第242話 陰謀(前編)

 1065年4月中旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ



 ドイツの動きをいち早く察知したアデライデお母様から、アルベンガへと連絡がもたらされた。


 ーー 4月5日 皇太后アグネス様、アンノ2世討伐に反対

 ーー 4月6日 シュヴァーベン大公、バイエルン大公も討伐に反対

 ーー 4月6日 トスカーナ辺境伯、オーストリア辺境伯は討伐に賛成を表明

 ーー 4月7日 ザクセン大公、下ロートリンゲン大公、中立を表明


 その内容は唖然とするものだった。

 思わずお口あんぐり。ドイツ、大丈夫か? 国内がはちゃめちゃになっていないだろうか。


「なぁ、ジャン=ステラ。なんで皇太后のアグネス様が反対したんだろうなぁ」

「ですよね、どうしてでしょう」


 僕は首を傾げつつ、アグネス様が反対する理由を考えてみた。しかし、ありきたりの事しか思いつかない。


「僕には教会を攻撃するのが宗教的に良くないって位しか浮かびません」

「そうだよなぁ、教会を襲撃したらまずいよなぁ」


 アメーデオお兄ちゃんは、教会の攻撃に反対らしい。まぁ、普通は反対するよね。宗教っていろんな意味で聖域だもの。


 それでも百歩譲ってだよ、ハインリッヒ4世がケルン大司教のアンノ2世を討伐するのはよいとしよう。


 しかし、お母さんのアグネス様が表立って反対したって事が気になるのだ。

 つまりこれって、ハインリッヒ4世がアグネス様にすら根回しをしていなかったってことだよね。


 僕も人の事を言えないことは百も承知で苦言を呈するとしたら、そうだね。

「ハインリッヒ君、根回しって大切だよ」

 今回の件で思い知るといいよ。


 それにしても、弱冠じゃっかん十五歳でドイツ王の執務を開始するというのに、ハインリッヒ4世の周りに助言する大人はいなかったのだろうか。


 あるいはハインリッヒ4世は聞く耳持たずで、諫言かんげんする人を遠ざけてしまっているのかもしれない。


暗愚あんぐ」という単語が僕の脳裏に浮かんだ。


 こんなハインリッヒ4世がアデライデお母様や僕たち兄弟の主君なのか。

 さらには次姉のベルタお姉ちゃんの婚約者なんだよね。


 神聖ローマ帝国の未来は暗いなぁ。そう思うと、ため息がでそうになった。



 そして数日後、トリノから続報が届いた。


 ーー 4月10日 ハインリッヒ4世、討伐を中止。


 どうやらドイツでの内戦は回避されたみたい。


 戦争がなくなってよかった。心の底からそんな思いが湧き出てきた。


 しかしすぐに自分の中にある矛盾に気づき、僕は自嘲じちょうの笑いをこぼしてしまう。


 だって、僕の方こそ戦う気満々なんだもの。

 今もゴットフリート3世を討つためにアルベンガの港に軍船を待機させている。


 心に矛盾を抱いてしまった僕とは異なり、報告を聞いたアメーデオお兄ちゃんは小躍こおどりしそうなくらい喜んでいた。


「よっしゃあ、これでゴットフリート3世がイタリアに戻ってくる。ようやく俺の出番がやってきたぞ~」


 アメーデオお兄ちゃんは、ギリシアの火を搭載したガレー船、そしてジェノバ、ローマ、アマルフィの海軍を率いる総大将なのだ。それなのに、かれこれ1ヶ月近くアルベンガで待機するだけの日々を送っていた。


 胸の内に鬱憤うっぷんがたくさん溜まっていたんだろうね。



 さあて、ようやくチャンスが巡ってきた。


 僕は「ぺちっ」とほっぺたを軽く叩いて、気合いを入れる。

 ここからが、本番だ。


「打倒、ゴットフリート3世!」

 僕の叫びにお兄ちゃんも呼応してくれた。

「おう、打倒、ゴットフリート3世だ」



 それなのに、待てど暮らせどゴットフリート3世を乗せた船がやってこない。


 アルベンガ沖を通るピサの船団は一隻もない。


 一週間経ってもやってこない。


 そして、アメーデオお兄ちゃんの義実家であるジュネーブ伯からも「ゴットフリート3世通過」の連絡がない。


「おっかしいよなぁ、いくらなんでも遅すぎないか?」

「ですよねぇ、どうなってるのかな」


 そして、5月に入ってすぐ、アデライデお母様から叱責された。


「髭、もうフィレンツェに戻っているわよ。あなたち一体なにをしていたの?」



 1065年5月上旬 北イタリア フィレンツェ ゴットフリート3世(60歳)


 バカの相手は予想以上に疲れるものだった。


 ドイツにおけるハインリッヒ4世の成人式を思い出しつつ、俺はお気に入りの蒸留ワイン「勇者のあかし」をのどへと流し込んだ。


 ことの発端は、ハインリッヒ4世からの手紙だった。


『俺のシュベルライト(成人式)において、ゴットフリート3世には盾持ちをしてもらう。すぐドイツに来い』


 ハインリッヒ4世から礼節も配慮もない命令があったのは成人式の1ヶ月前、2月の終わり頃。


 イタリアのトスカーナからドイツまでの距離を分かっているのか? それに冬はアルプスを越えられないんだぞ。


 1か月前に連絡を寄越すのはいくらなんでも遅すぎだろう。


 しかし、最も重要な点は時間でも距離でもない。


「おいおい、盾持ちの意味をわかった上で俺に依頼してきたのか?」


 成人式の盾持ちを務めるということは、ハインリッヒ4世の守護者を務めるという事である。


 いや、ハインリッヒ4世を守りたくないと言っているわけではない。あんな小僧でも一応、俺の主君だからな。


 だが、俺の領地はイタリアのトスカーナなのだ。確かに貧しいドイツと異なり、太陽に恵まれたイタリアはとても裕福であり、傭兵を雇う資金に事欠かない。しかし、遠い。ドイツにすぐに駆けつける事はできないんだぞ。


 ハインリッヒ4世が己の守りを硬くするつもりならば、ドイツの大公の中から選ぶべきだろう。


「だが、これはチャンスかもしれない」


 ハインリッヒ4世をうまく利用すれば、俺の故郷であるドイツに返り咲けるかもしれない。


 かつての俺は上ロートリンゲン公爵だった。それを先帝ハインリッヒ3世に剥奪はくだつされたのだ。


 今は故郷から遠く離れたイタリアにいても、おれは、おれは……。


 やはりロートリンゲンに返り咲きたい。故郷というのは、やはり特別な存在なのだと思わざるを得ない。


 ハインリッヒ4世に利用されることになろうとも、この機会を逃すまい。


 その想いを胸に秘め、ピサの船に揺られてブルクント王国のアルルへと赴き、そこからローヌ川を北上したのだ。



 だが、ハインリッヒ4世の馬鹿さ加減は俺の予想を上回った。


「ケルン大司教のアンノ2世を討伐する!」

 成人式が終わった直後、ハインリッヒ4世が宣言した。


 別に討伐は構わない、たとえそれがドイツ最大の教会であるケルンだろうとも。


 だがな、皇太后であり、今でも隠然いんぜんとした権力を持つアグネス様には話を通しておけよ!


「お前の母親だろ、この、阿呆めが」

 そんな心の声を吐露とろしなかった俺を褒めてくれ。


「ドイツにおける精神的支柱であるケルンを攻めるという蛮行、いくら息子といえども許せません!」

 必死の形相でケルン討伐をいさめるアグネス様は、直視できないほど怒っていた。

 まぁ、敬虔けいけんなキリスト教信者だったら当然の行動だろうよ。


 その後、アグネス様の取り巻きであるシュヴァーベン大公、バイエルン大公が相次いでケルン討伐の反対を表明したのも当然だったろう。


 だというのに、ハインリッヒ4世のアホたれは、全く状況を理解できていないのだ。


「ゴットフリートよ、なぜ母上は俺に反対するのだ。俺よりもアンノ2世が大切だというのか?」


 何を勘違いしているのだ、この阿呆め。

 天秤に載っているのはアンノ2世ではなく、キリスト教だろうが。


 神の子であるイエスを選ぶか、息子のハインリッヒを選ぶか、なんだぞ。


 信仰心に厚いアグネス様といえども苦悩することなく、お前に反対したわけがなかろうが。なぜそれがわからない。


「お前には人の心がないのか?」 おもわずそう問いかけたくなる。


 アグネス様は、夫であるハインリッヒ3世亡き後、どれほど心を砕いて神聖ローマ帝国を守ってきたと思うのだ。それもこれも、ハインリッヒ4世、お前に帝国を継承させるためではないか。


 まぁ、よい。愚痴はいくらでも湧いてくるが、今はこの現状をどう利用するかの方が重要だ。


 そうだな、このままハインリッヒ4世の支持を表明し、ドイツを引っかき回してやるとするか。


 内心のあざけりを隠し、あくまで真摯な忠臣を装ってハインリッヒ4世へと進言する。


「わたくしは陛下のケルン討伐に賛同いたします。


 陛下の成人式で盾持ちを務めたこのゴットフリート。シュバーベン大公、バイエルン大公の軍と戦うことになっても、陛下に指一本触れさせません」


「な、なに。どういうことだ? 俺はケルンを攻めるのであって、シュバーベンやバイエルンを攻めるわけじゃないんだぞ。なんでアイツらと戦うことになるんだ! おれはドイツ王なんだぞ!」


 おまえなぁ、馬鹿か。たとえドイツ王であろうとも理不尽な振る舞いをすれば、その地位から引きずり下ろされるに決まっているだろうが。


 それとも何か。成人して親政を始めたらドイツ諸侯のだれもが無条件に従うとでも思っていたのか?


 いや、思っていたんだろうな。


 大きなため息が出そうになるのを、なんとか食い止めるのは一苦労だった。


「陛下、戦争はお嫌なのですよね。でしたら、ここは陛下が折れてはいかがでしょうか。ケルン討伐は一旦棚上げにするのです」


「いやだ」


 いやだじゃないだろう、いやだじゃ。


 腕を組みそっぽを向いているハインリッヒ4世の横っ面を張り倒したい。

 少なくとも俺の息子がそんな口を聞いたなら足腰が立たなくなるまで鉄拳制裁をしているところだ。


「でしたら、この場にアグネス様、シュバーベン大公、バイエルン公を呼び出しましょう。理由はそうですね、陛下が『ケルン討伐は悪かった』と直接謝りたいというのはいかがでしょう?」


「なんで俺が謝らなきゃならないんだ。ゴットフリート、お前、俺を裏切る気か?」


 なんとも短絡的な言葉を口にすることよ。馬鹿で浅慮で考えなしか。


「いえ、集めた所で3人を討ち取るのです。


 邪魔者が居なくなれば、陛下が何をされようとドイツは安定します。


 アンノ2世をケルン大司教の座から追放するのも容易たやすい事でしょう」



 神聖ローマ帝国の二王国と五大公領

https://img1.mitemin.net/5m/mg/lovog5dol8ev1xfw5yu95cepglnr_uio_2ha_1po_oqs8.png



ーーーー

あとがき

ーーーー


前回の話では、ドイツ側の政治的背景がわかりにくかったかと思います。

それも含めて「戦場の霧」としていたのですが、気になる方のために少しだけ説明を書きたいと思いました。


ハインリッヒ4世が親政の初めにアンノ2世を攻撃しようとしたのは史実です。

アンノ2世はハインリッヒ4世が未成年であることをいいことに好き勝手していました。

例えば、1063年7月14日、アンノ2世は神聖ローマ帝国と王国の全収入の1/9をケルン教会に移管しています。また、ドイツの大公達の権力を抑制しようとして、諸侯の反感を買ってもいました。


そういう下地があったため、ハインリッヒ4世のケルン討伐=教会攻撃という案に賛成する諸侯が出たのでしょう。


このハインリッヒ4世の攻撃をやっとのことで思いとどまらせたのは母のアグネス・フォン・ポワトゥーでした。この件で力尽きたのか、この後のアグネスはイタリアの修道院にて隠棲生活を送り、政治の舞台から退場しました。

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