184.潜水森林シーカー


 なんだかいろいろとどうでもよくなってきたなあ、とミサキは内心で呟いた。

 というのもこの森林エリアを舞台に始まった鬼ごっこはカゲロウと時雨の喧嘩を止めるために割って入ったのがきっかけに勃発したものだ。

 

 なのにあれよあれよと逃げる役に抜擢されてしまった。

 それならそれでと切り替えて、二人の鬼を倒すことでノーゲームにしてしまい喧嘩を終わらせようとしたのだが、先ほどまでのカゲロウとの戦いが楽しくて、だんだんと当初の目的がミサキの中で薄れつつあった。


 ここ最近抑えようとした反動か、ミサキの戦闘狂な面が今までより露出しやすくなっている。


「さて、あの時雨って人はどこかな」


 目を閉じ、耳を澄ましてみる。

 そよ風に木々が揺れる環境音に紛れてプレイヤーが出す音――例えば草を掻き分ける音などが混ざっていないかを聞き取るため神経を尖らせる。

 クルエドロップのような【地獄耳】とはいかないが、それなりの範囲に聴覚が行き渡っていく。


 ちゃぷん。

 ちゃぷん。

 ちゃぷん。


「…………?」


 ごく微かな水が跳ねるような音が耳朶をくすぐった――正確にはアバターに搭載された聴覚をだ。

 とにかく、水音がした。しかも思いのほか近くから。


 森林エリアに川はあっただろうか?

 あったような気もするし、無かった気もする。

 曖昧な記憶を呪いつつ、しかしミサキは直感する。


 殺気。

 を。


「――――ッ!」 


 振り向きざまに放った裏拳が剣とぶつかり弾き合った。

 視界には大量の水滴が舞い、その向こうには細身のロングソードを持った線の細い男……時雨がいた。

 ぞく、と背筋が冷たくなる。

 勘に任せて動いていなかったら今の一撃でやられていた。


「まさか今のを防ぐとはな――半端な不意打ちではなかったはずだが」


「わたしもびっくり」


 ばしゃ、と水滴が地面に落ちる。

 濡れた地面はその色を変え、すぐに元に戻った。


 いったいどうやって至近距離まで近づいてきていたのか。

 その答えはすぐに明かされることになる。


「《サブマリンシーカー》」


 その剣の銘を口にし、切っ先を大地に突き立てたかと思うと、時雨の身体が沈む。

 とぷんと石を水面に投げ入れたような静かな音だけを残し、時雨は完全に姿を隠した。


「沈んだ……というよりは潜ったって感じだった」


 再び森に静寂が満ちる。

 水音もしない。

 おそらくゆっくりとなら音を立てずに移動できるのだろう。


 どこから来るかわからない。

 まずは死角を潰そうと、ミサキは周囲を警戒しつつおそるおそる後ずさりし近くの木に背中を預けた。

 だが。


「そう来るだろうと思ったよ」


 ずるり、と。

 ミサキの頭上、木の幹から上半身だけ這い出てきた時雨の剣がミサキの首を狙う。

 

「いいいぃ!?」


 素っ頓狂な声を上げながら両腕のグローブでガードする。

 首すれすれのところで防いだので、むしろ自分で自分の首を絞めているようにも見える。

 ぎちぎちとせめぎ合う力。

 時雨としても無理のある体勢で力が入りにくいのか、これ以上は押しきれそうにない。


「……埒が明かないな。ならば」


 頭上の時雨のシルエットが崩れた。

 ばしゃん、と水音を立てて――彼自身が水塊に姿を変える。


「な――がぼっ!?」


 時雨そのものの水塊がミサキの全身を包み込む。 

 もがいても掴むものが無く、抜け出すことは敵わない。

 そしてこのゲームには窒息死が存在する。水中に何の補助もなく居続ければHPが減少し始め、やがては死に至る。


『悪いが確実に勝たせてもらう。あのバカに負けるのは気分が悪いからな』


 素手の上にスキルもないミサキにはこの状況を打開するのは難しい。

 底なし沼に落ちてしまったかのような状況。

 苦しいわけではないがみるみるHPが減り、すぐに視界のふちが赤く染まり始めた。危険域に到達した証だ。

 

 確かに強力な技だ。

 本来ならここで負けていただろう。

 だが、


「(イグナイト!)」


 両腕のグローブから蒼炎が迸る。

 そのまま両手を真後ろに向けると、炎の推進力で一気に水中から飛び出した。


『なに!?』


 驚愕する時雨の、液状となった身体から脱出したミサキは勢いのまま地面に転がり、起き上がる。

 ミサキのグローブである《アズール・コスモス》は、その両腕から有限の蒼炎を噴射することができる。

 攻撃判定こそ存在しないものの、無理やり軌道を変えたり、ごく短時間ではあるが空を飛ぶことも可能な装備だ。


「死ぬかと思った……!」


 はあ、とひとまず息をつく。

 その目に映る時雨は身体を元に戻すと剣を軽く振るった。

 

「しぶといな……【アクア・ヴァイパー】!」


 今度は時雨の長剣が液状化した。

 鞭のようにしなる刀身は不規則な軌道で荒れ狂い、ミサキを狙う。


「くっ」 


 跳び、転がり、空間を掌握する水鞭を掻い潜る。

 恐ろしいほどの攻撃範囲だ。ミサキのHPが残り少ないことを鑑みて、威力よりも当てやすさを優先したのだろう。


「さあ、今回は勝たせてもらうぞカゲロウ!」


 時雨は勝ち誇ったように――すでに勝ちも同然だというように笑みを浮かべている。

 確かにこの攻撃に対処するのは不可能に近い。

 ある程度食らうことを前提にしていいならまだやりようもあるが、HPが風前の灯火となった今では厳しいものがある。


「…………こっち見なよ」


 ――――ただ。


 これもやはりミサキが相手でなかったら、ではあるが。


「ッ!?」


 目を見開く時雨。

 理由は単純、敵である少女が視界から消えたからだ。

 この広範囲を薙ぎ払い続ける水鞭の乱舞から逃れたとでもいうのか。

 ありえない。


 そう思ったのもつかの間、胸元に衝撃を受けて後方に吹っ飛んだ。


「が……っ」


 ゆっくりと流れる景色。

 その中で見えたのは拳を振りかぶるミサキの姿。


 確かに【アクア・ヴァイパー】の範囲は非常に広い。

 だが、高い洞察能力と反射神経、そしてスピードを兼ね備えたミサキにとってはくぐり抜けられない包囲網ではなかった。


「戦うときは相手の顔をちゃんと見な……さい!」


 連続する打撃音。

 マシンガンのような速度で連射された拳が、時雨のHPを削りとっていく。

 そして放たれる最後の一発。力強くその手を握りしめ、振りかぶって真っすぐにぶつけ――――


「え?」


 その直前。

 きぃん、と時雨の長剣が輝くのが見え、ミサキの拳は何も捉えることは無かった。

 

 いや、正確に言えば。

 水を貫いた。

 直前で液状化した時雨を貫いたかと思うと、その身体が飛沫となって四散した。

 動揺するミサキの背後で飛び散った水滴が集まると、再び時雨の身体を形成する。


「悪いが、僕はカゲロウより強いぞ」


 変幻自在に姿を変える水の剣士。

 その刃がミサキを襲う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る