97.何度目かの夜を越えて
「はい、はい。ではまた。……失礼します」
スマホの画面に表示された赤い受話器のマークをタップして通話を切ると、どっと肩に疲れがのしかかる。
自室のベッドに腰かける神谷の電話の相手は『アストラル・アリーナ』運営責任者の白瀬だった。今回のマリス事件は今までとくらべ逸脱したものだったことから報告の必要があると判断したのだ。
しかし結局、詳細なことは何もわからなかった。
回線の向こうの白瀬も途方に暮れている様子で、明らかに疲れた声やため息にこちらまで陰鬱な気分にさせられた。
わかるのはマリスをばらまいたあの黒装束の男が別の場所から転移したわけではなくあのアリーナの戦場のど真ん中に直接ログインした――ということだけだった。
このゲームにログインすると、ホームタウンの決まった地点に現れる。マイホームやギルドハウスに出現地点を設定することもできるが、例外らしい例外はそれだけだ。
つまりあの男は明らかにゲームの法則を破っている。
「推測だけならできないことはない、けど…………」
可能性はいくつかある。
だが考えれば考えるほど深淵を覗き込んでいる気分になって、思考を止めてしまう。
神谷は恐れている。この”答え”が真実ではありませんようにと祈っている。
ふう、とため息をつく。
やめよう。
まだなにもわからない段階であれこれ考えても大した意味は無い。
首を緩く横に振り、重々しい考えを頭から追い出す。
視界の端に見えた時計は23時を回っていた。
「そろそろ寝――――」
電灯のリモコンに手を伸ばしたところで止まる。
なんとなく、今日は眠れないな、眠りたくないなと思ってしまった。
かといって寝ないわけにもいかない。明日になれば当たり前のように朝が来て、登校の時間がやってくる。
神谷はスマホに何やら打ち込むと、枕だけを持って自室を後にした。
「うえるかむわたしの精神安定剤」
「いやうえるかむはこっちのセリフだけど……」
学生寮の同じ階には神谷の幼馴染である
光空も同じく寝るところだったようで、布団の中から神谷を出迎えた。トレードマークのライトブラウンのポニーテールは今は下ろされている。
メンタルの調子が寝付きにすこぶる影響する神谷はこうして誰かのベッドに潜り込むことが時たまあった。
潜り込む、と言うと語弊があるが。
とにかく。
寝付けないであろう時に一番よく頼る相手がこの光空だった。
小学生の頃に出会い、中学では離れ、高校で偶然再会した彼女は明るく、人当たりが良く、所属している陸上部ではエースと呼ばれているほどの実力者。
余談ではあるが、神谷の親戚のようなものだったりもする。
「今日もしつれーい」
「どうぞ。狭いとこだけど」
マイ枕を置き、光空が開いてくれた掛け布団にごそごそと潜り込む。
身体を横たえた布団はじんわり温かい。光空の体温だ。
「やなことでもあったの?」
「…………いろいろね。ままならないよ」
マリスのことに関してはできることが少なすぎる。
わからないことだらけでもどかしい。いかにマリスに対抗できる力があると言えどやっていることは対症療法でしかない。
大本を断たなければ、いつまでたっても後手に回るばかりだ。
黒装束の男の存在を知ることができたのは僥倖だったが、あそこまで自由に現れたり消えたりされてはどうしようもない。加えて触れることすらできないとなるとお手上げだ。
「あーそうだ思い出してきた。例のゲームでさ…………」
中断されたものの、つい最近戦った相手に負けた――と神谷は話す。
決着は付かなかったがあれは敗北と同義だ。
マリスとはまた別に、そのことも胸にわだかまっていた。
はっきり言ってしまえば、もう大して戦う理由は残っていない。
ほとんど意地と勢いで挑戦を受けただけで、今となってはどちらも残っておらず、フランと対話を終えた今となってはなおさらだ。
なのにいまだにあの敗北が滞留している。
「なるほどなるほどねー」
声が笑っているような気がして、背を向けていた身体を180度転がす。
案の定光空は笑っていた。彼女の笑顔は好きだが、この状況だとからかわれてるように感じる。
「なんなの」
「うん? 沙月はやっぱり負けず嫌いなんだなあって思ってさ」
「…………ああ、そっか」
自分は悔しかったのか。
それを認めた瞬間、すとんと胸に収まった。
あの戦いは決着がつかなかったとはいえ完全に敗北していたし、それを受け入れてはいたけれど、やっぱり悔しかったのだ。
悔しくて悔しくて仕方なかった。
「よし、そうと決まったらリベンジだね。やるぞー!」
「あはは、あんまり興奮すると寝られなくなるよ」
強くなりたい。
誰にも負けたくない。
昨日の自分を越えたい。
神谷は元からそんな少女で、ならばここでくすぶってはいられない。
信頼できる幼馴染の腕の中で少女は再戦を決意する。
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