185.赤鬼と青鬼
液状化して襲い掛かってくる時雨。
背後から振り下ろされたその剣に対しミサキは、
「はいっ!」
とっさに逆立ちの要領で、踵で思い切り蹴り上げた。
乾いた金属音を響かせつつ長剣は跳ね返され、時雨は腕を高く掲げた体勢となる。
あわよくば剣を手から弾こうとしていたミサキは小さく舌打ちするが、とりあえず難は逃れたので素早く距離を取る。
「…………厄介!」
液状化する身体。
突き詰めると手足による打撃しか攻撃手段を持たないミサキにとっては非常に厳しい能力だ。
だがきっと突破口はある。このゲームをこれまでプレイしてきた経験上、本当の意味での”詰み”は無い気がしたからだ。
「何度でも殴る!」
ミサキは再び地面を蹴り、接近しようと試みる。とにかく近づかなければ始まらない。
きっと無敵ではないはずだ。攻撃して、あの液状化の弱点を探る。
「ふん、やってみるといい」
よほど自信があるのか迎撃の気配すら見せない時雨。
お望みどおりにとばかりに肉薄したミサキは拳を振るうがやはり捉えられない。
身体に触れることはできるものの、その瞬間飛沫となって飛び散ってしまう。
「【スクリーン・シェイド】」
その声に呼応した水飛沫は光を放ちミサキの周囲三か所に集まったかと思うと、三体の人型を作り出した。
水面のように揺らぎ輪郭は不確かだが、それぞれが時雨を模した姿だ。
彼らはそれぞれ握りしめた長剣を構えた。
『さあ』『いい加減』『諦めろ!』
水中のように妙な反響をする声と共にミサキを囲む三体の水分身がそれぞれ剣を振るう。
恐ろしい密度の剣閃。しかしミサキはそれを的確に弾き、かわし、捌いていく。
息もつかせぬ連撃をただのひとつの傷も無く凌ぐその光景はきっと、はたから見れば異様に映っただろう。
(きっつい…………!)
息もつかせぬというのは誇張でも何でもなく、呼吸をする暇すら惜しいほどに追い込まれていく。
目で見て、音で聴き、勘で判断し、斬撃の牢獄で生存する道をひた走る。
これが本当に分身であったなら、ミサキはあっという間に切り刻まれていただろう。
しかしこれは人間がアバターを自分の身体と同じように動かすゲーム。
つまり三体を同時に操作するなど土台不可能。
だからきっと本体以外はある程度自動操縦だと判断した。
『どう』『して』『当たらない……!?』
驚愕の声を上げながら剣を振るう時雨。
その声でミサキは判断する。最初の『どう』を発した個体が本体だと。
そして、他の分身は本体からわずかに遅れて連動するような動きを見せていることも。
目で見て判断する力――洞察力に極めて優れたミサキにとって、同じ攻撃を続けるというのは突破口を見つけさせることになってしまう。
(本体がああして剣を振ると他のはこうやって攻撃して――うん、”わかった”)
ここで三体の剣が完全に空を切った
唐突にべったりと地面に伏せたミサキの頭上を通過したのだ。
初めて同時に、完全に回避されたことで思わず目を見開く時雨。その隙を逃さずカポエイラのような動きで逆立ちし、両足をプロペラのように回転させ三体の時雨を薙ぎ払う。
「ぐうっ!?」
二体の分身は吹き飛び、それに伴って本体が実体を取り戻す。
手ごたえがあった。ダメージも通っている。
やはり常時発動ではない。
「もしかして攻撃中は液状化できないとか、そんな感じかな」
「なぜわかった?」
「いや、わりとあてずっぽうだったんだけど……」
「……しまった」
賢そうな見た目なのに、意外と素直なのだろうか。
根っこはあのカゲロウと似ているのかもしれない。
「だがこの
時雨はおもむろに剣を地面に突き立てると、スキルの起動コードを叫ぶ。
「【ハイドロ・ハザード】!」
その声と共に、あちこちの地面から間欠泉のごとく水が勢いよく吹き出し始める。
ミサキは足元の兆候を察知し飛びのくと、立っていた場所から水柱が噴き上がった。
「さあ、逃げ場はどんどん無くなっていくぞ。これで僕の勝――――」
勝ち誇ろうとする時雨を遮るように、それは灯った。
黄金の光。ミサキの全身から溢れ出すまばゆいオーラが、時雨の口を塞いだ。
グランドスキルの発動が可能になった証だ。
「この手に宿るは創星の輝き」
起動コードともに右手を掲げると、宇宙そのものがその手に収束し、輝く白光へと姿を変える。
その手を腰に構え、駆けだした。
「【ビッグバン】」
駆ける白い彗星がいくつもの水柱を裂く。
ただまっすぐに。ひたすら一直線に。最短距離で敵を討つ。
ミサキの拳が時雨に触れた瞬間、森林全体を飲み込んでしまいそうなほどの大爆発が巻き起こった。
「…………正直、侮っていたんだ」
敗北し、倒れた時雨はぽつりと呟いた。
「
「今度からは最初から全力出すことをおすすめしとくよ。……それで、鬼ごっこはわたしの勝ちでいいよね」
「そういうルールではないが……まあいいだろう」
時雨は何やら苦笑しつつ目を細めると消滅した。
とりあえず、これで二人ともを打倒したという形になる。
「よし。何はともあれ鬼ごっこ攻略完了!」
のびのび戦えて満足したミサキは、悠々とタウンへ帰還するのだった。
さて倒した二人はどうしてるかな、と適当にタウンをぶらつくミサキだったが、案外彼らは早く見つかった。
というのも目立つからだ。アトリエにいるとき以外はタウン外に出ていることが多かったとは言え、どうして今までこんな人たちを知らなかったのか不思議で仕方ないくらいに。
「俺の方があいつのHPを多く削った!」
「最初にやられたお前の負けだ!」
「…………」
案の定というかなんというか、またやっていた。
たぶんいつもこんなふうに喧嘩ばかりしているんだろうなと理解する。
周りで各々のリーダーを宥めているギルドメンバーたちも辟易しており、さすがにかわいそうだとミサキも割り込む。
「ちょっとちょっと、なんでまた喧嘩してるの」
「「だってこいつが!!」」
きーんと響く大音声に思わずたじろぐと、バンダナを巻いた男性ギルドメンバーが近寄り耳打ちをしてきた。
「すんませんほんと……ほっとけばそろそろ落ち着くと思うんで」
「でも……」
ほんと大丈夫なんで、と言い残してまたリーダーを宥める作業に戻る。
困惑しながら言う通りに一歩引いてしばらく見守っていると、唐突に時雨の方が身を引いた。
「おい、そろそろ戻るぞ」
「ああ? なんでだよ。決着付けねえと――――」
「特売が始まる」
「マジか。じゃあログアウトだな」
一瞬で喧嘩を止めた二人はミサキに視線を投げる。
まるでさっきまでのやり取りが嘘だったように。
「おい、ありがとな! 楽しかったぜ!」
「また機会があれば勝負してくれ。今度は僕が勝つ」
「ええ……? う、うん……」
ひたすらに困惑して首を傾げるミサキ。
そんな彼女を置き去りに、カゲロウと時雨は連れ立って歩いていく。
「とりあえずギルドハウス戻ってアイテム整理してから戻るわ」
「僕もそうするよ」
「そうだ、今日は買い物手伝ってくれよ。好きなもん作ってやるからさ」
「構わない。そうだな……麻婆豆腐にしてくれ」
「了解。……明日って二限からだっけか?」
「一限からだ。そろそろ自分の時間割くらい覚えたらどうだ。だから僕がいつもわざわざお前を起こすことに――」
「わかったわかった、悪い悪い」
「本当に悪いと思っているのか? だいたいだな、お前はいつも適当過ぎるんだ」
「お前が細かすぎるんだよ!」
わいわいとやり取りを――明らかに仲睦まじそうな会話を繰り広げながら遠ざかる二人を、ミサキは呆然と見送った。
いったいどういうこと……? とハテナマークが脳内に乱舞する。
すると、さっきのバンダナ男がまた話しかけてきた。
「……あー、まああんな感じっす。どうもリアルでルームシェアしてるっぽいんすよね、あの二人」
「ああ……喧嘩するほど仲がいいってやつだね」
「それっすね。まあそういうことなんで、これからリーダーたちが喧嘩しててもほっといていいっすよ。どうせすぐ仲直りするんで」
「そうするよ……」
なんだかどっと疲れた。
仲良く言い争いする二人の背中を見て、ミサキは「一生やっててくれ」とため息をつくのだった。
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