201.Tie Break


 アトリエにはミサキ、フラン、ラブリカの三人が集っていた。

 ラブリカはマリスの出現情報マップを展開し、状況を確認する。


「また出ました。今度は二か所です」


 この作戦、ラブリカには事前に確認をしている。

 渋りはしたが、最終的に『先輩がいいなら……』と承諾してくれた。

 辛い役目を背負わせてごめん、と謝ると、お互い様じゃないですかと笑った。

 

 空中に表示されたこの世界の全体マップに、時おりマリスを示す赤い点が増える。

 今日は数が多い。いつもはすぐに倒しに行っているからそう感じるのか――とも考えたが、それだけが理由ではないだろう。

 おそらく意図あってのものだ。


 ここまでは計画通り。

 問題は……この状況に耐えられるかどうかだ。


「…………っ」


 フランの視界の端には、震えるミサキの拳が見えていた。

 唇を噛みしめ、ひたすら耐えている。

 その間にもマリスは少しずつ出現していく。このマップからではわからないが、きっと被害者も出ているはずだ。


 フランはソファに座り込むミサキの肩に手を置き、小さくつぶやく。


「……大丈夫。きっとあなたは間違ってないわ」 


 虚空を睨み付けたまま無言で頷くミサキ。

 

 彼女の考えた策というのは、マリスの出現を無視するというものだった。

 黒幕がどうしてこれだけのマリスを投下し始めたのか。それはおそらく、マリスに対抗する手段を持つミサキとフランを潰すためだ。無辜のプレイヤーを守り戦う彼女たちはマリスの出現を見過ごせない。


 だから大勢の強力なマリスを出現させれば消耗させ、最終的には無力化できると考えたのだろう。実際ここ最近マリスに殺された者は精神に多大なダメージを受けたり、最悪意識不明になることもあった。

 そんな未曽有の被害にミサキたちは黙っていられない。それが前提。

 

 しかし、だからこそそれを無視する。

 被害を見過ごす。

 守るべき誰かを見捨てる。


「きっと黒幕あいつは動く。わたしたちの動向を不審に思ってでかいアクションを起こすはず」

 

 だからこれは我慢比べ。

 こちらが辛抱できなくなってマリスを倒し始めるか、それとも向こうが顔を出すか。

 絶対に暗躍を貫き通すわけではないはずだ。だって前に一度姿を見せた時は、観客が大量に集まったアリーナのど真ん中にわざわざ出てきたのだから。


「……マリスの出現数、20を越えました……」


 わずかに震える声でラブリカが告げる。

 ミサキの肩が揺らいだが、立ち上がりはしない。


 一度自分で決めたことは絶対に折らない。

 頑固というのは大抵の場合短所になってしまうが、ここに限っては有効に働いている。


「大丈夫。今も翡翠とカーマがマリスの被害をできる限り防いでくれてるはず」


 自分に言い聞かせる。

 二人には、自分の安全を第一にしたうえで、マリスからプレイヤーたちを守るよう頼みこんである。

 危険な役割だが、二人は買って出てくれた。むしろ『ミサキが素直に頼るなんて珍しい』と乗り気だったくらいだ。

 確かに二人の言う通り、本当につらい時こそ一人で乗り切ろうとしてしまいがちだったかもしれない。

 今はそういった振る舞いが、むしろ周囲を傷つけるのだとわかって来た。


 マップに視線を投げると、マリスの数が30に達しようとしていて――そんな時だった。


「うっ……」 

 

「これって……!」


「来ました! ひときわ大きい反応です……なにこれ、マップが歪んで……?」


 覚えのある凄まじいノイズに思わず頭を抑える。

 ラブリカの指さすマップの地点には今までのものより二回りほど大きな赤点が浮かび上がり、その周囲が陽炎のように揺れていた。

 

「行こうフラン!」


「言われなくても!」


 勢いよく立ち上がり、ミサキとフランは連れ立ってアトリエを出ようとする。

 その背中に鋭い声が投げかけられた。


「待ってください」 


 心細そうに眉を寄せたラブリカが、胸元で手を握りしめている。

 思わず足を止め、しばし見つめ合った。


「絶対……絶対無事に帰ってきてくださいね! 先輩……それにフランさんもですよ! 自己犠牲とか今どき流行らないですからね!」


「ありがと。行ってくる」 


「あたしがこの子のことはちゃんと見ておくから安心しなさい」


 ミサキとフランは嬉しそうに笑うとアトリエを飛び出した。

 あの二人が笑ったところを見るのがひどく久しぶりのように思えた。


「…………がんばって」


 見送るだけしかできない自分が、歯がゆくて仕方がなかった。 




 空飛ぶゼロヨンF2に乗って、二人は歪みの地点を目指す。


「……見えた!」


「あそこね」


 近づくにつれ空が赤く染まっていく。今も各地で広がる赤い空に比べるとその色はさらに濃く、まるで血に染まったように見えた。

 目的地は――海岸エリア。その砂浜に世界を揺るがすほどの存在が現れたはずだ。


 箒に乗ったまま下を見る。

 すると、砂浜には三つの人影があった。

 二つ固まっている方はエルダとその後方にいるシオ。そしてその二人が対峙しているのは――――


「あいつ…………!」


 見たことのある姿だった。

 いや、いっときも忘れたことはない。


 近未来的なデザインのボディスーツの上にコウモリの羽根を思わせる形状のケープを羽織り、フルフェイスヘルメットのような仮面で顔を隠した黒ずくめの男。

 カンナギとの試合が決着しようとしたあの時、空間の裂け目から突如として現れ、マリスの種をばら撒いた存在。


 ミサキは勢いよく箒から飛び降りると、エルダの傍らに着地して砂塵を巻き上げた。

 

「お前……!」

 

 エルダが何やら声を漏らしたが、ミサキの耳には届かない。

 その目に映っているのは黒幕ただ一人だけだった。 


「もう、いきなり降りるなんて」


 続いてフランも箒に乗って降りてくる。

 

「おい、あいつは何なんだ。いきなり現れて……あちこちであの妙なモンスターが出てるのとなんか関係あんのか?」


「……………………」


「黙ってないで……」


「ログアウトして」 


「は?」


 有無を言わせぬ口調だった。

 いつもより低い声色。その表情を覗き込むと、今まで見たことがないくらいの怒気がミサキに宿っているのが分かった。

 これまで何度も対峙した時には見ることのなかった顔だ。


「エルダにできることないから。だから早くシオちゃんとログアウトして」


「…………ッ!」


 ミサキが何を知っているのかはわからない。今何が起きているのかも。

 しかし、自分が役に立たないと言われていることだけはわかった。もはやミサキの視界にエルダがいないということも。


 その事実に打ち据えられる中、黒ずくめの男もまたミサキたちの到来に動揺を隠しきれない様子だった。顔が見えなくても仕草でわかるほどに。

 ミサキはそれにわずかな違和感を覚えたが、怒りによってすぐに塗りつぶされた。


「わたしと戦え! 自分のしでかしたことがどういうことか、すぐに教えてやるから!」 

  

 その声に対し、黒ずくめの男は迷うような動作であたりを見回すと、背後の空間を切り裂いた。

 あの時と同じ。マリスの種を蒔くだけ蒔いてその場を去ったあの時だ。

 ミサキは勢いよく男へと駆け出す。今回は逃がさない。男が逃げるよりも早く、ミサキの手は届くだろう。


 ――――しかし。

 黒ずくめの男が放った黒い結晶体が無ければだが。


「なっ……」


 ミサキの脇を掠め、結晶体は弾丸のような速度で飛んでいく。

 それは一瞬の出来事だった。本当の意味で何が起こっていたか把握できたものはいなかったし、満足に反応できたものもいなかった。


 その結晶体は、エルダの傍ら……シオをまっすぐに狙っていた。


「…………あ」


 その声を上げたのは誰だったか。

 何もわからないまま、結晶はシオの胸に着弾した。

 エルダはそれをそばで見ていた。

 見ることしか、できなかった。


「うあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 浜辺にシオの悲鳴が響く。

 恐ろしい勢いで膨張した黒い粘液に身体が覆われて行く。


「シオ、おいシオっ! くそ、なんだよこれ――――」


「離れて!」


 ミサキは慌ててエルダを蹴り飛ばす。

 彼女まで被害を受けたら収拾がつかない。

 そのままフランを見ると、彼女は言われるまでも無く行動に移っていた。

 その視線の先にいるのは裂け目からこの場を離れようとしている黒ずくめの男。


 フランは素早く懐から取り出した極小のアンテナのようなアイテム《ゼロ・ポインター》を投擲すると、黒ずくめの男が向けた背中に付着した。

 直後、男は裂け目へと姿を消した。

 しかし赤い空が元に戻ることはない。


 混乱の中、奴が残した悪意がシオの身体を蝕んでいる。

 砂に倒れたエルダはただその光景を、唇をわななかせて見守るばかりだった。


「…………エルダ、もう一度言うよ。ログアウトして」 


「アタ、シは……」


「戦えない人は下がってて」


 冷たく言い放たれた言葉に、エルダは地面を殴りつけた後立ち上がり、ふらふらと歩いていった。

 

「……ちょっと言い過ぎなんじゃない?」


「エルダはシオちゃんのこと、すごく大事に思ってるから。あれくらい言わないとたぶん引いてくれない……それに」


 目の前で少女が変貌を遂げる。

 小柄なシオの姿はもう見る影もない。

 

 全身を強靭な筋肉に覆われた人型で、その頭部だけが人間のそれとはかけ離れていた。

 まるでヒルかワラスボのような、髪も目も鼻も耳もない顔。真っ赤な口だけが異様に裂けていて、不気味さを助長する。


「これはちょっと……見せられないな」


 とにかく、対峙してしまったからには倒さなければ。

 シオもまた、ミサキの友人だ。

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