200.前哨


「本気なの?」


 明らかに疲れた様子のフランは、信じられないような表情でそう言った。

 いつもの才気煥発な輝きが陰りを見せている。ミサキと同様――いや、もしかしたらそれ以上にマリスの対応に当たっていることを考えると当然だ。


 日曜日の朝。

 抜けるような快晴の空から降り注ぐ朝陽がアトリエに差し込み、薄暗い室内を照らしていた。

 その明るさに少し目を眇めながらミサキは答える。


「うん。これが一番いいと思う」


「…………わかってる? そんなことをしたらどれだけの被害が出るか…………」


「そうだね。確かに、効果が出るまでどれだけの犠牲が必要かわからない。最悪、成功しなかったらおしまいだと思う」


「だったら」


「でも」


 フランを見つめる。

 輝く金髪に、青空を映したような瞳。ミサキはそれが大好きだった。

 しかし今は、それらがくすんでいるように見える。


 当然だ。

 ミサキが限界だったなら、彼女だってそうに決まっている。

 悪意に押しつぶされそうになっているのだ。


 フランもまた、ミサキにとっては大切で、守るべき存在。


「最初からみんなを守るなんて無理だった。自分を犠牲にして、遠くの人たちばかり助けて……身近にいる人たちのことをないがしろにしてたんだよ」


「あなた…………」


 悲しげに笑うミサキを見て、フランは言葉に詰まる。

 それは、なにかを諦めた人の顔だった。

 そして同時になにかを決心した人の顔だった。


 諦めるということは。

 別の道へ進むと決めることなのだと――そう言っている気がした。


「わたしはわたし自身のこともフランのことも大事にしたい。だから……わたしの作戦わがままに乗ってほしい」


 そう告げて手を伸ばすミサキを見る。

 その真っ黒な瞳を、青い瞳に映す。


 相当な覚悟が必要だっただろう。

 だって”それ”は、今までしてきたことを投げ捨てるような行為だ。

 これまでの戦いを否定するような作戦だ。

 

 ……それでも。

 

 彼女の言い分は正しい。

 このままただマリスと戦っていても事態は悪くなる一方だ。

 だったらその提案に乗るべきだ……というのが建前。


 本当はミサキが身を案じてくれたことが嬉しかった。

 ミサキが、彼女自身のことを大切にしようとしてくれたのが嬉しかった。

 放っておくといくらでも自分を犠牲にしようとする子だから。

 いくら言っても、その時ばかりわかったと言って変わらない子だから。

 

 おそらく彼女がこの答えに至ったのは彼女一人の力ではないはずだ。

 それを導くのが自分ではなかったのは悔しいが……それでもいい、とフランは頷いた。


「いいでしょう、乗ってあげるわ。一攫千金といきましょう!」 

 

 ミサキの手に勢いよく手を合わせる。

 二人の心が重なった、心地のいい音が響き渡った。




 『アストラル・アリーナ』のプレイヤー数は減少しつつある――とは言ったものの、それはごく一部に過ぎない。

 マリス大量発生の前と比べると一割減と言ったところだ。もちろんそれだけのプレイ人口が一気に減少するなど、普通はありえないことではあるが、事の重大さに比べると少ないと言わざるを得ない。


 ミサキたちを始めとした事態を理解している者以外からすると、まだなあなあにできる程度のことしか起こっていないのだ。

 少なくとも当事者に――つまり直接の被害者にならなければ、怠惰に対応を遅らせる者が大半だということだ。


 信じてないようで信じていて、その上自分だけは大丈夫だと思っている。本当に自分が襲われる時まで呑気に構えていて――ただ、それだけが現存プレイヤーの全てではない。


 脅威であることを理解してなお、この電脳の世界に価値を見出す者、この世界にしか居場所がない者が確かに存在しているのだ。


「…………こんな時なのに一緒に来てくれてありがとうなのです」 


「こんな時だからだろーが」


 海岸エリア。

 珍しく曇天の中、シオとエルダはいつものようにここを訪れていた。

 別れることとなった母を思い出させる海がシオは好きだった。少なくとも、こんな状況でも見に来るくらいには。

 危険だからといつもついて来てくれるエルダには感謝しかなかった。


 シオは初心者のころ、PKギルドのリーダーだったエルダに卑劣な殺され方をしている。

 しかしひょんなことからお互いのことを深く知ることとなり、その上リアルでは教師と生徒という関係だと気づいてしまったこともあって、こうして二人で行動することが多くなった。


「たまにこうして海を眺めないと、すごく寂しくなるのです」 


「…………そうか」


 教師として、こんな個人に入れ込むことが間違いなのだとわかっている。

 しかしエルダはエルダで、リアルの海堂香澄ではない。

 だからできることはしてやりたかった。ここでは教師と生徒ではなく、友だちなのだから。


「あのよ、シオ――――」


 その心細そうな肩にどんな声をかけようとしたのか。

 自分でもわからないまま、突如として響くノイズにかき消される。

 同時に灰色の空が一瞬で赤く染まった。


「エルダさん……!」


「これはッ……!」


 初めてあの黒い存在に襲われたことを思いだす。

 あの時はまるで歯が立たなかった。

 でも今度こそは――と、エルダはその拳を固く握りしめるのだった。

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