42.パスト・ダイブ


「討伐…………」


「ああ。これを見てくれ」


 白瀬はタブレットを操作し、動画の続きを再生する。

 そこに映っているのはミサキとあのモンスターの戦いだった。


 黒い光線を放つモンスター。それをミサキが右手で受け止め、結晶化し、自らの中に取り込む。するとミサキの姿が変化し、そのままモンスターを撃破した。


「いったいどういう仕組みでこんなことができたのかはわからない。だが君にはあの謎のモンスターを倒す力があるようだ……運営の我々でも一切干渉できなかった、奴を」

 

 確かに神谷――いや、ミサキには、理屈はどうあれ特別な力が備わっているのかもしれない。

 だが、


「ちょっと気が進まないです」


「どうしてだい?」


 白瀬は意外そうに目を丸くする。

 実際、例のモンスターが出た時にミサキは身体を張って戦った。それを見たなら、ミサキのプレイヤーである神谷が正義感にあふれた少女であると思うのも無理はない。

 だが、彼女はヒーローというわけではない。

 むしろ逆だ。神谷沙月が戦うとき、その理由は自分自身に依存するものでしかない。

 

 エルダに喧嘩を売りに行った時だってそうだった。シオのためにそうしたわけではなく、気に入らなかったから戦ったのだ。その行動原理は今も変わらない。


「あの時は……友達が襲われてたから助けに入りました。それだけなんです。彼女が傷つくのが嫌だと思ったからあいつと戦っただけで、誰かのためにとかそういうのじゃないんです」


「そうか……君はそういう子なのか。いや、これは僕が悪かった」


 白瀬は申し訳なさそうに薄く髭の生えた顎をさする。

 

「もちろん報酬は用意するつもりだよ。君にはわが社の契約社員……というと堅苦しいか。まあアルバイトだ。一体倒すごとに給料を支払わさせてもらう。こうした見返りは、戦う理由になるんじゃないかな?」


「……ちなみにだいたいおいくら……?」


 白瀬が提示した額は、神谷の意志を傾けるのに十分すぎる値段ではあった。

 これじゃあフランにがめついなんて言えないな、と内心で笑う。


「というかそもそも例のモンスターってこれからも出るんですか?」


「ああ、出る。まず間違いなく」


 自身にあふれた顔で白瀬は頷く。


「根拠は?」


「例のモンスターを、できる範囲で解析してみた結果感じたのは……あのモンスターには明確な悪意が潜んでいるということだ。どこかの誰かの意志が介在している。だからきっとまた現れるだろう」


 根拠になってない、と神谷は内心で呟く。

 おそらくは言えないことなのだろう。この男は何かを隠している。それは最初会った時から感じていた。

 もちろん誰にだって言えないことはある。社外秘というものもあるだろう。だからそこをつついたりはしない。

 だが納得はできない。納得できないまま協力したくない。ただ、それに相反して、報酬があるのならやってやろうという気持ちも確かにある。

 だから神谷は落としどころを見つけたかった。これなら戦ってもいいだろう――そう思えるような落としどころが。


「戦ってもいいですけど、その代わりと言っては何ですが、質問に答えてほしいです」


「いいよ。答えられる範囲で、だけど」


「白瀬さんは、どうしてあのゲームを作ろうと思ったんですか?」


「――――――――」


 ここに来てからずっと、眠そうにゆらゆらと揺れていた白瀬の動きが停止した。

 半開きだった目蓋は面食らったように開かれ、薄くかさついた唇は逆に半開きになった。

 そうして、しばし逡巡するようなしぐさを続け――白瀬は意を決したように唾を飲み込んだ。


「友人の夢だったんだ」


「友人?」


「ああ。『人の手で新しい世界を創る』――それが彼の口癖でね」


 懐かしむような、悼むような口調で白瀬は話し始めた。

 出会った時はよくわからなかったが、今なら彼が本物の天才だったというのがよくわかる――と。


「本来なら歴史の教科書に名前が載るレベルだったんじゃないかと思うよ」


「……本来なら?」


「亡くなったんだ、彼。子どものころに」


 神谷は息を呑む。

 興味本位で踏み込んでいい領域ではなかった――憤慨しても仕方ないくらいに不躾なことをしてしまった。


「……ごめんなさい、わたし」


「ああ、いいんだ。あまりこの話はしないんだが……君にならいい。聞いてくれ」


 そうまで言われては神谷としては頷くほかない。

 無言で続きを促すと白瀬は、


「彼……蛟地みずちとは小学生の頃に出会った。近所では有名な豪邸に住む子でね、病弱だったらしく彼の姿を見るものは誰もいなかった。だけどその日は違ったんだ」


 白瀬は、もう湯気の立たない冷めたコーヒーカップを傾ける。


「僕らのグループが、いつものたまり場である公園で遊んでいた時に彼は来た。抜け出してきたと言っていた。だから仲間に入れてくれ、と。不健康な白い肌に反して活発な奴で、僕らとはすぐに打ち解けた。その時に彼の夢を聞いたんだ」


 それからしばらくの時を共に過ごした。

 彼が屋敷を抜け出して来れば一緒に遊び、逆にこちらが屋敷に忍び込むこともあった。

 いつのまにか、蛟地がグループの中心になっていた。いつか彼の夢を手伝うのも悪くないかもしれない――白瀬は子どもながらにそんなことを考えていたそうだ。


「信じられるかい? 『アストラル・アリーナ』の世界観やシステム、VRMMOに使われている、人間の感覚と意識をゲーム内に落とし込むブリッジング技術――それらの骨子は当時の彼が考案したものなんだ」


「な…………」


 言葉を失った。

 そんなことができるなら、確かにその少年は天才だ。

 

 ずっと、誰もが、ブリッジングを考案した人物が誰なのか知りたがっていた。おそらくは『アストラル・アリーナ』を作った者――つまり目の前にいる白瀬がそうなのだとばかり思っていた。


「だが彼は夢を見ることができなくなった。今でも思い出すあの日、ぼくらはドッジボールをしていたんだ」


 一度白瀬は瞼を閉じ、目頭を揉んだ。

 

「彼は外野、僕は内野だった。僕が力任せに放ったボールがあらぬ方向に飛んで行って……彼が元気よく『俺が取る!』と言ってボールを追った。そしてそのまま公園から出た直後……一瞬だった。車が横から突っ込んできて、彼は帰らぬ人となった」


「…………っ」


「目の前で友達が死んだ。それで僕らはどうしたと思う?」


「……え? それは、えっと……救急車を呼んだとか」


「いいや。そんなことはできなかった。僕らは……逃げたんだ。その光景を、その死を認められなくて、一目散に僕らは逃げた。そしてそれから二度とその公園に集まることはなくなった。表面上は何もなかったかのようにそれからの人生を過ごした」


 それでも、内には後悔とも焦燥とも罪悪感ともつかない黒い澱が溜まっていったのだという。自分たちと仲良くならなければ、彼は死ぬことはなかったのではないかという想いが。

 逃げたことで、幸いにも彼らが疑われることはなかった。屋敷を抜け出した子どもが道路に飛び出し車に轢かれた――そう処理された。


 だが、心はそう簡単には処理できない。

 白瀬はずっと彼のことばかりを考えていたのだという。

 

 そして高校を卒業した時、当時のグループを集めた。

 蛟地が残した技術を記した資料を持って。

 彼の夢を、代わりに自分たちで叶えようと持ち掛けた。


「みんな気持ちは同じだったらしく、二つ返事で着いて来てくれた。そうして生まれたのがこのパステーション社なのさ」


「ということは、案内してくれた哀神さんも……?」


「ああ。当時の友人だ」


「ならもしかして、執事服にもなにか重大な意味が」


「彼の趣味だ」


「あ、そうですか……」


 なんだよ、とがっくりきた。


「あまり面白い話ではなかっただろう。死んだ友人にいつまでもしがみついてるだけ、なんてさ。笑ってくれ」


 自嘲気味に笑う白瀬は、今にも泣きだしそうに見えた。

 贖罪、なのだろう。彼にとって……いや彼らにとって、あのゲームは。

 世界を賑わせているゲームがそんな想いに由来することも後ろめたく思っているのだろう。

 だが、


「……笑いませんよ。わたしも同じようなものですから」


「え?」


 こんなことを話すつもりは無かった。

 進んでしたい話でもないし、嫌なことを思い出すだけだし、それに憐みの目で見られるのも嫌だったから。

 

 だが白瀬は話してくれた。

 神谷の質問に、辛い思い出を開帳してくれた。それはおそらく誠意というものなのだろう。

 一回り以上も年下の子どもである神谷を、そんなふうに扱ってくれることが嬉しかったし――そして、境遇に共感も覚えた。


 だから誠意には誠意で返そうと思う。

 今こそ話そう――一年前、神谷沙月が絶望した日のことを。

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