9.たべてもぐってたべてたたかって
もぐ、とマフィンにかぶりつくと甘い味が口中に広がる。仮想的に再現された感覚ではあるが、確かに美味しいと感じる。この世界において商品として成立しているというのもわかる。
それでも現実のものにはまだ及ばないけど――とミサキは唇を舐めた。
「ねえ、フランもひとつ食べる?」
アトリエのソファに身を沈めつつ、船のオールのような長い棒で釜をかき混ぜているフランへ見せつけるようにマフィンの入った紙袋を振る。
「いま調合中。あとソファに食べカスこぼさないでよね」
一瞥もせずに言うフランに対し、バーチャルなんだから食べカスなんて出ないのに、という言葉とマフィンを引っ込める。
フランとの決勝戦を終えた後、ミサキはたびたびこのアトリエを訪れていた。
とは言えなにか明確な目的があったわけではない。フランと組むことになったからと、とりあえず顔を出しただけだ。
そうしたら、ちょうどフランはなにやらアイテムを調合している途中だったので、こうして仕方なく行きがけに買ったマフィンを貪っていたというわけだ。
「ねーえ。ひま」
「んー……もうちょっとで終わるから、テーブルに置いてある地図確認しておいてくれるかしら」
地図? と思いながらソファに座りながら、すぐ近くのテーブルの上に置いてあった紙片を手に取る。
そこに書いてあるのはおそらくフィールドマップの一部。その中心には赤いバツが付けられている。これが何だというのだろうか。
「ねえ、これ……」
「あたしたちがこれから向かうダンジョンの位置よ」
調合を終えたらしいフランが近寄ってくる。
「ダンジョン? これから?」
「ええ。装備作ってあげるって言ったでしょう? それに必要な素材をここのボスが持ってるのよ」
確かにそう言っていた。
本来は優勝した場合に無償で、という条件だったのだが、引き分けになってしまったことで優勝はできず、賭けには負けてしまった。
だが引き分けという結果を鑑みて、フランが折衷案を出したのだ。装備は作ってやるが、それに必要な素材はミサキ自身が集めてこい、という話――だったはずなのだが。
「え、ていうかフランも来てくれるの? てっきりわたし一人で取りに行くものだとばかり」
「あたしもそのつもりだったんだけどね。相手が結構強いみたいで……あたしもついていかないと厳しそうなのよ」
なるほど、とは思ったが少々面白くない。
わたしじゃ勝てないということか、と内心不満を抱く。
「……そのボスってのはどんなやつなの?」
「でっかいドラゴン」
「……………………」
確かにキツいかもしれない。
このゲームにおいてミサキが今まで戦ったモンスターは、大きくても現実のクマやサイ程度だった。モチーフにしても、現実の動植物を模したと思われるものが多かった。
しかし――ドラゴンである。
ドラゴンが弱く扱われているゲームなんてそうそう無いだろう。
巨大な身体を覆う硬い鱗に鋭い爪や牙、口からは炎を吐き、雄大な翼で空を飛ぶ……そんなイメージがある。
中盤に差し掛かる辺りで戦う最初の強敵といったところだろうか。
そんな敵と今から戦うらしい。この二人で。
片や耐久ペラペラステゴロ女、片やケチな錬金術士である。
……大丈夫なのだろうか。
ダンジョンには現実のものとは思えないような光景が広がっていた。
床も壁も天井も、ぼんやりと青く発光する鉱石で構成されていてかなり明るい。
一歩踏み出すごとに、かつんかつん、という固い音が遠い奥まで響いていく。
「このダンジョンって何階構成?」
「そこまではわからないわ。ただ決して浅くは無いでしょうね」
「うえー……って、いきなり敵だ」
通路の奥から現れたのはリザードマン。
緑色のトカゲが人型になったような外見のモンスターで、剣と盾を装備しているのが特徴だ。
片手剣スキルを使ってくることもあり、なかなかの強敵。慣れてきたプレイヤーを刈り取ることに定評がある。
「【インサイト】……うげ、わたしよりレベル高い」
ミサキの20前半程度だが、このリザードマンはレベル30。
攻撃を喰らえばひとたまりもないだろう。
やはりこのダンジョンは難易度が高い。街から離れた場所に行けば行くほど強い敵が出現するというのがこのゲームの法則のひとつだ。
「ねえねえ、いんさいと? ってなにかしら?」
「え、知らないの!? ……とと!」
接近してきたリザードマンが放った剣閃をすんでのところで回避する。
それにしても、基本中の基本スキルすら知らないとは……この錬金術士は知識がかなり偏っているのかもしれない。
「おりゃあ!」
横に振り抜かれた剣をしゃがんで回避し、そこから流れるようなアッパーでリザードマンの顎を撃ち抜く。よろけたところに追撃を加えようと一歩踏み込み――そこで真横から強い衝撃。もう一体の盾による打撃で壁に叩きつけられ、一発で視界が真っ赤に染まる。HPがレッドゾーンへと突入した証だ。
そんなピンチに陥ったミサキを、フランは後ろの方から傍観している。
「ちょ……フランも戦ってよ!」
「いやよ、アイテムもったいないもの」
少し離れた後方でフランは口笛を吹いている。
確かに限られたアイテムをボス戦に温存しておくというのは正しくはあるのだが……それはそれとして納得できないという気持ちを飲み込みミサキは叫ぶ。
「じゃあ回復して! わたしが死んだらフランひとりで行くことになるんだからね!」
「死ぬってまた大げさな……でも言うとおりね」
フランはごそごそと肩から下げたポーチを探ると、その中から取り出したアイテムをミサキに向かって投げつけた。
敵の攻撃を捌きながら慌ててキャッチすると、なにやらそれは三角形で。
「……パイ?」
きつね色にこんがり焼かれたパイである。
サイズ的にはおそらく6等分程度にカットされたうちの一切れなのだろう。
これを食べれば良いのだろうか。
「もぐ、もぐ……あ、おいsにっが!」
一口目は香ばしいバターの香り。しかし二口目で飛び出した中のペーストの苦味ときたら。
草原に顔を突っ込んで貪ったときのような……いやそんな経験はしたことがないが。
「《薬草パイ》。自信作よ」
「いやなんでパイにしたの!? わー、でも回復はしてる……」
死にかけだったミサキのHPはあっという間に満タンになっていた。
このゲームも回復薬は存在する。しかし軒並み回復が遅いのだ。60秒掛けてHPの1/3を回復する《ヒールポーション》などが基本のものだ。回復はできてもピンチの最中に役立つ代物ではない。むしろピンチを脱した後の使用が想定されているのだろう。
だからこそこのパイは価値がある。
「よし、これなら!」
万全に戻ったミサキが、再びリザードマンに襲いかかった。
「ぜえぜえ……時間かかっちゃった……」
あからさまに疲れた表情のミサキの前からは、もう敵の姿は無くなっている。
リザードマンはレベル相応にHPも高く、削り切るのに時間がかかってしまった。
そんな心情はつゆ知らず、フランは一心不乱にリザードマンの落とした素材を拾い集めている。
「うーむ、渋いわね」
「ぶっとばしたい……」
これからボス戦までひとりで戦うのかと思うと気が重い。
今回の戦いで痛感したが、素手である以上敵の武器を受け止めるという選択が取れないことが思った以上に枷になっている。
特に剣を始めとした斬撃武器が厳しい。手や腕で止めようとすればダメージを食らってしまう。
「白刃取りするわけにもいかないしなあ……」
「シラハドリ?」
知らなかったらしいフランに説明すると合点がいったようだ。
「なるほどね。まあ、期待してなさい」
「……?」
何故か胸を張るフランに、ミサキは首を傾げるのだった。
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