4.はじめてのPvP


 アストラル・アリーナ。

 ゲームと同じ名前を与えられた、この世界でもっとも巨大な施設。

 直径60mほどの広い円形フィールドと、それを取り囲むように観客席が高い位置に設置されている。

 そんな空間は、大勢の観客で満たされ、開戦の時を今か今かと待ち望んでいる。


 日夜トーナメント大会が開催されるこのアリーナだが、大会が無い時間帯は事前に申請すれば私闘に使ってもいいということになっていた。だがわざわざ決闘にこの場所を使う物好きは少ない。なぜなら双方の合意があればどこでも決闘は行えるからだ。


 しかし今回は事情が違う。

 ギルド『パイレーツ・キングダム』に喧嘩を売った無名プレイヤーを倒し、見せしめとするためにギルドリーダーであるエルダはこの場所を選んだのだ。

 そして有名ギルドのリーダーと、彼女に単独で立ち向かう無名プレイヤーという構図は人々の興味を引き、結果アリーナは今までにない賑わいを見せていた。


 そんなざわめく観衆の中、初心者狩りの被害者であるシオが心細そうに自らの手を握りしめていた。


「ミサキさん……」


 昨日の夜のことである。

 ミサキからのチャットをシオは自宅のPCで受信した。


『明日17:00にアリーナ来てくれない? 例のギルドと戦うことになったから』 


 その文を一度見て、意味がわからずもう一度見て、やっと内容を理解したシオは目を剥いた。

 確かに別れ際に自分を襲ったギルドの名前は教えた。だがそれがどうしてそうなるのか。いくらなんでも話が早すぎる。


『ど、どうしてそんな……戦うなんてことに』


 そこで一時の空白。

 おそらく向こうも返信内容を考えているのだろう。

 そして一分にも満たない時間の後、再び通知音。


『うーん……シオちゃんのためとか、いろいろ考えたんだけど、どれも違うなーって』

『これに勝ったってシオちゃんが怖い思いしたって事実は消えないし、このゲームをやめようって気がすっぱり無くなるわけでもないだろうし』


 確かにそうかもしれない。

 仮にあの背の高い女性プレイヤーにミサキが勝ったとして、溜飲は下がるかもしれない。だがそれだけだ。

 ミサキは続ける。


『だからどうして戦うかと聞かれれば、強いて言うならわたしのため。あいつらが許せなくてムカつくからこてんぱんにしたいって、ただそれだけ』


 なんて自分勝手な――シオはそう思った。

 露悪的なのかとも思ったが、おそらくそうではない。ミサキは本心からこれを言っていると、そう直感した。

 

『でも……あの人、たぶんすごく強いです。PKを頻繁にしてるならレベルも高いんじゃないでしょうか……』


 PKした際には獲得経験値が固定値で大幅にプラスされる。だから始めたばかりのプレイヤーをキルしても旨味があるのだ。

 それを繰り返しているとなればエルダやその取り巻きもそれなりのレベルであることは、初心者のシオでも想像に難くない。

 事実、『パイレーツ・キングダム』が有名なのはそういう理由でもあった。

 アストラル・アリーナで、現状唯一のPKギルドであることだけではなく、彼女たちの知名度は高いレベルに裏付けされている。


『たぶん大丈夫だよ。だからわたしの戦ってるところ……ちゃんと見に来てね』




 そんな会話を観客席でシオが思い返していると、アリーナのフィールドに二本の光の柱が生じた。観客が大きくどよめき、それとともに少しずつその光は薄れ――それぞれの光の中から二人のプレイヤーが現れる。


 片方は小柄な黒髪の少女、ミサキ。

 相対するは赤髪の長身、エルダ。


 観客が沸く。

 これから始まる戦いに期待をぶつける。


 ミサキは観客席を見回したかと思うとシオを見つけ、笑顔でサムズアップを投げかけた。

 どきりとしたシオ。どうしてそこまで余裕でいられるのか。

 そんなミサキへとエルダはゆっくりとした足取りで近づきつつ、


「おいおい余裕だな。心の準備はしてきたかよ、ガキ……つーかお前、武器は?」


 エルダは湾曲した短めの刀身を持つ片手剣、カトラスを右手に持ち、全身に銀色のプレートを赤いベルトで繋いだ軽鎧を身に纏っている。

 対するミサキは、素手。さらに身体を守っているのは鎧ではなく藍色のジャケットのような装束だ。下半身は短めのスカート。全体的に金属系のパーツはひとつもなく、非常に軽装。


「てめえ……勝つ気あんのか」


 エルダはあからさまに怒りをあらわにしていた。

 喧嘩をふっかけてきた相手がやる気のない(ように見える)装備で来たとあってはそれも無理がないことかもしれない。

 

「わかってんのか? 武器がないとスキルも使えないんだぜ」


 ミサキの装備に気づき始めた観客が徐々にざわめき始め、それは瞬く間に広がっていく。その中には嘲笑も多分に含まれている。


「ミサキさん……どうして……?」


 シオは初心者だが、この戦いを見に来るにあたって各種システムは調べてきた。

 このゲームでは武器が重要な役割を持つことも知っている。

 だからこそ、ミサキは武器を持って来なかった理由がわからない。

 実際には持って来なかったのではなく、なにも装備できないだけなのだが、それは知る由もないことだ。


 そして当のミサキは、この場でだれより泰然としている。


「もちろん。徒手空拳これがわたしの最強だよ」


 両手をひらひらと見せるミサキに、エルダは舌打ちをする。


「……そうかよ。で、どうする? 初撃決着ファースト半損決着ハーフか」


全損決着デスマッチ


 それを聞いたエルダは無言でメニューを開き、対戦の設定を入力する。

 すると二人の頭上に『10』という数字のホログラムが出現し、カウントダウンを始めた。


「「【インサイト】!」」


 そのカウントダウンが終わる前に、二人は同時に敵の情報を見るスキルを発動させる。対戦前はこれで相手の情報を見るのがこのゲームにおける暗黙の了解になっていた。

 とは言え対象がプレイヤーの場合、見られるのは名前とレベル、そしてクラスのみで、それ以外は伏せられている。

 ミサキのレベルは現在22。対するエルダは40を越えている。案の定、2倍近く開きがある。

 向かいでミサキの空白のクラスを見たであろうエルダが驚愕している気配を感じた。

 頭上のカウントは残り3。


 エルダは視線をステータス画面から外し、ミサキを見る――その瞬間悪寒が全身を駆け巡った。

 一体なにがそうさせているのかエルダにはわからない。目の前にはミサキがいるだけだ。自分より一回り以上レベルの低い、小柄な少女。

 ミサキはただこちらを見つめている。それだけだ。ただそれだけのはずなのに――――


(な……なんだよ、この威圧感は……!?)


 殺気、と言っても良いかもしれない。

 ただそこに立っているだけだ。ただそこに立ってこちらを見つめているだけだ。それなのに猛獣に睨まれているような錯覚を感じる。


「お前……いったいなんなんだよ」


 残り2。


「あは、なんなんだろうね」


 残り1。


「どうなっても知らねーぞ」


 残り――0。

 [START!]の文字が炸裂し、戦闘が開始した、その直後。

 エルダの視界からミサキの姿が消滅した。


「は…………」


 ありえない現象に驚愕しようとしたその瞬間、エルダの身体は真横に吹っ飛んだ。

 地面を転がり、起き上がったところでやっと自分の現状を把握する。だが、それも混乱する頭では何も理解できない。

 何も見えなくて、気がついたら吹き飛ばされていた……その事実をどう受け止めれば良いのか。

 見れば視線の先、先程までエルダが立っていた場所にミサキがいる。

 なにか知らないスキルを使われたか、と思ったがそれはない。なぜならミサキは武器を持っていないからだ。さっき彼女のクラスが空白なのはエルダも確認した。どうしてそんな事になっているのかはわからないが、それなら何も武器を装備できないはずだ。

 なのに、どうして。エルダの頭は困惑に占められていた。


 だが高い位置から見ていた観客たちは、その一部始終をしっかりと見ていた。

 

「なんだあいつ……速すぎるだろ」

 

 誰かが漏らしたその言葉は、観客全員の総意と違わなかった。

 そう、ミサキは何も特別なことをしたわけではない。開幕と同時に走り出し、弧を描くようにエルダの左側面に接近、渾身の力で蹴りを叩き込んだ、ただそれだけだ。

 しかしその一連の動きは、文字通り目にも留まらぬスピードで行われた。


「げほっ、てめえ……なにしやがった」


「次はちゃんと見ててね」


 再びミサキの姿が掻き消え、砂埃が舞い上がる。

 右か、左か、はたまた後ろか――警戒するエルダは、そこで足元から気配を感じた。下に向けた視界に黒髪が見切れるのと、鋭いアッパーをバックステップで躱したのがほぼ同時。奇跡的な回避だった。


「避けられた……」


「なんっ……だよそのスピードは!」


 ありえない、と思った。

 ミサキのようなスピード特化のキャラクタービルドは対人戦を主に遊んでいるプレイヤーの間で一時期考察された。だが、すぐに実用性なしと判断されてしまった。

 それは自分の速さを制御しきれないのが理由だ。


 確かにGPグロウポイントをSPDに多く割り振れば走行速度、瞬発力、ジャンプ力などが上昇し機動力が強化され、非常に強力だというのが初めは一般的な意見だった。しかし彼らはすぐにそれが机上論に過ぎないということに気づいたのだ。

 確かに速さは大きな武器になる。だが人間の限界を越えたスピードは、本人を振り回すものでしかなかったのだ。凄まじい速さで流れる景色を捉えるので精一杯で、戦うどころではない。


 そもそもこのゲームは、自分の身体を思い通りに動かせるようになるまで時間がかかるくらいには現実と感覚が違うのだ。利き手の反対の手で全身を操作しているみたいだ、と言うプレイヤーもいた。

 だからスピード特化――俗に『ストライダービルド』と呼ばれる型を実用化できるプレイヤーはまず現れないだろう、と。

 だが。


「速さには慣れてるんだ。一身上の都合で」

 

「……意味わかんねー」


 ミサキのスピードには、このゲームに存在する仕様のひとつ――『装備重量』が関係している。

 簡単に言うと装備の重量が機動力に大きく作用するというものだ。例えば武器以外同じ装備でも斧を装備している者と短剣を装備している者では、その速度に差が生まれる。その補正はSPDが関与する分よりも圧倒的に大きい。SPDに多く振り分けた斧持ちと、大して振っていない短剣使いでは、短剣のほうが速くなる。

 つまり、素手を強制された――逆に言えば、素手であることを許された唯一の存在であるミサキはこの世界において最速の存在になれるのだ。

 防具をできるだけ軽装で固めているのも可能な限り装備重量を軽くしておきたかったというのが理由だ。


 それ以外にも【加速ブースト】【跳躍力ブースト】など、機動力に関係するパッシブスキルには片っ端からSPスキルポイントをつぎ込んでいる。とにかく速く。それがミサキの育成方針だった。

 ……その代償として、耐久力は脆いの一言だが。


「負けねーよ……てめえなんかには絶対に!」


 吠えるエルダに、ミサキは両手を構えることで答えた。

 紙耐久&超高速。結果はどうあれ、ミサキの勝負はあっという間に決着がつくだろう。

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