217.7th Heaven
雪山の頂上、その上空。
黒幕の召喚した逆さまの火山が噴火し、直下へ紅蓮の奔流を吐き出した。
「自分だけ引きこもって……!」
黒幕自身は破壊不能オブジェクトで作り出した即席シェルターに身を隠し、溶岩から逃れる腹積もりだ。
対するミサキはまるで対抗策がない。
粘つく溶岩は山頂の中心に落ち、そこからとてつもない勢いで勢力を広げ始めた。
まるで水害。
なすすべは無く、飲まれれば溺れることすら生ぬるい結末が待っている。
進行速度は速くはない……が、遅いとも言えない。
それなりに全力で走り続けないと追いつかれてしまうだろう。
だからミサキは黒幕に背を向け、とにかく逃げることにした。
火山から注がれ続ける溶岩は終わる気配を見せない。
ならば今はとにかく逃げて時間を稼ぐしかない。
「ほんと滅茶苦茶やってくれるね!」
背中に文句を投げつけながら走り出す。
この上書きされた雪山エリアがどの程度元を再現しているのかはわからない。
しかし、積もる雪の上を走っても、いつものように雪や土が舞い上がらないところを見ると、見た目だけのハリボテに近いらしい。
最悪パンチで地面をめくり上げて壁にするという手も考えていたが、その腹積もりは潰えた。
「さっきみたいに引きこもられたらマップ切り替えさせる手も使えないし……」
坂を滑るように降り、雪をかぶった木々の隙間を抜け、そこで。
ミサキの足が、止まった。
「…………え?」
いや、正確に言うと足は止まっていない。
止まっているのは、ミサキの走行だ。走っているのに進めない。全力で駆けても周囲の景色が止まったままだ。
何かにぶつかっているわけでもない。ちゃんとその先の道が目に見えている。
なのに、まるで透明な壁でも置かれているかのように、それ以上先に行けなかった。
「まさか……上書きしたのはここまでってこと!?」
見えるだけで、それ以上のマップデータがここにはない。
だから行けない。どれだけ走っても、これ以上進めない。
なぜなら存在しないから。
思わず背後を見る。
溶岩の波は木々をなぎ倒しながらすぐそこまで迫っている。
避けられない。
「こんなところで……!」
あと一歩だったのに。
もう少しであの黒幕に手が届いたのに。
まだ顔面に一発入れただけだ。それくらいじゃこの怒りは収まらない。
だがどれだけ悔恨を募らせようと、超熱の災害に感情は無く、無慈悲に少女を飲み込もうとしている。
(だめなの?)
どうしようもない状況に、せめてもの抵抗として目を閉じようとしたとき。
ミサキの耳に、切迫した状況には似合わない軽やかな電子音が届き。
直後、少女の小さな身体に赤い津波が襲い掛かった。
数分後、山頂は冷え固まった黒い溶岩に占拠されていた。
その中にぽつんと立つ、箱型のシェルター。
それは前触れ無しに消滅した。
「――――――――」
上空の火山は役目を終えたからか跡形も無く霧散する。
その様を見上げていた黒幕はひとつの言葉を零すことも無く肩と視線を落とす。
夕日を受けて美しく輝いていた雪の山頂。それは今や漆黒のカーペットで覆い隠されている。
ふと気づく。
新たな大地となった溶岩の上に、薄く霜が降りている。そこにわずかな違和感を覚えた。
ここは雪山エリアだが、それを模しただけに過ぎない。それに本物だとしても――こんなに速く寒さの影響が出るだろうか、と。
だが、いずれにせよこれで終わりだ。
あの圧倒的な溶岩流から逃れることなど不可能だ――そう断じた。
どういう理屈でこの部屋の接続を遮断しているのかはわからないが、所有者が死んだ以上はその効力も切れているはず。
だから一度リアルに戻って仕切り直せばいい。
そうして空間を裂く手刀を掲げた瞬間だった。
「…………?」
ひやり、と。
足元にあるはずのない冷気を感じた。
再びゆっくりと視線を落とすと、さっきの霜がより濃く、その範囲を広げていた。
いや。見る見るうちに勢力を拡大し、それは薄氷となり黒幕の黒い靴を凍てつかせている。
「勝った気でいた?」
姿は見えない。
その声は遠く、しかし鮮明にバーチャルの聴覚を揺さぶった。
続き、足音が響く。乾いた薄氷を踏み割る音だ。
その少女は姿を現した。
ゆっくりと、しかし確実に歩を進め、山頂へと足を踏み入れる。
その姿は先ほどまでとは様変わりしていた。
この冷気。源はその脚に装備された純白のブーツだ。
《プリズム・ブリザード》。前身は《白雪草》から作った《プリズム・ホワイト》。
バージョンアップ版であるこの装備は元の性能の全てを大きく上回った上で、さらに《白雪草》に込められた冷気の力を操るスキル【六花氷晶】が備わっている。
「ここはね、思い出の場所なんだよ」
ミサキは大切なものをしまった宝箱を開けるような面持ちで呟く。
この雪山エリアを初めて訪れたのは、依頼を受けてのことだった。
吹雪の中、些細なことでフランと喧嘩して突き放されて、どうしていいかわからなくなって。
その時はまだ契約上の関係だった。アトリエを盛り上げるため協力する代わりに装備を提供するというギブアンドテイクの間柄。
『あたしとあなたはこれで無関係。だからあたしを気にする理由もない。そうよね?』
『……今まで振り回して悪かったわね』
それでもミサキは彼女といるのが楽しかった。
だから、この繋がりを離しては駄目だと思った。
離したくないと、思った。
『フランがわたしをどう思ってるのかは知らないよ。でもわたしは友達だって思ってるから。だから仲直りしたかった』
そして二人で道を塞ぐ強敵と戦って。
『――――フランはわたしを見つけて、それで組もうと思ったんでしょ!? だったら……だったら、わたしと付き合っていくつもりがあるなら利用するくらいの覚悟してよ!』
『それくらいで怒ったりしないし嫌いになったりしない! ひとりにだってしない! 落ち込んでるなら話せばいいし辛いなら愚痴ったっていい! それが友達でしょうが!』
……今から思い返すと少し恥ずかしいが、あれが掛け値なしの本音だった。
あれが無かったらどうなっていただろうか。
フランが隣にいないのは、もう考えられない。
「ここだけじゃない。このゲームには思い出がいっぱいあるんだ」
少し前、溶岩に飲まれる直前のこと。
切迫した状況、死をもたらす波が目前に迫っている状況で届いたメールを、ミサキは確信を持って開封した。
思った通り、それはフランからのもの。添付されていたのは二つの新装備。《プリズム・ブリザード》と《シリウスネビュラ》だ。
そしてメール本体の文面は簡潔だった。
『勝って』
その三文字で簡単に奮い立つ自分を内心笑いながら、それが全く嫌ではなかった。
新たな装備の力を使い、溢れ出した冷気でもって溶岩を固めて押しとどめた。
さすがの一言だった。彼女の作るアイテムは、いつだって苦境を打破する力になる。
「だからこれ以上あなたに好き勝手やらせるわけにはいかない。わたしは……このゲームが好きだから。フランやみんなに会わせてくれたこの『アストラル・アリーナ』が大切だから」
「……………………!」
多くの出会いがあった。
楽しいことも辛いことも経験した上で、ミサキはそれら全てを愛しいと思う。
ずっと自分のために戦ってきたと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
マリスと戦うとき、いつも心に浮かぶのは誰かの笑顔だった。
「わたしはあなたに勝つ。この世界に、もう一度平和を取り戻してみせる」
絶対に負けられない戦い。
そんなのは嫌いだ。
もし勝てなかったらと考えると身がすくむ。逃げ出したくもなる。
でも、相棒たちの顔を思い浮かべれば――ほら。
いくらでも戦えるような、そんな気がした。
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