒ3世の後を襲ったって事は、皇帝になったって事じゃないの?

それが、フランケン公爵になったってどういう事だろう。


「ふむ、どこから話をしたものか」

父オッドーネは僕の知識に合わせるため、言葉を選びながら説明してくれた。


「ハインリッヒ4世陛下は、3年前からドイツ王位を継いでいるんだ」


自分の死後を見据えていたハインリッヒ3世は、当時3才だった息子にドイツ王の座を譲る事で後継者を指名している。

今回、継襲したフランケン公というのは、ザーリア家が直接統治している領地の地名になる。

つまり、経済基盤を受け継いだというのが、後を継いだということになる


あれ? 神聖ローマ帝国の皇帝はどうなったのだろう



「お父様、ハインリッヒ4世陛下は皇帝にならなかったんですか?」

「皇帝になるためには、教皇猊下に戴冠してもらう必要があるんだ」


神聖ローマ帝国の皇帝の位を譲る事はできない、とオッドーネが教えてくれた。

政治と宗教の間で役割分担がされているのね、そう僕は理解した。


「ハインリッヒ3世陛下が亡くなったから、皇帝がいなくなったんですよね。

 それじゃ、神聖ローマ帝国は解体ですか?」

「いやいやいや、そうはならんだろ。」


オッドーネが驚いている。 

神聖ローマ帝国が解体するだなんて事に、なぜ僕が思い至ったのか全く理解できない、という感じで首を横にふっている。


理解できないのは、僕の方も同じですってば。

皇帝がいない帝国ってなによ、それ。

いちごの入っていない苺大福と同じじゃない。


母アデライデも“しかたがない子ですねぇ” って感じで僕の方をみている。


「でも、皇帝はいないんですよね」

再度問いかけた僕に対して、オッドーネが幼子を諭すように話を続ける。


「そうだぞ、ジャン=ステラ。 

 我々トリノ辺境伯家は皇帝という地位に仕えているわけではなく、ザーリア家の家臣なんだ。

 それは、他の貴族家たちも同じこと。

 だから、これまでと変わらずザーリア家が治めている範囲が神聖ローマ帝国になる。」


なんとなく分かった。 一時的に皇帝がいないだけなのね。


「それでは、ハインリッヒ4世陛下はいつ皇帝になるんですか?」


皇帝の戴冠式をおこなえるローマ教皇は、先代ハインリッヒ3世の重臣だったウィクトル2世である。

これならすぐ戴冠式を挙げる事ができるのではないだろうか。


「いや、それがだな。すぐにはなれないんだ。

 ハインリッヒ4世陛下はまだイタリア王になっていないからな。」


ローマ皇帝になるためには、ドイツ王とイタリア王を兼務する必要があるらしい。

その上でローマに赴き、教皇に戴冠してもらわなければならない。


うーん、面倒くさいね。

軍事力で劣る教会側が、王侯の首根っこを押さえるためのシステムなんだろうけどさ。


さらに面倒な事がもう一つ。

ドイツの王は、大貴族たちと教会の司教たちの選挙で決めるという約束があるらしい。

だから、ドイツ王である事を認めてもらうため、ハインリッヒ4世はドイツ国内をめぐるのだとか。


選挙なんだから、一か所に集めて投票すればいいと思うんだけど、それじゃだめなんだって。

軍事力をもって認めさせなければならないのだとか。


それって、6才のハインリッヒ4世に可能なの?

6才の子供が軍を率いて、武勇を示す。

いくらなんでも無理でしょう。


「だから皇帝になるまで年月がかかるんだ。」

オッドーネがそう締めくくった。


なるほど、なるほど。

ようやく理解できました。


父オッドーネと母アデライデが内乱を危惧しているのは分かっていたけど、僕の想像は甘かったみたい。


「お父様、説明をありがとうございます。 それで、やっぱり内乱になりそうですか?」

そう直球で聞いてみたら、幸いな事に少し安心できる答えが返ってきた。


「いや、教皇ウィクトル2世がハインリッヒ4世の後見人となったので、当面は大丈夫そうだ」


西ヨーロッパにおける教皇の力は絶大である。

唯一信仰が許されている一神教だから、万が一にも破門されたら大貴族でも生きていくことが難しくなる。

さらに、中世の教会組織は軍隊を持っている。 

それはもう、戦国時代に織田信長を苦しめた一向一揆以上の軍隊といえる。


だから、教皇ウィクトル2世が後見人として健在なうちに内乱が起こる可能性は低そうだ。


「だがな、外敵は別だ」


神聖ローマ帝国の西側の国境は平穏である。

一方、東側は不穏な状況が続いているのだ。



ドイツ北方にザクセン大公国がある。

この大公国の沿岸部にスラブ人がたびたび攻め寄せてきているのだ。


「いまの所、撃退に成功しているが、いつまで国境を支えられるかわからない。」


オッドーネが宮殿で聞いてきた噂話では、ザクセン大公は大分劣勢に立たされているらしい。


何度撃退してもまたすぐに侵攻してくる。

どこから人的資源が湧いてくるのだろうかといぶかしむほどであるのだとか。


「スラブ人だもの、兵士は畑で採れるんじゃない?」

僕がそう冗談を言ったのだが、オッドーネとアデライデは一瞬だけ僕を見つめた後、華麗にスルーされてしまった。


空気読めなくてごめんなさい。


もう一つは、南東で接するハンガリー王国。

現国王アンドラーシュ1世の後継者をめぐって内乱が発生する兆候がある。


それはもう絵にかいたような典型的な後継者争い。


長年息子に恵まれなかったハンガリー国王アンドラーシュ1世は、弟を後継者に指名していた。

ところが、晩年になって息子が生まれちゃったのだ。


可愛い息子に後を継がせたい国王と、今更後継者を降ろされる立場になって納得がいかない王弟との間で戦いが始まる寸前だとか。


さらに国王派は神聖ローマ帝国に援助を求め、方や王弟派はポーランド王国へと援助を求めている。

外国の勢力を国内に呼び込み規模の大きな内乱になりかねないらしい。


ハンガリー王国と国境を接するバイエルン大公領の貴族達はかたずをのんで戦況を見守っているのだとか。


「トリノ辺境伯は、どちらの戦争とも関係なさそうでよかったですね。」


ザクセン公国とハンガリー王国。

イタリア北西に位置するトリノ辺境伯からはどちらも遠い。

戦火にさらされることはなさそうでほっとする。


「そうだな。だが影響が全くないわけではないぞ。 

 お前が作ったトリートメントにも影響がでているぞ」


戦争とトリートメント。

どんな関係があるのやら。


うーん、と考えてもわからない。


「トリートメントが戦争とどう関係するんですか?」

「戦争で女子供の身だしなみに注ぐ金がないと、ザクセン大公はトリートメントの購入を断ってきたんだ」


“戦争しているのに、頭に天使の輪っかを載せてる余裕はないよね。”

ザクセン大公には国境線の守りを頑張ってほしいものである。


そして、ハンガリーと国境を接しているバイエルン大公国も同じである。


バイエルン大公は皇后アグネスが兼務しているのだが、自分と家族の分しか購入してくれなかった。


もし能天気にトリートメントを配っていたらバイエルン大公国の貴族たちに愛想をつかされちゃうだろう。

そういう意味では、アグネス、グッジョブと褒めてあげるべきだろう。


“お金という意味でも、情報収集という意味でも残念だけどね”


ちなみに、トリートメントは宮廷女性の間で大好評だったらしい。

ただ1名を除いてだけど。


その1名とは、僕の婚約者のユーディト 。

彼女は僕と同い年の2才。

そりゃ、2歳児だと髪がさらつやになっても嬉しくなくても仕方ない。


“機会があったら、オッディベアを贈ってあげようっと”


ーーーーー


ジャン=ステラ マティルデお姉ちゃんはトリートメントを手に入れられそう?

オッドーネ     難しいんじゃないかな。

ジャン=ステラ  どうして?

オッドーネ     皇后のアグネス様が家族分しか購入されなかったからな

ジャン=ステラ  じゃあ、僕から贈ってもいい?

オッドーネ     ちゃんとお金を貰うんだぞ

ジャン=ステラ  えーーーーーー

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