75.血霧柘榴
スズリが放った渾身のスキル、【
「いやったーあ!」
快哉を叫ぶミサキが落下し、見事な着地を決める。
その手にはスズリの六刀のうちの残りの一本が握られていた。
はいこれ、と持ち主に手渡してやる。
「さすがスズリだね。やっぱり強いよ」
「いいや、私ひとりでは勝てなかった。それに……その、あの時激励してくれてありが――――」
スズリが首を振り、礼を言おうとしたその最中。
ぐりん! と突然ミサキがその視線の先を変えた。
眼を見開き、何かをその視界にとらえようとしている仕草。
「ど……どうしたんだ」
「静かに」
端的な言葉にスズリは思わず口をつぐみ、その視線の先を追う。
ミサキが見ているのはついさっきスズリが発動したスキルでクルエドロップを打ち倒し、その残滓ともいえる大量の羽根が空中に留まっている場所だった。
いったい何が、と嫌な予感がし始めたスズリに、その『声』が届く。
「――――――――あー、おもろ」
金属同士が擦過するような斬撃音と共に、繭のようでもあった無数の羽根が横一線に切り裂かれたかと思うと、その一枚一枚が一斉に赤く染まり――そして枯れ落ちるようにして消滅した。
「生きて……っ!?」
「そんな馬鹿な!」
驚愕の色を隠せない二人に対し、クルエドロップは心から楽しそうにくつくつと喉の奥で笑う。
いくらイベント補正をかけられているとは言え、スズリの超火力を乗せた大技をまともに受けて生きているなど考えられない。そもそも対人戦で使うにはオーバーキルにもほどがあるくらいのダメージが出るような一撃だったはずなのだ。
それを証明するように、クルエドロップの着用している装備――カーディガンやシャツ、スカートといったものはあちこち切り裂かれ、その下の肌も傷だらけだ。
「まさか防いだの? あの状況から……」
「致命傷になりそうなとこだけなー」
あの瞬間。
クルエドロップは振り抜こうとした刀を、直前で、意識外の方向から弾かれたことで相当に体勢を崩していたはずなのに。
「そうは言うても、あんだけあったHPがカラッカラやわあ。もう何発も貰われへん――でもそんなことはどうでもええんよ」
笑った。
たったそれだけで周囲の空気が凍り付いたような心地がした。
まるで自分の首に毒蛇が巻き付きその牙を突き立てているような『どうしようもなさ』がミサキとスズリの二人を襲った。
相手は手負い。
数はこちらが有利。
なのにどうしてここまで気圧される?
その笑顔に。
嗜虐的という言葉が生易しく想えるほどの邪悪さを滲ませたその表情に、どうしようもなく恐怖心を煽られる。
「ミサキちゃんに嘘つきちゃん。ああ……もう最高やわ。こんな強い子らは初めてや――今まで雑魚の首ばっかりで満足しとったけど、もう無理や。あんたら見てたら辛抱たまらん」
理解が追い付かない……いや、理解してもらおうとは思っていないのだろう。
クルエドロップはこの上なく楽しそうに、サンタクロースからのプレゼントを開封する子どものような表情で、
どう見ても隙だらけだ。
この少女に確実にとどめをさせるのは今しかない。
主観的にも客観的にもそのはずだ。
だというのにミサキとスズリの足は根が張ったように動かない。
今動けば――彼女の楽しみを邪魔するようなことがあればその瞬間死ぬ。そんな確信があった。
惨殺される自身の姿がありありと浮かぶほどに。
「よっし、イベント用調整パッチ解除。やっぱああいう戦い方は性に合わんわあ。もうイベントとか仕事とか役目とか関門とか――どうでもええ。あんたらの首さえ斬れれば他はいらん」
「何を、言って――――」
「うち結構まじめに仕事してたんよ? まあ嘘つきちゃんにはキツう当たってもうたけど……でももう我慢せえへん。あんたらの首斬る感触を味わわんとどうにもならんわあ…………」
らんらんと血走る目は喜色に満ちていて、このエリアで出会ってから度々覗かせていた獰猛な獣としての本性が露わになっているとミサキは感じた。自らイベント用の強化を解除し弱体化してなお、彼女は”それ”を望んでいた。
その手で。その刃で。
目の前にいる敵の首を獲ること。
クルエドロップはそれだけを渇望していた。
明らかに常軌を逸している。
こんな欲望を持った少女がどうやって今までまっとうにプレイしてこられたのか。どうやってデバッグという仕事をこなしていたのか。
「…………聞いたことがある。このゲームには『処刑人』と呼ばれるPKがいると」
少しだけ震えているスズリは静かに口を開く。
「全くの前触れなく、突如として首が切断され、死に至る。そんな証言がときどき上がってくる。犯人は姿も声もわからない。確認する前に被害者はデスしてしまうからだ。10人のパーティがまとめて惨殺されたなんて話もあった。はっきり言えば七不思議のような、眉唾の類だと思われていたんだが……まさかこいつが……!」
「せやでー、うちがお仕事の息抜きに首を頂戴してんねん。ええよな別に。PKなんてこのゲームじゃ珍しくもないやろ?」
その時の記憶を反芻しているのか、クルエドロップは顔を赤らめ恍惚とした表情をした。
それはまるで恋する少女にも見えて――それがまた、壮絶な違和感を喚起した。
「昔っから首のなくなった人が好きやってん。頭の抜けたシルエットも好きやったけど、やっぱり断面から噴き出す血がおっきいお花みたいで綺麗でな……」
「……………………っ」
「この世界やったら首ちょんぱしても全然問題あらへんし、しかも自分の手で斬れる。さいっこうや。特に強い子、可愛い子、かっこいい子、綺麗な子なら文句ない。要するに――あんたらみたいな子」
雪のように真っ白な髪を持つ少女、クルエドロップは腰に下げた鞘に刀を収め、柄を握り、構える。
ぞわり、と。
全身が粟立つような感覚。
そして――直後、ミサキとスズリはクルエドロップの姿を見失った。
「…………っだああああっ!」
全身をべったりとした何かで舐め上げられたような悪寒――それを感じた瞬間、脳内で真っ赤なアラートが鳴り響いた。
完全に反射、掛け値なしに無我夢中――気づけばミサキは隣のスズリを全力で蹴り飛ばしていた。
「ぐうっ、なにを……、……!?」
わけのわからない行動に、ひびの入ったアスファルトに転がりつつ驚愕するスズリ――しかしその眼がさらに見開かれる。
今しがた自分がいた場所、もっと正確に言うと自分の首があった場所。そこを真っ赤な斬撃が通過するのを見たからだ。
その場所には刀を振り抜いたクルエドロップが立っていて、ミサキたちが呆然としてる間に流麗な動作で納刀する。
「…………なんでわかったん?」
横目でミサキに問うクルエドロップ。
ごくり、とミサキは思わず生唾を呑むような動作をする。蛇ににらまれた蛙の気持ちが理解できる。
危機が目前まで迫ってしまうと、ただ動くだけのことが一番難しいのだと悟った。
「わたし、が……いつも戦うときやってることだから」
上手く動かない口を使って何とか返す。
ミサキはスピードで翻弄する戦い方を好む。特に初めて戦う相手には、開幕で相手の視界から消え、不意打ちを狙うことにしている。
クルエドロップが目の前から消えた時も、感覚的にそうすると確信して動いた。まず狙う相手が、悪態をついていた相手であるスズリであろうこともわかった。
どうしてかここのところ、特に戦闘になると感覚が極めて鋭く研ぎ澄まされていくように思う。
このレースイベントが始まってからとも思ったが違うような気がする。何か別のところに原因があるような…………。
「なるほどなー」
得心がいったような声で我に返る。
クルエドロップの楽しそうな表情と、発している緊迫感がどうしても一致しない。
「うんうん、やっぱミサキちゃんおもろいわー。うちももうHPほとんど残ってへんし……死ぬ前に二人だけでも殺しとかんと死に切れんなあ!」
眼にも止まらぬ速度の抜刀――同時に刀身から噴き出した赤い血のような液体がクルエドロップを囲むようにリングを形成し、高速回転によってミサキとスズリを吹き飛ばした。
「ぐああっ!」
「がっ……これはスキル……!? いや、でも……!」
吹き飛ばされながらもクルエドロップから目を離さなかったミサキは見た。
すでに彼女は再び納刀しており、次の攻撃態勢に入っている。
「まだいくで!」
抜刀。
次はクルエドロップの身長ほどもある斬撃が三つずつ、ミサキたちに向かって放たれた。
あまりにも早すぎる。例えスキルだとして、技後硬直があるはずなのに――しかし目の前で展開されている攻撃は通常攻撃ではあり得ない。
「…………イグナイト!」
両腕のグローブから蒼炎が迸り、その推進力によってミサキの身体が急激に高度を上げる。
がむしゃらに発動したことで体勢は崩れたが、紙一重で回避できた。
ミサキの両腕に装備された防具、《アズール・コスモス》。蒼い炎をその身に宿すそのグローブは、炎をジェット噴射し空中の移動を可能にする。もちろん無制限に使えるわけではないが……。
「がはっ!」
だが、その眼下。
回避し切れなかったスズリは三つの斬撃のうちひとつをまともに食らっていた。
きわめて致命に近いダメージに思わず膝をつく。
そしてその首に、ひたりと冷たいものが触れる。
「チェックメイトってやつやなぁ?」
首に添えられた刀身がぎらりと赤く閃く。少しでも動かせば首が飛ぶ距離。
スズリは今まさに命を握られていた。
その事態に慌てて落下するミサキ――しかし高く飛び過ぎたせいで着地まで時間が要る。
「………っ」
「スキルには発動方法が二つあるんやけど知ってる? スキル名を宣言して発動する、基本のやり方。もうひとつは――スキルごとに決められた動作を取ることで発動させるやり方。
やはりさっきまでの連続攻撃はスキルだった。
しかし、あれは相当に難易度が高く実用性は乏しいと言われていたはず――そんなスズリの心情が顔に出ていたのか、クルエドロップは鼻を鳴らす。
「あんな、難しいからって最初から諦めてたらなんもでけへんよ? これでもうちは結構努力家やねん。何回も繰り返し練習して、どうしたら安定するか工夫して、そんでできるようになったんや」
おそらくクルエドロップの抜刀と納刀を繰り返す居合術スタイルがその『工夫』なのだろう。
できる限り決まった動きをモーションの前後に置くことでスキルの発動を安定させている。同じ動作を繰り返し、手に馴染ませ、意識せずとも何度でも再現を可能にしている。
自分もそうしていれば、何かが変わったのだろうか。
声に出すことを恥ずかしがった以前の自分は、そうしていれば『スズリ』は今もそばにいてくれただろうか。
「サイレントスキルは技後硬直を大幅にカットするってメリットがある。これだけでもわかるよな? うちとあんたではスキルの回転率が違う。スキルに頼らんでも強いミサキちゃんはともかくとして、あんたはうちには勝てへん」
――――この少女は、どこまでも自分の先を行っている。
異常性は確かに認められるが、それでも尋常ではないほどの戦いに対する意志の強さ。
なにより、スズリが諦めたものを持っているという点。
勝てない、と思った。
やろうと思えば周囲に浮遊している剣を飛ばし、クルエドロップに攻撃することは可能だ。しかし彼女はそれよりも早く首を飛ばしてしまうだろう。いつでも殺せるという余裕が、彼女を雄弁にしている。
実際のところスズリになすすべはない。
だが。
それでも――いや、だからこそ勝ちたいと思った。
「あああああああッ!」
「なっ!?」
突如スズリが叫んだかと思うと、横っ面を殴り飛ばされた――スズリ自身が。
その事態を目の前で見ていたクルエドロップは動揺し、硬直する。
スズリをふっ飛ばしたものは彼女自身の操る剣だった。クルエドロップが予想できない軌道で動かし、予想もしない、装備者を攻撃するという行動によって虚を突いた。
今の自分はひとりじゃない。この『スズリ』を肯定してくれたミサキという少女が味方をしてくれている。
だったら太刀打ちできる。
なにがなんでも絶対に勝つ。クルエドロップを越える。
そうすれば、『スズリ』のことをもっと好きになれるような気がした。
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