64.無力を背負って


 真っ赤な看板にガラス張り。

 神谷と姫野の二人は宣言通り駅前のゲームセンターにやってきた。


「桃香はゲーセン行く人?」


「え、と……全然です」


「へー。じつはわたしもあんまり」


 来てみたはいいものの、姫野は浮かない表情だ。

 普段はもっと明るい子なのだが、今はつま先をじっと見つめぼんやりしている。


「……………………」


「ほらいこ。冬はすぐ暗くなるよ」


 姫野は手を引かれるままに自動ドアをくぐる。


 乗り気でないわけではない。

 ただどう身を振ればいいのかがわからないのだ。

 心ここに在らずで落ち着かない。ここにいるべきではないような気がするし、逆にこれこそ自分が望んでいたものだという気もする。


 


 一歩入るとそこは別世界のようだった。

 外の冷えた空気と反比例するように暖房が効いていて、むあっとマフラーからのぞく顔を撫でた。

 一階はUFOキャッチャーコーナーのようで、所狭しと筐体がひしめいている。

 見覚えのあるキャラクターのグッズやフィギュアなどが景品のようだ。


「じゃあわたし両替してくるね」


「あ、あの先輩。私じつは今日そんなにお金持ってきてなくて…………」


 そもそもどこに行くかも、何をするかも事前に知らされていなかったのだ。

 それに自分の口座を持っているわけでもない、バイトもしていない姫野は親からもらったお小遣い頼りで生きている。

 とは言いつつ普段からそこまで金遣いが荒いタイプではないのだが、それでも余裕を持って散財できるほどに持っているわけではなかった。


「だいじょーぶだいじょーぶ。今日は先輩持ちだよ」


「い、いやいや悪いですよ! なに言ってるんですか」


 いくらなんでも全部おごってもらうのは恐縮してしまう。

 先輩後輩の関係と言えどそこまで寄りかかるのはさすがに申し訳ない。


(…………あれ) 


 『アストラル・アリーナ』での仲間に貢いでもらう分にはなんの負い目も感じないのに、どうして神谷に対してはこんなふうに思うのだろう。


「んー……それもそっか。じゃあ今日は二人プレイできるやつだけ遊ぼうよ。それならまだ気にしなくていいでしょ?」


 よくわからない理屈だったが、にこにこ笑う神谷を見ているとなぜか食い下がる気にならず、気が付くと頷いていた。

 ちょっと待っててねー、と言い残して両替機を探しに行った神谷を見送って、ひとりになる。

 周りに目を向けると自分たちのように学校帰りに立ち寄ったと思しき高校生の集団がいたり、私服のカップルがいたり、客層は様々だった。

 自分たちはいったいどのように見えているのだろう、などと考えながらUFOキャッチャーの筐体の中の景品とにらめっこする。


「君ひとり?」


「え」 


 聞き覚えのない声に反射的に振り返ると、そこにはさわやか目の大学生風の男二人組が立っていた。

 こういうことは珍しくない。

 小柄で可愛らしい外見の姫野は外を歩いているとナンパをされることがたびたびあった。

 

 だからあしらうのも慣れているつもりだった。

 だというのになぜか身体が硬直する。喉が詰まって言葉が出てこない。

 先日ゲーム内で記憶が飛んでから少しだけ――なんというか、心が弱くなってしまっているようだった。だから神谷の前で涙を晒してしまったのもそのせいだったのかもしれない。


「俺たち二人で寂しく遊んでたんだよね。一緒に来ない?」 


「おいこら寂しいってなんだよ。楽しかっただろうがよ。というかやめろよ今時ナンパとか……怖がってんだろ」


「違うって、だってこの子がさあ――――」


「あ、う」 


 声が遠ざかり、視界が狭まっていく。

 何を言っているのか判別できない。

 身体はひとりでに震えだし、目にはみるみる涙が溜まる。


 どうしてこんなにも弱くなってしまったのかわからない。

 自らの変化にパニックになり、今置かれている現状にもパニックになり、恐慌状態に陥りそうになり、


「はいそこまでー!」


 神谷が立ち塞がった。

 身体の震えが収まって、縮んでいた視界が少しずつ戻っていく。


「お兄さんたちなんの用? わたしたち――――――――」


 何やら話しているがよく聞き取れない。

 まだ目の前の景色がガラス越しにあるようで、自分が現状を拒んでいることがわかった。


 ゆっくり一歩後ろに下がり、息を整えていると、話は終わったようだった。


「ごめん桃香。ひとりにして……怖かったよね? もう大丈夫だからね」


「せんぱい…………」


「あの二人も悪気があったわけじゃなかったみたい。ひとりですっごく落ち込んだ顔してたから気になったんだって。怖がらせてごめんって言ってた」


「…………はい」


 手の震えは収まった。

 とりあえずはもう大丈夫そうだ。喉元過ぎれば、ではないが――今考えてみるとどうしてあそこまで取り乱したのか不思議なくらいだった。


「ほんとにごめん。こんなはずじゃなかったんだけど……もし辛いなら今日はもうお開きにする?」


 明らかにしょぼくれた様子で神谷はつま先を見つめている。

 そんな顔を見ていると、胸が締め付けられるような心地がして、気付いたら姫野は口を開いていた。


「な――なに言ってるんですか、遊びましょうよ先輩。そのためにここに来たんでしょう?」


「ほ、ほんと? いいの?」 


 姫野の言葉に、ぱっと表情が華やぐ。

 わかりやすいなあと内心で苦笑しつつ姫野は頷く。

 

 自分だってこの先輩と遊びたい気持ちはあった。

 だから今日はひとまず乗ることにしようと、そう思った。


「よーし、じゃあお詫びと言ったらなんだけど、そこのUFOキャッチャーの景品を何か一つプレゼントしてしんぜよう」


「え? でもこういうのってとるの難しいんじゃないです?」


「まあまあ言うだけならタダだから」


 そう背中を押されてとりあえず周囲をぐるりと見回す。

 知らないキャラクター、知ってるキャラクターの中に紛れて目を引くものがひとつあった。

 

「あ」


「それ?」


 姫野の目に留まったのは丸くてピンクのキャラクターのぬいぐるみだった。全く同じものが狭い筐体の中に満員電車のごとく詰められている。

 特に思い入れがあるわけでもないが、なぜか目を引かれてしまった。


「やっぱ好きなんだ、ピンク」


「好きですよ。やっぱり私みたいなかわいー女の子にはよく似合うでしょう?」


「たしかにそうかもねー」


「いや突っ込んでくださいよ。自分で可愛いとか言うなみたいな」


「なんでよ。可愛いじゃん。桃香だって自分のこと可愛いと思ってるでしょ?」


 ぼっ、と姫野の顔が赤く染まる。

 なんでそんなことを臆面も無しに言えるのだ。


「せ、先輩なんか優しくないです? どうしたんですかいったい」

 

「あは、そんなことないって。……うん、これならすぐ取れそう」


「ほんとですか? 見るからにアーム緩そうですけど……」


「ふふん、まあ見ててよ」


 得意げに硬貨を投入すると軽妙な音楽が鳴り始める。

 筐体を縦と横から確認し、いざ、とボタンを押す。

 ぴろろろという妙な効果音と共にアームが移動し、ボタンを離したところでストップする。

 もう一度、次は隣のボタンを押して――――


「…………ここっ」


「ず、ずれてません?」


「たぶんいける!」


 ボタンを離す。

 アームが開き、そのまま降りて――ぬいぐるみのすぐ横に。

 しばしの停止の後アームが閉じ、上昇していく。


「ええっ、輪っかに!? えっえっどういう引っ掛かり方して、というか普通に持ち上がってません!?」


 いったいどういう原理でぶら下がっているのか、ぬいぐるみはアームによって連れ去られ――ゴールとなる穴に転がり落ちた。


「はいどうぞ」


「あ、ありがとうございます……?」


 目の前で見たはずの光景がまだ信じられなくて、姫野は首をひねりながらぬいぐるみを受け取る。

 こういうのって一発で取れるものだっただろうか。


「一時期死ぬほどやってたんだ。……まあ景品全部捨てちゃったんだけど」


 悪いことしたな。

 そう呟く神谷の表情には少しだけ陰りがみられた。

 昔の話をするとき、彼女はこういう表情をする。中学時代の話をしてくれた時もそうだった。古傷を覗き込むようなその横顔が、姫野はあまり好きではなかった。


「できれば大事にしてね」


「はい。ありがとうございます、先輩」


 もっとこの人のことが知りたい。

 そんな想いと共に、もらったぬいぐるみを抱きしめた。




 めちゃくちゃ遊んだ。

 もう時間いっぱい暗くなるまで遊び倒した。


 ゾンビを撃つシューティングゲームでは、神谷の射撃下手っぷりが明らかになったり、コインを稼ぐゲームでは逆に扱いに困るほどじゃぶじゃぶとコインが神谷に集まってきた。


 ダンスゲームは……ダンスというより、いかに効率よく正確にパネルを踏むか、という動きを神谷がし始めてしまい、凄まじく奇怪な絵面が展開されてしまった。姫野は普通に上手いダンスを披露した。

 同じ音楽関連ということで太鼓を叩くゲームにも二人で挑戦してみたが、神谷がなぜか終始やりにくそうにしていて最終的なスコアも散々だった。


 気に入ったゲームは何度か繰り返し遊んで、笑って騒いで――そんなことをしていても、姫野はどこか心ここにあらずな自分を自覚していた。

 そして、その理由はもうわかっていた。


「いやー遊んだ遊んだ。はしゃぎ過ぎて喉枯れたー」


「…………」


「どうかした?」


 俯く姫野を覗き込む。

 下から見たその顔は、決意に満ちたものに神谷には見えた。


「――――先輩。ありがとうございました。すごく楽しかったです、本当に」


 丸いぬいぐるみを抱きしめる。

 やっと気付けた。自分が本当はどうしたかったのかを。


「今日こうして部活サボって、やっとわかりました。…………私、やっぱりあのバスケ部に行きたかったんです。楽しく遊んでる時も、ずっと頭の片隅にあの体育館があって――行かなきゃって想いがあって」


「うん」


「やっぱり私はどんな形でもバスケに関わっていたいです。それに気づけました。だから私……部活に行こうと思います」


「…………うん。よかった。それがいいと思うよ」


 今日ずっと、笑っていても、楽しそうにしていても、どこか浮かない顔で。

 部活のことが気になっているのはわかっていた。むしろそのために誘ったようなものだったから。

 

「本当に楽しかったです。先輩……私、先輩と出会えてほんとに良かった……」


 一粒の涙が姫野の頬を伝う。

 月明かりに照らされるその雫の輝きが、眩しささえ感じるほどに綺麗だと思った。

 彼女の心にこびり付いていたものが一緒に流れ落ちたように神谷の目には見えた。


 


 その後電車を使って帰るという姫野と別れ、神谷は寮に向かってひとり帰路を辿る。

 

「……………………」 


 これでよかったのだろうか。

 本当にこれが正しかったのか。

 もっとうまくやれたのではないか。


 ぶるぶると首を横に振ってそんな考えを追い出す。

 そうすると真冬の空気が頭の周囲を擦り、耳が痛いほどに冷えた。


 姫野の話を聞いてなんとかしなければと思った。

 だから行動を起こした。無理矢理に連れ出して、共に時間を過ごして――気づいてしまった。

 


 Q:わたしが桃香にしてあげられることは何か?


 A:何も無い。



 本当に、何も無い。

 たったの一言でインスタントに救いをもたらせるような万能さなんて持っていない。

 今日はジタバタしっぱなしだった。アクシデントで台無しになるところだったし、そうでなくても上手く振る舞えていたか自信が無い。

 今していることが本当に正しいのか不安で仕方がなかった。


 そもそも『してあげられる』なんて言い草がこの上なく傲慢だ。いったい何様のつもりなのか。


「…………それでも」


 何もせずにはいられなかった。

 たとえ力がなくても、何かを成すことができなくても。

 少しでも彼女が前を向けたらと。

 どちらを選んでもいい、未来から今この瞬間を振り返った彼女が、できる限り後悔しないでいられるようにと思ってしまったから。

 

 だから今の神谷にできることは、姫野の行く先が明るいものになるよう祈ることだけだった。


「あーあ」


 白い溜息を胸の奥から吐き出す。

 冷たい外気に晒された吐息はしばらく宙を漂い、そして跡形もなく霧散する。

 隣には誰もいない。寒くて寒くて仕方がない。

 無力感だけが神谷のそばにいた。


「寂しいなあ」


 早く、早く。

 みんなのいる寮に帰りたくて仕方がなかった。

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