202.Ctrl+VVV


 …………あの時のことはよく覚えている。


 真っ赤な空に背を向けて、頼りない足取りで砂浜を後にした。

 その間にも、あいつに投げかけられた言葉はぐるぐると頭を回っていて。


 ――――戦えない人は下がってて――――


 一度、立ち止まった。

 なにか。なにかできることは無いかと振り返ろうとして……できなかった。


「…………」


 身体アバターがそれを拒んでいる。

 どうしても動かない。いつのまにか手が震えている。

 

 そのことに――恐怖していることに気づいたこと、それ自体が、自らの心を折った。

 羞恥を感じるほどの弱さ。


 背後では奴らが戦っている。

 ノイズのような咆哮が響く。思わず耳を覆った。


 思い出すのはあの、タウンで黒いモンスターが襲撃してきた時のこと。

 何もできず、守るべき少女も守れず、失意のまま消えるしかなかった。

 

 ……やはり振り返ることはできないらしい。

 うつむいたまま素早くメニューサークルを操作し、ログアウトした。





 黒幕の放ったマリスの種を受けた少女、シオが変貌したのは全身を強靭な筋肉に覆われた人型のマリス。頭部はヒルかワラスボのようで、大きく裂けた赤い口以外のパーツが見当たらない。


「蜉ゥ縺代※ーーーー!」


 そんなマリスの猛攻を、ミサキとフランはひたすらに凌いでいた。


「このマリス……」


「強い……!」


 なにか特殊な能力を持っているわけではない。

 しかし、ただ強い。シンプルに。

 その筋肉質な外見に違わぬ強靭なフィジカルに任せて暴れ続ける。


 ギュ、と空間が歪むほどの勢いでミサキに接近するマリス。

 その固く握られた右手を見て、ミサキはとっさに分厚い影の壁を展開した。

 しかし、


「うあああああっ!」


「ミサキ!」


 そんな障壁は意に介さず振るわれたマリスの拳が影を貫き、ミサキを紙屑のように吹き飛ばした。

 フランは一瞬迷ったあと、攻撃を選択する。懐から取り出したブドウの房に似た形をした爆弾、《トラウブ・エクサ》をマリスに対して投げつける。

 《トラウブ・エクサ》は空中で輝き始めると、その粒のひとつひとつが連鎖的に起爆し、大規模な爆発を引き起こした。

 しかしマリスはおもむろに拳を砂浜に叩きつけると、巻き起こした衝撃波でもってその爆風を吹き散らす。


 跳ね返ってきた爆風が身体を焼くのに何とか耐え抜くが、眼前に広がった砂塵が突如として引き裂かれると、マリスがすぐ目の前にいた。

 驚きに一瞬固まったことで対応が遅れた。マリスはにたりと笑うと、フランの腹に膝蹴りを叩き込んだ。


「がっ……」

 

 瞬間、浮いた身体を、今度はハンマーのように組んだ両手が叩き落した。

 衝撃で砂浜が巻き上がり、砂の柱を数瞬の間作り出す。


(攻略法は…………)


 少し離れた位置で立ち上がりつつ、ミサキは自問自答する。

 あのマリスを倒すすべはあるのか、と。


 際立った能力でもあればそれを逆手に攻略することもできたかもしれない。

 しかしこのマリスは違う。速く、強い。その単純さは、そのまま弱点の少なさにも繋がる。

 ひたすらに考えを巡らせ、突破口を探す。


 ……だが、マリスはそれを看過しない。


「蜉ゥ縺代※」


「……ッ!」


 恐ろしい速度で突っ込んでくるその姿に思考が乱されそうになる。

 敵は強い。特にフランにとっては相性が悪い相手だろう。

 寝不足と疲労で揺らぎそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら四肢に影を纏わせ、マリスの繰り出す乱打になんとか食らいついていく。影込みでなんとか打ち合いになるレベルの威力だ。


 ここ最近、マリスと戦い続ける中でわかったことがある。

 それは、マリシャスコートを纏っているときは、精神力が大きく作用するということ。

 心の強さ、感情の高ぶり――それらが強さを決定づけてくれる。


(…………シオちゃん)


 目の前で大立ち回りを演じるこのマリスの素体にされたのはシオという少女。

 ミサキがこの世界に来て初めて知り合った、まだ幼いプレイヤーだ。

 自分を害した相手と、紆余曲折の末行動を共にすることになった度量の広い子だった。

 そんな彼女が、また。またも理不尽にさらされている。


 マリスに感染した時点で、その後の被害は避けられない。

 だが――だからこそ。できるだけ早く解放してあげなければならない。

 以前感染したミサキだからこそわかる。マリスになるというのは、壮絶な苦痛を伴うということを。


 みんなを助けるのは無理かもしれない。

 でも、身近な人くらいは守りたい。

 

「はあっ!」


 全身の影を瞬間的に膨張させ、マリスを無理やり吹き飛ばす。

 強敵を相手に、早く勝負を決める方法。そんなものはひとつしかない。

 圧倒的な火力でワンパンする。

 

「フラン!」


「……なにかしら」


 素早く駆け寄ってくるフラン。

 彼女もところどころボロボロで、ダメージの跡が色濃く出ている。

 このまま普通に戦っていたら、まずフランからやられてしまうだろう。


「今いちばんダメージの出るアイテム出して」 


「いいけど……あいつ速すぎて当てられそうにないわよ」


「大丈夫。わたしに当ててくれればそれでいいから」


「あらそう。それなら……ってなに言ってるの!?」


 突然の申し出に、隣のミサキを二度見する。

 今なんと言った? 自分を攻撃しろ?


「いいから早く!」


 その真剣なまなざしは、冗談でも何でもないということをこれ以上なく物語っている。

 マリス相手ならまだしも、ミサキを攻撃するとなると一抹の抵抗がある――が。


「後悔しないでよね」


「よしきたばっちこい!」


 マリスが起き上がりこちらへ近づいてくる。もうあまり猶予はない。

 ぐっと身構えたミサキに向かって、フランが巨大な大砲を構えると、ふわふわの金髪が大きくなびいた。


「《イラプション・ランチャー》!」


 溶岩をくりぬいたようないびつな大砲から、腹の底まで響くような轟音が炸裂した。

 発射された何発もの火山岩がミサキを襲い、そのすべてが見事に直撃。大爆発を巻き起こした。

 自分でやっておいてなんだけど大丈夫なのかしら、とフランはその身を案じ始め――そこで。


 爆風を吹き散らすようにして、漆黒の閃光が溢れ出す。


「来たれ、寂寞満たす漆黒よ――――」

 

 全身焼けこげたミサキが現れる。

 その起動コードによって、両手に黒いエネルギーが充填されていく。

 

 グランドスキル。

 ゲーム中最高レベルの威力を持つその技の発動条件は、時間経過に与ダメージ……そして、被ダメージ。

 つまり、ミサキの狙いはフランに攻撃してもらうことで無理やりゲージを溜め切るということだった。


「蜉ゥ縺代※…………!」


 その脅威を悟ったのか、マリスが恐ろしい勢いで迫りくる。

 しかしそれよりもミサキの方が速かった。


「【ダークマター】!」


 両手から放たれた膨大な漆黒がマリスに直撃する。

 その強靭な両腕で押しとどめようとして――ちぎれ飛ぶ。

 圧倒的な質量がマリスを飲み込み、その身体をバラバラに破壊した。


「き、きつかったー……」 


 あちこちに飛び散った、粘液のようなマリスの身体を前にミサキは崩れるように座り込む。

 アバターのそこかしこが痛むし、疲労感でもう動きたくない。


「無茶なことしすぎよ」


「だってさあ」


「もう二度としないからね、あんなこと」


 味方を攻撃するというのは、わかっていてもやりたくない。

 確かに逆の立場だったら割り切れそうにもないなと反省した。

 それでもその時はそうするしかないと思ったのだ。


「まあまあ、倒せたんだし良かったってことで。……早く他のマリスを倒しに行かないとね」


「そうね。手分けして……、……ッ!」


 フランが杖を構えなおす。

 明らかに動揺した様子に、ミサキも同じ方を見ると、その理由がわかった。

 その視線の先では信じられないような光景が展開されていた。


 今倒したばかりの飛び散ったマリスの身体――それらが集まっていく。

 あちこちで寄り集まって、膨張して、輪郭を形成していく。


「…………」


 絶句するしかなかった。

 ミサキたちの見ている前で、それは出現した。

 

 さっき倒したはずのマリスが復活してしまった――しかし、それだけではない。

 その数、三体。

 まったく同じ外見に同じサイズ。一体でも手を焼いた敵が、三倍に増えていた。


 マリスはその大きく避けた口を歪め、ニタニタと笑う。

 倒しても分裂復活する敵――そんなものをどうすればいいのか。

 ミサキたちは途方に暮れるばかりだった。

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